迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

“デマ”を書かなきゃ、売れないのw

ここにきて、野党が躍起になってる起爆剤…一部週刊誌の“スクープ”となってる贈収賄騒動。しかし、なんで贈賄した側がリスク覚悟でゴシップ誌に情報を流したのか、どうも件のタレントのSNS情報流出と類似してて、おかしいですね。ひょっとすると、記事書いた記者(あるいはフリーライター)の“デマ”の可能性もあります…ま、事の推移は今後の展開次第に任せるとして、なんでゴシップ系週刊誌は、そういう“裏のない情報”を流布するのか?実は、ネット上の“炎上商法”と同じ原理がそこにある訳です。まぁ、学会員ならよく分かる話ですが、名誉毀損などの裁判を起こす程のデマでも書かないと、ゴシップ誌は“売れない”というのが現状であり、また、名誉を傷つけられた側も、情報収集や裏取りの為に躍起になるんで、いろんな意味で出版社自身は収益に繋がり“美味しいビジネス”と言っていい訳です。要するに、世間が騒げば騒ぐほど、自分達の懐が温まるだけでなく、そのデマを信じるエンドユーザーのおかげで、保身もできる訳です。
一口に“デマ”と言っても、相手に“真実”を語らせるために揺さぶるモノもあれば、まったくの事実無根な話なのに勝手に騒動がデカくなる場合もあるんで、一概に全てが“悪い”とは言えない部分もある。が、根本的に言えば、情報を“商品”にしてる以上、世間そのものが喰い付いてくれないと、その価値は“ゼロ”となる。逆に言えば、巷の流行を生み出すきっかけとなれば、その価値は凄まじい訳で、続報や関連情報があれば、そっちにも裾野が広がり、さらに売上の向上に繋がる。故に、その“情報”が虚構だろうが事実だろうが関係なく、世間が興味を引くなら“なんでもあり”になる訳である。当然だが、“専門家”と称する学者やマニアにとっても“美味しい話”であり、詳しい解説や一般的には知られていないデータを開示すれば、それだけで儲け話となる。つまり、一部の報道機関のみが知ってる情報を鵜呑みにし、それを他が取り上げて騒動に発展すれば、メディアとしてこれほど“美味しい事案”はない訳である。
しかし…それ故の“代償”も生じる訳で、事と場合によっては、言論に対する規制や表現に関する禁止事項が増えたりする訳であり、それが巡り巡って、出版社や報道機関のみならず、エンドユーザーの行動に関しても規制が掛かって来る事にもなりかねないのである。一番わかりやすい事例として、創価学会関連の報道の変遷をざっくり話すと、ほんの20年ぐらい前まで、殆どのゴシップ誌は、いわゆる“学会潰し”に躍起になってて、事ある毎に学会関連のトラブルを記事として掲載してました。ところが、その主犯…もとい、情報元になってた人物が死亡した途端に、そういった情報自体が減り、現在ではよっぽどでない限り表面上に“学会批判”の記事を掲載するゴシップ誌は見かけなくなりました。もちろん、完全になくなった訳ではなく、あくまで掲載を見合わせる出版社が増えたことによる影響が、そうなってる訳です。なんで“見合わせる”のかといえば、名誉毀損による裁判での賠償金額が、一件あたりは少額でも、複数になれば倒産しかねないほどの影響が出るからです。当然それは、記事を書いたルポライターの生活にも及ぶ訳で、記事の信憑性がない、あるいは、事実であっても“言ってはいけない事”までバラしたことによる、エンドユーザー(購読者、あるいはマニア)のドン引きからの不買に転ずれば、必然的に売上にも響く訳であり、その結果、今まで稼いだ収益が、まるまる“賠償金”という格好で出て行ってしまう訳である。もっと言えば、悪口を散々言いまくっても、相手がそれを逆手に知名度を上げれば、却って惨めなだけ…そこに気づいた出版社の多くが、“アンチ創価”を掲げるルポライターを相手にしなくなったのです。
この法則、実はヘイトスピーチの類でも同じで、差別を叫べば叫ぶほど、却って相手の“思うツボ”にハマるだけで、余計に自分が息苦しくなるだけなのです。昨今の“在日批判”や“難民侮蔑”でも同じで、まっとうな人以上に目立つ“問題児”を、さも“全体の問題”として取り上げるモンだから余計に酷くなるだけで、何の問題解決にもならないどころか、余計に“被害者”意識からの“権限強化”になってしまうだけです。もっとぶっちゃけると、いじめられっ子ばかり擁護しすぎれば、いじめっ子は余計に陰湿ないじめを繰り返すだけです。しかも“立場逆転”で…そのための“喧嘩両成敗”でなければいけないのであり、仲間意識があるなら、故に自制を促さなければいけないのであり、そのための“交流”も必要なのです。相手に対して、自分がどれだけ“失礼”な事をしてるかを確認するためにもw
話を元に戻せば、単なる“話題”だけでは何の刺激にもならないからこそ、ほんの少し事実と異なる情報を交えて流す事で、周囲からの注目を集め、そしてそれを収益に繋げたいから“デマ”は生じる訳であり、そこを見抜いて、関心があっても“無視”する事で、大騒動になる事を防ぐ事も出来るのです。だけど、その“代償”が、自分で処理できる範囲なら問題なくても、地位や今までの功績、人格などに及ぶようなモノに発展した場合、その破壊力は時によって、国を丸ごと滅ぼしかねません。71年前の出来事とは、そういうことなのです…おカネに支配され、本当に大切なモノに気付かずに同じ過ちを繰り返すなら、今度こそ日本は滅亡するでしょう。