迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

“相手を思う”からこそ、殴り合いだって“対話”のひとつである…

昨日の朝っぱら、北朝鮮弾道ミサイル技術に転用可能な、人工衛星運搬ロケットを発射した訳だが、世界中がどんなに批判したとしても、中国が“甘ったれ”を許す限り、同じ過ちは繰り返され、そして、軍部の力の方が更に増すでしょうな。同盟国、傀儡国としてみなしてる“相手”であるなら、自らが手を汚してまでも“叱る”のがスジでしょうが…やらないでしょうな、ロシアや虎視眈々と“領土拡大”を狙ってる以上、ワザと北朝鮮を“野放し”にすることで、アメリカや日本に対する“牽制”をかけ、朝鮮半島丸ごと手に入れたいロシアに、“こんな問題児もいるか?”と問いかけてる訳だからねw そういうことなんですよ、北朝鮮がやってることとは。向こうにしたら、自分中心の“桃源郷”での対話なら臨むが、他人様が用意した“汚い便所”での立ち話なんて、やりたくないんですよ…同じ対話でも、要は“高貴なる者”という自惚れを、叩かれたくないんですよね。ほれ、芸能界やスポーツ界でもいるでしょ?そういうアホがw そういうことです。
今回の本題…なんだか物騒な話かと思われるが、重要な部分を一言で言えば、真の意味での“対話”ってのは、それこそ“摂受折伏時による”であって、十人十色、千差万別である。だけど、肝心なのと“相手も同じ人間”であるという部分をもって挑むのであれば、大怪我する事も、死ぬ事も覚悟の上で“大喧嘩”する事も必要なことである。そう、相手の“痛み”や“強さ”を推し量るための“通過儀礼”である。ただし、だからと言って“暴力”そのものをオイラ自身は推奨してるのではない。暴力でなんでも解決するのであれば、学校に行く必要もないし、警察や軍隊もいらない…もっと言えば、人間である必要性もない。それは、動物の“本能”としてある防衛力であり、怯えである…だからこそ、体力に自信のない人は頭脳で勝負し、学問が不得手な者は技能や才覚を生かして勝負する。世界観が違えば、勝負の方法も無限…だから、“自分の世界”だけで満足する人ほど、そこで終わっちゃうし、そしてそこでしか通じない価値観“こそ”が絶対的なモノであって、自分の価値観に対する、“他人の勝手な過小評価”は、どんな侮辱よりも許せないのである。要するに、他人に自分の価値や居場所、属性などを破壊されたくないあまりに、他人のそれを破壊する…その“極論”こそが、“殴り合いによる喧嘩”なのである。ただし、一対一の対戦でなければ意味がないのであり、どっちか一方に有利な条件でやりあったトコで、その結果は自ずとわかってるし、そういう条件で勝ったとしても、惨めなだけである…自分の“本来の力”をフルに生かして相手を倒したトコで、“相手が弱い”のに何やってんだと第三者に罵られるのがオチである。だが、だからと言って相手に対して手加減するような態度は、“王者の余裕”という油断から負ける事を招くだけでなく、別の意味で格好がつかない。だから、まったくの“一対一”で、しかも互いにとって一番“苦手”な部分で勝負することが重要になる。
とある指導者の話…彼の者はある日、世界で一番恐ろしいとされる暴君の前で「お招きいただき光栄です…が、今日はサシで殴り合いましょうw」と宣った。すかさず暴君配下の警護役は一斉に銃口を彼の者に差し向けたが、暴君は「やめとけ、こんな者を蜂の巣にしたトコで、世界中に恥を掻くのは私の方だ。」と諭し、警護役を退席させた。そして彼の者に言った…「一人の人間として、肩書きや威厳を恐れずに、そういうことを言った人は、あなたが初めてだ…」こうして、隣国同士の戦争が勃発する前に、“対話による平和解決”の道筋を作った。また、“戦争”の相手となるハズだった隣国の為政者に対し、彼の者はこう言った「もしもあなたが私を殴るなら、それは隣国の兵士を怒らせることになる。その理由は、“親友を殴った”ことによる報復である…」と。その為政者もまた「私の親友を、先方が殴ったなら応戦する準備はしてたが、その逆をしようとしたことに対し、深く陳謝する。」と答えた。そのことによって、最悪の事態になる前に、双方が和睦を求め合い、対話のテーブルに着くことができた…今から40年ほど前の話です。当時、この騒動の一部始終を、メディアは面白おかしく、そして彼の指導者をバカにするような内容の報道を展開し、大国同士の“総倒れ”を期待していました。が、結局、この“度胸ある対話”のおかげで、世界が再び核で汚染されるような戦争に陥らずに済んだのです。しかし、今の世界はどうでしょう?そういう度胸ある行動を買って出る指導者はいますか?いないからこそ、無用な暴力を振るって殺戮と破壊が跋扈するのです。
“対話”と言っても、肝心なのは相手を“対等なる存在”として迎え入れ、立ち振る舞うかです。今の北朝鮮に対する世界の態度は、軍部がやってる態度と全く同じで、完全に“ウエメセ”です。それでは“本当の対話”は無理です…なんせ、双方で“相手”を見下している以上はねw だからこそ“ブン殴る”ことも、時として“必要”なのです…あくまでも人間同士の喧嘩としての話であって、第三者が口出ししたり、余計な手助けをする行為は“御法度”の範疇です。集団心理で憂さを晴らす行為は、自分自身が傷つかない反面、何の解決策にもならないどころか、余計に事を拗らせ、最悪の結果を招く“全ての元凶”ですから。