迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

報じない自由があるなら、言論の自由はクソであるw

マスメディアの暴走が止まらないようで、しかも、一部の民放幹部は、高市総務大臣の発言に対して、騒いでる方が“おかしい”ということを指摘している始末である。むしろ、放送局の自主規制の監査機関であるBPOの方が“ウザい”と思ってるのが“本音”らしい…無理ないね、件のBPO自体が“真っ赤っか”ですからw
閑話休題SNSを通じての話で申し訳ないのだが、一部メディアの“暴走”を“正義”とする風潮が蔓延ってる以上、真っ当な情報を得ることは難しくなっているのが現状だと思われる。もちろん、街の話題やスポーツの結果など、嘘の吐き様がない事や、逆に嘘だからこそ笑い飛ばせるネタはあるけど、それすら“真実”を伝えようとしない輩がいるから困ったモノである。いわゆる“報じない自由”ってヤツだ。けど、肝心なことを忘れてはいないか?“報道の自由”を振りかざし、“言論の自由”を訴えている者自身が、一方的、かつ感情的に他人を批判しておきながら、相手の意見や解説をカットして、情報そのものに“規制”を掛けてるのは、これ如何?報道する側…というよりも、世間の聴衆に対して不都合なことをバラされたくないばかりに、余計な情報を交えて“問題”をはぐらかそうとする態度を取るメディアは、歴史を見れば、民衆の“怨敵”となっていることが多いことを知らんのか?ただでさえ高賃金で、ただでさえ高学歴で、ただでさえ情報通である事を“自慢”し、民衆を見下した結果、どういう事になったか、知らないとは絶対に言わさない。事例を挙げるとクソ腹立つんで敢えて言わんが、本気で“言論の自由”というモノが大事なら、“喧嘩上等”なのが普通である…そう、以前にも書いたが、“対話”というモノは、双方が対等な立場で行うのがスジであり、場合によって殴り合いもアリである。感情的にならないよう、どんなに配慮したトコで、精神的に激昂状態になれば、対話そのものが成立することはない。しかし、互いに殴ることで冷静さを取り戻せるのであれば、それも立派な“対話”であり、そして和睦を導き出すきっかけにもなる。殴らなくても、精神的に傷つけば“暴力”であり、肉体的なダメージを受けても、双方が納得すれば“暴力”に非ず。
丸山議員の“暴言”とされる事を精査すれば、今のアメリカに至るまでの“歴史的人権闘争”の末の“結果”を、素直に述べたまでに過ぎず、また、“黒人軽視”とか“奴隷蔑視”とかは、的外れどころか、むしろその指摘こそが、アメリカ“国民”に対する侮辱でしかない。そう、中南米からの不法移民ならともかく、アメリカ国籍を有し、そこで生活してる人々の多くが、様々な移民から成り立っている事を忘れ、ましてアフリカ系及び中東系有色人種でなくても、様々な事情で“奴隷”扱いされた人がいて、そういうマイノリティーが世間に対して変革を求めた末に、オバマ大統領が就任した訳である。その流れに逆行しようとしてるのが、件の“爆弾発言”候補だったり、アメリカ的極左思考の候補だったりする訳である。そこんトコを理解せずに、挙げ足取りしてる野党の議員のオツムの無さよ…嘆かわしいねw 何が何でも“打倒安倍政権”を標榜するだけあって、自分の態度を改めずに“他人のせい”にして迷走してるのは、滑稽を通り越えて笑えない。
メディアの横暴な態度、どう考えても隣国の政府と瓜二つですわ。自己の正義に酔い痴れる者に限って、他人の意見や指摘は“邪魔”なんですよね…薬物乱用に堕ちる者と一緒で、とにかく“一人でなんでもできる”と錯覚し、誰かの手を煩わせることを嫌い、とにかく“自分”に酔い痴れたいだけ。どんな社会も、それを陰で支える存在あってこそ成り立つのであって、活躍を褒められるのは一人でも、その陰には、言い尽くせないほどの協力者がいる。当然、自分が勝ち得た栄光でも、それ故に迷惑を掛けた相手がいるし、自分を“ひとりの人間”として指導する者だっていたハズである。直接であれ間接であれ、何らかの格好で見知らぬ“だれか”とかかわっていて、それの積み重ねが“自分”という人格を作ってる訳である。そこを否定するのであれば、他人からバカにされても文句は言えない。それが嫌なら、他人に対して一切の悪口雑言するべきではない。まして自分が相手をバカにしたのであれば、同じだけ他人からバカにされることを覚悟しなければならない。一見“賞賛”のように聞こえる言葉でも、実際はバカにされてる可能性がある。当然、その逆で“侮蔑”に聞こえる言葉でも、考え様では最高の賛辞だったりする…それこそ、いかなる修行(人生経験)を積んだかによる。それを知らずに“人権侵害だ”とか、“差別発言だ”と騒ぐ者は、自分の“正義”が却って問題を拗らせ、多大な迷惑を掛けてる事すら気付かない。まったく…どこまで不知恩の咎が深いのやら。