迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

純喫茶“It's Me Cafe”2015 1杯目

マーティ(以下テ):さて…開店前から居座ってるチルトさん、今回は何にしますか?
チルト(以下筑):…人聞き悪い言い方だな。しかし…言わんとしたことに関しては、先に詫びておく。とはいえ、今回は、どうしても先にここにいないといかんような気がしてな。
エルハ(以下エ):今日は時間帯的に、モーニングセットをお付けしましょうか?
筑:いや、それは結構。マーティ、とりあえずコーヒー、ブラックで。
テ:はいはい…
(カランコロン…)
エ:あら、いらっしゃい。
たー坊(以下隆):おう…なんや、先にいたんかい?それやったら話早いわ…マーティはん、俺、ストロング…頼めるか?
テ:もちろん、用意できますよ。
隆:あ、ついでで悪いけど、厚切りトーストと…
エ:モーニングセットですね、ご用意しますわ。
筑:討論する気でいるのに、朝食を摂るか?
隆:何言うてんや、腹が減っては何とやら…だw しかも、朝から営業しとるんやったら、コーヒーだけで済ますんは、失礼やろ?
テ:まぁ…そこは関西人特有の感情だとは思いますがw あ、ブラックコーヒーとストロングコーヒー、お待たせしました。
筑:お、すまんな…ところで、どうも国際情勢がキナ臭さを増しているんだが、たー坊はどう感じる?
隆:(ムグムグ…)お、日韓間の拗れとか、イスラム教に対する風当たりとかの話か?
筑:(/筑-;)よく飯食いながら、話の要点を纏められるな…
隆:根幹的な事言えば、倫理教育が廃れた事と、異文化に対する排他的感情が、更に強なってもうた…ってトコやろうな。ぶっちゃけ、ジコチューが増えたって事や。
筑:しかしだな…中東シリアにおける内紛が、問題を拗れさせている風に見えるんだが…
隆:シリア難民問題に関しては、そういう事になるやろうけど、もっと根の深い話をすれば、原油をめぐる各国間の争奪戦がそこにあって、さらに言えば、欧米諸国がイメージする“イスラム”と、宗教倫理上における“イスラム”の乖離が激しゅうて、それが余計に問題をおかしくさせてるように思うんや。
筑:つまり…いつしか“いつか来た道”を、また進み始めてるという事か。
隆:日韓の拗れかて、そもそも、従軍慰安婦問題を、とっくの昔に“解決済み”としている日本に対し、未だに賠償請求をし続けとる韓国政府の態度が全てであり、反日教育を徹底させた保守派が未だに幅を利かせ、それが何を意味するかを理解できてへん若者が増えたからや。自分の“正義”を振りかざす事が是である以上、例え国際社会から批判を受けても、同じ事をやってまうんやろうな。
筑:それは、欧米諸国で広がる、移民に対する不信感と同じということか?
隆:そらそうやろw
テ:そういえば、アメリカ大統領選の候補者に、イスラム教徒と日系人の廃絶を訴える人がいて、それが全米で支持されているという情報があるんですよ…これって、アメリカがかつてのナチスに支配されたドイツになる事を、望んでるようにしか思えないんですよね。
筑:それは由々しき話だな。だが、根幹にあるのは、そこまでして自分の置かれた立場…特に支持層の大半が白人の貧困層だという事を踏まえれば、たとえ“同じ過ち”を犯してると指摘しても、支持者は否定するだろうな。
隆:“貧しいから学べない”のじゃなく、貧困者である事を言い訳にして、事の次第を学ぼうとしなかった事、避けてきた事が、結果的に自分自身の心の歪みを増幅させとるという事に、気付かんようになってしもとるんやろな。
エ:特に、自己の正義に凝り固まるのは、過去において、何らかの事情があってと考えられるわね。
隆:だが、それこそ“自惚れ”やと思うで。そこを叱ってくれる存在がおらへんさかい、そして、きちんと指摘されても、それを受け入れられんのやったら、もうどうする事もできんな。先月の靖国神社でのテロ紛いかて、韓国政府が実行犯を庇うような仕草見せたらアカン。“愛国正義”で自国内でやってるならともかく、海外で爆破騒動をやってる以上、それを庇ってもうたら、国際社会上“テロ支援国家”というレッテル貼られても、文句言われへんわ。それと、件の候補?あれ、ひょっとしたら、マスターが言ってる国際厨二病集団の“親玉”かもな。そうやったら、話の辻褄合うで。
筑:そこに関しては、そういう早急な判断は避けた方がいいと思うな。しかし、仮にそうであったなら、それこそ国際社会は気付くべきだな。過剰な愛国心や敵対心が、相手の文化や習慣を否定した挙句、排斥を求めるようになれば、最後は自分の居場所すら失う事になると…様々な分野の、様々な意見や風習がうまく噛み合って、そしてうまく棲み分けができてこそ、互いを支え合い、助け合うから成り立つ…それが本来目指すべき“恒久平和”の姿じゃないのか?
テ:その概念は共通してても、どうしても優劣をつけて物事を判断しようとする以上、これは確実に衝突するでしょうね。どちらが“本当に正しい”のか…って事に執着しすぎてね。
隆:本来、共産主義が行き着く先は、異文化に対する理解と共存を認め合い、全体で社会を支え合う姿や。しかし、多くの共産主義国家が失敗してもうたんは、“みんなで支え合う”ための条件をつけたからや。自由を制限する事で、才能を否定する事で、血筋を重んじる事で、特定宗教以外の信仰を排することで…それって、要は条件に満たないもの、異論を唱えるものを排斥し、生きる機会を奪ってるのと同じや。統一規格やないとアカンのは、工業機械の部品ぐらいやで。
筑:民主主義というのは、明確な主権者が民衆全員である以上、貧富や学歴など関係ない事だ。そこに拘ってる以上、そこに発展はない。しかし、本質的な部分で誤解してる以上、そこの部分を指摘しても、聞き入れる人は皆無だろうな。
エ:そのための宗教哲学を学ぶ機会を設けるべきでも、肝心の宗教自体が他宗派を批判し見下す以上、もう、どれを信じていいのか…
テ:だから、マスターは常に考えるんですよ…本当に“正しい宗教”があるのなら、迷わなくて良い代わりに、そこに縛られて何もできなくなる…様々な意見、思考があるからこそ、様々な選択肢ができ、それぞれの対応策ができると。どうしていいのかわからない時、本当に頼るべきは、自分の心の中にある…それを導き出せるかどうか。
筑:久々に、考えさせられるな。
隆:せやな。