迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

ルール守れない人に“自由”は存在しない。

まず先に、コレを読んでもらいたい。今、一番問題になっているのは、実は地元の住民に対して迷惑行為をしてる自覚のない連中が、抗議活動は“表現の自由”と宣った上で法令違反を繰り返してる事である。国会前デモでもそうだったんだが、道路封鎖をするにも、公園内でイベントをやるにしても、各々、管理事務所や所轄警察署からの“使用許可”が必要なのであり、それを取得せずにやってる訳である。まぁ…ああいう活動家ってヤツは、最初っから許諾が出ない事をわかってるから、わざわざ手続きせずに“ゲリラ戦”を仕掛ける訳だし、占拠してしまえば、自分達に刃を向けるバカはいないと箍を括ってるトコがある。あのなぁ…普通の民衆が相手しないのは、自分の仕事が忙しいのと、他人に迷惑かける事は、延いては自分自身の権利を阻害されかねない事を知ってるからだ。つまり、社会生活上の“ルール”ってのは、互いに自分の生活を阻害されたくないからこそ存在するのであり、そこを無視する以上、叩かれるのは当然の理。
では、ルールを守れない人ほど、なんで“自分が正しい”と喚くのか?簡単な話です…自分以外を“否定”する事で、自分の存在を誇示するためです。つまり、“自分は他人よりエラい”とか、“自分は優秀な存在”とか…とにかく“自分”という存在が他者との集団に埋没する事が怖いだけです。違った言い方をすれば、“特別な存在”であると思われる事が重要なのであって、そのためなら、他者の権利や自由を阻害したって“自己の正義”に適ってる以上は、御構い無しなのです。もし、その原理が“真理”であるなら、当然ながら権利主張のための抗議を他者が行った場合、そして、その主張が双方でぶつかった場合は、“力の論理”によって決する事になります…つまり“戦争”とは、そういうモノです。これ、動物だろうが植物だろうが関係なく、生存競争の原理に基づけば起こるべくして起きる“通過儀礼”です。戦に負ければ“餌”となり、勝っても、それを維持するため、常に戦い続けなければならない…まさに地獄、ディストピアな法則です。
まして、原発や米軍基地があるトコは、それによる雇用や経済活動がある訳で、ここに関して、このはでダでも散々解説したんだが、そうでなくても、税収の少ない自治体にとって、それを保有する事による国からの補助金は、インフラ整備に不可欠な財源です。ぶっちゃければ、地方税である住民税や固定資産税が見込めないからこそ、国税から歳出される地方交付金や、原発や米軍基地などがある事で交付される“迷惑料”などの利権は、地方自治体にとって財政面での“セーフガード”なのです。当然ですが、地元住民の中には、自分の私有地を国(あるいは自治体)にレンタルしてる人もいて、そういう人らは税金なんかでの優遇も受けてます。JRAの競馬場は、基本、JRAが土地を購入して保有してますが、地方競馬や他の公営競技場は、地権者から土地と建物をレンタルして運営してます。コレと同じ理屈です。(ちなみに、JRAも一部の競馬場や施設は、地方競馬の地権者からレンタルしてる訳で…w)
要するに、あそこで傍若無人な事をやってる連中とは、国際厨二病と変わらんのですw もっと言えば“自分より恵まれた者が憎い”だけなんです。まぁ、いろんな意味で“不幸な人”なのですよ、マジでw そういう人に献金したり、支援という名の物資横流しは、結局はそれゆえに堕落し、そして“抗議活動”の度に地元住民や利用者に多大な迷惑をかけるだけの存在です。本気で自立したい人や、有効な資源の活用法を考えてる人は、とっくの昔に自分の意見が正しい事を実証するために、自分のできる範囲での行動を起こしてます。原発依存を減らしたいなら、電力は自前で(太陽光パネルや小型風力発電機などを)用意し、化石燃料に頼らないなら、近隣の里山から間伐材や竹を切りだしてバイオマス燃料として使ったり、有機無農薬による農作物を作るのであれば、その堆肥や元肥生ゴミからコンポストを使用して得たり、害虫除けの“ガーディアンプランツ”を植えたり…様々な工夫を、それこそ思いつく範囲で実行して、それで結果を残すモノです。しかし、ああいうトコで騒いでる連中は、そういう“マンドクセ”な行為は、“実行したら負け”なんですw とにかく、関わりたくない反面、自分の思い通りの社会にしたいからこそです。要するに、“上流階級の貴族”でいたいだけです。念のために言いますよ、ああいう連中は“お貴族様”なんですよw でも、本物の“貴族”ってのは、配下の民のために尽力するのであって、その“見返り”が宮殿であったり贅沢三昧な生活様式だったりするだけです。つまり、相手と対等に交渉するために、ハッタリをかけるための“見栄”です。逆に、交渉事をする時、相手に対して“おもてなし”ができない貴族は、ゆえに相手に見下されます。それは、配下の民に対しても、相手からすれば“低レベル”というレッテルを貼るのと同じ事です。だから、本物の“貴族”とは単に贅沢な生活をしてるのではなく、配下の民もそれ相応の立場として、交渉相手に対して示さないといけないのです。そのためのインフラ整備を身銭で賄い、配下の民に協力を要請するのです。
そう、集落の…所有する領土の“指導者”であるからこそ、配下の民衆から“貴族”として認められないとダメなのです。単なる富裕層…成金にはできない事をやるのが、本物の貴族であり、そして財閥の“仕事”なのです。そこを勘違いして、単に“金持ちだから”とか、“自分より裕福だから”とかを理由に他人様を“攻撃”するのは、自分の“自由”を阻害する“一凶”です。つまり、不幸である事を自らが望んでいる限り、他人に叩かれて当然です。そして、地元の人々は、他の地域の生活基盤を支えるための犠牲を払ってる訳ですから、それに似合うだけの権限だって有してます。それが気に喰わないから、こういう“抗議活動”という名のテロを繰り返すのでしょう…納得した上で引き受けた“汚れ役”に対し、何も知らずに侮蔑してる時点で、こういう連中は“貴族”ではなく、単なる厨二病患者ですw