迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

日本に“第三者”は生まれない?!

今日の朝っぱらのラジオで、メディアに対する規制や制裁は“政府やるべからず”な意見が出てたんだが、残念ながら、そのための“第三者機関”を設けたくても、その“基準”となる人材がいない…正確には、教育現場そのものが、“間違った共産主義こそ正義だ”と唱える教育者によって支配され、そこで薫陶受けた学生が氾濫してる以上、真の意味での“中立中道”を守れる人がいない。ぶっちゃけ、裁判官ですら左寄りな思考がまかり通ってるトコがあるし、かと言って、右翼系思考の人の殆どが愛国心で活動してる訳でなく、日本が混乱することを願ってる輩が蔓延っていて、真っ当な意見を述べることができる人がいない。もっと言えば、左翼だろうが右翼だろうが、真面目に日本の歴史と世界の社会情勢の成り立ちを学び、理解できた人がいないのだ。まぁ…そこんトコは日本人の“民族性”的なトコであり、それ故に“平和”と言わざる得ないんだが…w
これ、実は日本における“宗教の立ち位置”も影響してる部分であり、そして、根幹的なことを言えば、日本という国自体、良くも悪くも“エエ加減”だったからこそ、今まで存在できたと言っていいかもしれない。他の国を歴史的に鑑みると、100年以上も血統的な民族の変化をやってない国は、史実が残ってる国ではおそらく、日本だけと言った方が正しいかと思う。ただし、あくまで“史実”の上での話であって、“史実”ってのは時の権力者が手を加えて歪めることが多いんで、実際は様々な“変遷”があった訳であり、現在の日本人が、史実上の“古代日本人”と繋がってるとは限らない。仮に、ちゃんとした血統が“証明”できたとしても、それ故の“民族差別”があった訳で、それをなんとか諌めようとしたのは、推古天皇とされている…ここからでもわかるように、日本の場合、なんだかんだと言いながら、“天皇の権威”というモノから逸脱した試しがないという風に、古代史を教えるモンだから、素直な人ほど“天皇万歳”となる。で、穿った思考の教育者が歴史を教える時、必ず古代朝鮮語を交えたり、朝鮮半島からの移住を絡める傾向がある。当然だが、天皇・皇室も“朝鮮半島からの亡命王族であると教える傾向がある。忘れてはいけないが、朝鮮半島の古代史ってのは、日本の古代史以上に明確な文献や証拠がないため、現在の韓国・朝鮮人と血脈が繋がってるとは限らないし、当然だが、日本人のDNAの中には、南方の海洋民族やアイヌ、北方の白人血統も入り混じっていて、それが様々な変遷を経た上で今日に至る訳で、だから同じ“日本人”なのに、体格や顔立ちが地域や風土によって違ってる訳であり、中には“どう見ても外国人だろ?”ってのもいて当然なのである。(誰とは言わんけどな、そこの若手競馬実況アナ…w)
閑話休題、日本の宗教は基本、天皇が“認める”かどうかで定着する場合と、地方豪族や戦国武将の中でも主権を握ってたものが“認めた”上で広まったモノとがある。前者は中国の文化を参考に“国づくり”を進める上で儒教や仏教を“輸入”した訳で、後者は民間信仰や個人的な解釈が混じった上で広まったモノだったり、単に“広い世界をもっと知りたい”という欲求からキリスト教などを“参考にしたい”ということで受け入れた部分がある。だが、それ故に出自が不明なモノや、解釈が既存のモノと異なってる事を“理由”に“宗教差別”が発生してる訳であり、浄土宗の開祖、法然ですら布教の際に“仏教をバカにした”として流罪になってることを踏まえれば、既存の“常識”を否定する行為は、それだけで必然的に叩かれる構図は、どの時代でも、そして世界でも同じです。
以前にも書いたとは思うが、真の意味での“第三者”という立場は、当事者同士から見て、いろんな意味で“ウザい存在”でないと務まりません。もっと言えば、双方から見て“偏ってる”と思われる事が必然的な条件となります。つまり、左翼側から見て“右寄り”と思われ、右翼側から見て“左寄り”と思われ、双方から嫌われる存在である事が、本当の意味での“中立中道”と言えるのです。そのためには、双方の言い分を聞いて、中途半端に答えるのではなく、双方の言い分の矛盾を的確に答えるだけの思慮深さと冷静な判断力が求められます。それ故に恨まれ、妬まれたとしても、最終的な判断を求められる存在としての“恨まれ役”を買って出るという事は、私的にはともかく、どっちの言い分に対しても公平な判断を下すために、あえて自分の意見を挟まない事も必要になるのです。しかし…そういう存在を作りたくても、そうなるための訓練を受けさせるにも、それ故に難しくなるのです…何をもって“公平”と言えるのか、その明確な“答え”は、どこにも存在しませんから。