迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

貧困を“食い物”にするのは、テロリストの常套手段。

簡潔に言えば、貧困を理由に世間に対する憤懣を撒き散らすのはともかく、それを“正当化”する態度は、却って格差社会を助長するだけで、何の救済にもならない。言い方変えれば、“自分”が貧困を脱出できるなら、どんな手段も厭わない人程、権力を握った途端に民衆を、支持者を見下す。自分がそんなに貧乏が嫌で、苦労したからといって、他人をバカにしたら、その苦労以上の苦難に直面し、そして逃亡することになる。苦難の道を進むものをバカにするなら、その報いは、さらなる苦難となってやってくる。
“貧困”の根本的原因は、価値観の違いを認めないところから始まる…自己中心的な単一の価値観であればラクだからだ。“自分”を基準にした価値観のみで世間を語れば、自分と同じ価値観であれば“平等”なのであり、そうでなければ“異端”なのである。もっと言えば、自分よりも“弱い”相手であれば見下し、“強い”相手なら自分の弱さ故に卑屈になる。だから、自分を“最高位”として讃える為には、何らかの弱点・欠点を突いて相手の足を引っ張ることに終始する…それしか方法がないからだ。
しかし…本当に“それだけ”なのか?答えは“NO”である。“シャーマンキング”というコミックの中で、『所詮この世は弱肉強食』という言葉が出てくる。言葉の上辺だけで語れば、弱者は潰れて強者だけが生き残れるという意味だが、その先に、こんなセリフがつく…『だがそれは、決して“諦めの言葉”ではない』その本意は、条件が違えば、それに合致した者以外は、どんなに“史上最強”を謳っても通じない。言い方を変えれば、どんなに“最強”を強調したとしても、一定の条件が揃ってない状況では、フル規格でその才能や技術を使うことができない以上、盤石とは言えない。逆を言えば、条件が不利でも勝負になるなら誇ってもいいが、そうじゃないのに、自分の好都合な状況下において、自惚れてる様な者が“最強”とはならない。勝てる条件下で勝負に勝ったとしても、最初はともかく、だんだん刺激的に鈍くなる。やがてそれが当たり前なモンなだから、堕落することになる。それが何を意味するかは、すべて語らなくも推測がつくだろう。
いわゆる“テロリスト”と言われる輩は、弱者相手でしか暴力を振るえない“最弱な存在”である。だから、帰宅途中で武装解除した軍人や、繁華街で無防備な庶民相手にしか攻撃できないし、犯行声明を出しても、死にたくないからコソコソ逃げ回る。こんな輩、恐れるに足りないっすよw だって、そういう騒動で右往左往する民衆を見てバカにしたいだけですから…そう、爆破予告のほとんどが実効性がないのも、錯乱した役所や民衆の姿を見て、“自分の思い通り”になることが愉快なだけで、それ以上のことなんてのは、何も望んでないのです。だから、ある程度満足した途端に自害したり、他の事件を起こす訳です。構って欲しい反面、犯罪者として祀り挙げられてボコられたくないから、覆面を被ったり、他人のせいにして逃げるのです。こんな輩が“革命軍”だとか“聖戦軍”とか名乗ってるのが滑稽なことであり、また、自分の職業が弁護士だの代議士だのと言ってる時点で、中学生以下の“犯行”と言った方が早いでしょう。どんな肩書きを名乗ろうと、どんな組織に属そうと、人間には変わりっこないですし、過去の功績や学歴の優劣だけで、どんな犯罪も許されるという考えこそ、重篤な大罪です。つまり、“弁護士”を語るだけで、他の真面目な弁護士をもバカにする行為であり、有名国立大学を優秀な成績で卒業してたとしても、軍人や医療関係者でもないのに一人でも殺害すれば単なる“殺人鬼”です。当然だが、軍人といえど戦闘中、あるいは特殊任務中に殺傷する事態に陥った場合はともかく、平時の時に無闇矢鱈に発砲すれば犯罪ですし、医療現場においても、予後不良という診断の下での安楽死(臓器移植のための脳死判断含む)や、施術中における容体急変での事故以外で、故意の薬物使用や不要不急な施術は、医師免許があったとしても許される行為ではない。もっと言えば、どんな免許も、一切の罪が無効となる“免罪符”ではなく、そういった犯罪をやらないことを条件に、業務上や生活上に必要なスキルを持ってることを示す“証明”でしかない。ここんトコを勘違いして語るのであれば、危なっかしくて、他の免許持ちすら信用できなくなる。それだけの罪を犯してる自覚がないのが、非常に怖い。
だからこそ、こういう輩に対抗する方法は、どんなことをやられても“無視”し続けることである…声を挙げることも大事だが、“相手にしない”という意思表示を行うことが、こういう輩を懲らしめる、一番の手段だ。本来、憲法9条ってのも、そういう意味合いがあると解釈されがちだが、それに似合うだけの武装と軍事力あって初めて効力があると言っていい。戦争をやりたがる人程、その理由を“貧困解消”ということにしがちで、本質的な解決策を提示してる人は皆無である。戦争を回避しようと思った場合、双方が対等であることを官民揃って認め合う環境が重要なのであって、優劣に惑わされ“弱肉強食”の意味を履き違えたら、結局“望まない戦”を招くことになる。本気で官庁街や学校を爆破する気あるなら、予告せずにやれやw 度胸もねぇのに犯行予告出すのは、単なるビビりだ。そして、やったならやったで堂々と胸張れやw テロやクーデターってのは、反社会派の所業であり、己の正義が正しいと思ったからこその暴挙だろうが。そんなことも知らずに生半可なことをすれば、余計に惨めなだけだ。貧困を言い訳にするのはガキの所業であり、どんなに歳を喰ってても、決して大人とは言えない…真の大人は忍耐強く、常に己を鍛え精進するものである。その姿が“カッコいい”と思えるから、子供は憧れ、その姿に近付こうと真似るのだ。そんなこともわからずに“成人だから”と驕れ、他人を見下すならば、たとえ法律がザルで罰せられることがなくても、その精神や命が濁って腐る。それでいいなら別に構わん…自分が蒔いた種は、いずれ自分で刈り取らなければ、親族末代まで禍根が残るだけだ。