迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

等価交換と因果応報

なにやら、厄介なコンピィータウイルスが出回ってるとの事で、一旦javaスクリプトを切ったら、動画サイトが作動しなくなった…つまり、多くの動画サイトは、javaflashを使ってるため、それを切っちゃうと使えなくなるという訳だ。で、今実験的に、アドブロックという拡張子をSafariに追加して運用してるのだが…はてダで試すと、殆どの広告リンクをカットした上で、動作が速くなっている。つまり、負荷が掛かる分、気楽にネットでBlog運営ができる状況にしてた事が、ある意味仇になっていたって事になる。言い方変えれば、貧乏人が粋がって、インターネット上のホームページを作るなって事かw
冗談はさておき、要するに、ネットに限らず、すべてのサービスにおいて、分相応の“対価”を払うのがスジだろ?ってのが本音であり、ズルしてタダでなんでも済ませようというのが浅はかだという事になる。まぁ…確かに、農家からタダで食糧を貰おうなんて魂胆があるなら、田舎暮らしはしないほうがいいと思う。なぜなら、それに似合うだけの“近所付き合い”が強要される訳であり、しかも限界集落で且つ、高齢者のほうが若年層より人口が多いトコだと、その負担は当然ながら、若年層に一極集中する事になる。だから、35歳以下の就農希望者が逃げ出す訳であり、残った人でも心労でリタイアするのも無理ない話である。収入が思う以上にないのも問題だが、それ以前として、ニートが増える最大の理由なんてのは、結局、自分より若い者や経験値の浅い者を見下し、奴隷化するからであり、若者に対しての“尊厳”を踏みにじったら、どっちにしてもダメになる。そう、今の高齢者が傍若無人な態度で若年層をこき使うのは、彼らが若かりし頃に、そういう生活に憧れ、そしてその立場になったからこそである。しかし、管理者(主権者)と奴隷(就労者)は、どんな状況であっても、実は人権的に“対等”な存在として取り扱わないとおかしくなるのであり、奴隷を使い捨てする様な貴族や地主がどうなったかは、歴史をきちんと学べば気付く部分。つまり、奴隷の蜂起やクーデターなどの騒乱は、管理者自身が相手を見下し、バカにしたからこその“応報”であり、また、民衆(奴隷)でも、管理者の意見に理由なく反対し、説明を無視して暴挙に出れば、当然ながら制裁を喰らう訳である。なんのために必要で、何のために分担させるか、そういった事を説明しても、当事者が聞いてなければ無意味だし、どこで誰が“犠牲”になってるのかという部分を説明しても、自分が“当該してない”と思うと、途端に当該者をバカにしたがる。忘れちゃいかんが、重要なのは、自分の今の安寧は、どこかで誰かが自分の代わりになんらかの負担を請け負っている訳であって、他の人に対しても、それは同じだって事である。
週末の行楽地でのアトラクションを楽しめるのは、その行楽地で“仕事”してる人がいるからこそであり、他の人が“仕事”してる間に、週末に“仕事”してた人が休む事ができる訳である。競馬を楽しむ上で、多くのファンが馬券で一喜一憂してる最中、騎手や厩務員は馬と共に“競馬”という“仕事”をやってる訳であり、馬券売り場では、馬券の発券や当たり馬券の換金を行うために(機械化されたと言えど…)窓口で対応する人がいて、施設内の売店や飲食店でサービスを行う従業員がいて、競馬実況を行うアナウンサーや公正なレースを維持する為の裁決委員がいて…といった具合に、それこそ様々な人々が“仕事”を行ってる訳であり、その“結果”が、いつもの“楽しい雰囲気”となる訳である。もしも、裏方をバカにし、傲慢稚気な態度で持論を展開し、今享受してるサービスが“当たり前”だと自惚れるなら、フルボッコ喰らっても文句言えない。
“等価交換”の理で言えば、件の国際厨二病軍団に、その破壊行動は何の意味があるのかと問い質せば、おそらく現場と首謀者とでは意見がバラバラだと思う。どんな破壊行動も、そもそもは新しい事を行う為の“リセット”の意味合いがあり、例えば、平城宮跡に商業地や近鉄奈良線があるのは、本気で広範囲の発掘を行えば、それだけで再開発が遅れるだけでなく、多くの活用可能な“空地”が、景観や歴史的文化財の保護を理由に“開発不可”になる。事実、近鉄奈良線が遺跡の一部をブチ抜く様に走ってるのも、そうせざる得なかった事があったからで、完全に“リセット”できたのであれば、奈良市中心街は、生駒市大和郡山市以上に新興住宅地としての再開発が進み、とっくの昔に国道24号線の上に京奈和道を通す事も出来ていた…つまり、そういう事である。歴史的遺構を“潰す”という事は、復元は不可能になる事と引き換えに、更なる“人々の営みの歴史”を、その地に積み重ねていく事を意味する。コンピュータのデータにおいても同じで、一度ぶっ壊れて消去したデータは、バックアップがない限り復元不可だが、その消去したデータ許容量分だけのデータを上書きする事はできる。つまり、そもそもの“も目的”があって、初めて破壊活動にも意味が生じる訳であって、そこがないのに単純に殺戮を繰り返したり、不特定多数の生活を破壊し続けるのであれば、巡り巡って自分自身を潰す事になりかねない。これこそ“因果応報”の理は“等価交換”の理と同じという理屈が出来上がる訳である。何も知らずに他人をバカにする行為は、最終的に自分自身をバカにしてるのです。