迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

相手を“女性の敵”と罵るなら、もう少し礼儀を知った方がいいぞ…盗人議員よ。

昨日の国会中継を見てて、ある意味、野党の“オツムの無さ”を痛感したのだが、もうね…安倍総理のことを“男尊女卑政権だ”と批判してる時点で、“アンタ、何様や?”と暴言吐いて、チャンネル変えた…ひどいね、いかにも自分こそが“女性代表”と言わんばかりに、熊本地震に関する予算編成の会議中だってのに、全然無関係な話をして時間潰ししてる。それを嬉々として報じるメディアの酷さもさることながら、野党の女性議員の品の無さよ…正直、オイラ的に怒り心頭であり、ガチで大声で叫びたい…

お前こそ、全世界の女性の敵じゃ!!

はぁ…すっきりw
そもそも、女性の人権問題の根幹にあるのは、性別による能力差を考慮せずに“男女平等”を叫んでることが“間違い”である事に気づいてないのがすべて。もっと言えば、女性であれ男性であれ、体力や記憶力などの能力に関する部分には個人差があり、女性であっても家事一般ができない人もいれば、男性なのに虚弱体質で職業選択に制限があるヤツもいる。当然だが、子育ての上手い“イクメン”だっているし、怪力自慢な“女王様”だって、それぞれの立場上、そこに存在価値がある以上は、性別なんてのは関係ない。むしろ、価値観そのものは人それぞれであり、女性だからとか男性だからと外見だけで物事を判断すること自体がナンセンス。さっきも言ったが、性別とは関係ない“個人差”によって才能なんてのは決まってくる訳であり、真の意味で“適材適所”である以上は、みんな“平等”なのである。当然だが、職種に貴賎の差はないし、自分が担う役目に対して誇りを持ってるなら、劣悪な条件の下であろうが、誰もが羨む様な環境下なのに周囲を見ずに没頭してようが関係ない…それに似合う“対価”がある以上、それはそれで重要な仕事である。
とある人権団体が、水商売や風俗店に勤める女性に対し“人権解放”のために“まともな職”への斡旋しようとしたら、逆に彼女等の逆鱗に触れ、相手にされなかったという話がある。そりゃそうだw 全員が“奴隷”として裏社会で人身売買によって強制就労してたのではなく、家族を養ったり、今後の人生に蓄えを持ちたいと願った上で、少しでも“高収入”を見込めると思ったからこそそこにいる訳だし、中には素性を隠さないとマズい状況下で職探しをせざる得なかった人もいる。さらに、自分が持てる“才能”が、そっち方面しかなかった…という人もいる訳で、一概に“風俗嬢=性奴隷”ではない。むしろ、彼女らの下に通いつめる男性の欲求を満たすことで、余分な性犯罪を未然に防ぐ役割もある以上は、勝手に“可哀想な存在”として扱うこと自体、失礼極まりない話である。当然だが、風俗店だって利用客に対して“安全”を保障した上で運営しなかったら、いろんな意味で“バイオハザード”になることは承知の上。だから、“健康管理”に関しては厳しいし、店の“商売道具”である以上、それは従事者自身の“保護”も意味する。だから、風俗店によっては“本番禁止”であり、本気で恋愛対象として付き合うのであれば、それに似合うだけの代償を払うのがスジである。江戸時代の花街において、芸者や舞妓が“引退”する際、伴侶となる男性に対し、分相応の“水揚げ代”を請求した訳であり、それが払えない貧困男性は、花街への出入り禁止だけじゃなく、見せしめで店の用心棒に殺されることもあった。だから、多くの場合は心中という格好で逃げる訳で…(ry
閑話休題。今でこそ“職業選択の自由”で風俗店で働くという女性もいる訳であり、男性でも、いわゆる“トランスジェンダー”に関する認知度の低さゆえに、水商売系の職種しか行けなかった人もいた訳で、その際たる存在なのが、関西だとカルーセル麻紀おすピーの存在である。彼等とて、今でこそ認知度があるからこそ自由に動き回れるが、メジャーになる前は、相当キモ悪がられたのは言うまでもない。彼等の犠牲と苦労があって、はるな愛やIKKOといった“おネイ系キャラ”が一般的に普及した訳であり、そしてそれゆえに彼等のような人にとっても“職業選択の自由”が保障されるようになってきた訳である。(とは言っても、あくまでごく一部な範囲だが…)言い方を変えれば、様々な才能や性格があるからこそ、そして、それらが尊重され始めたからこそ、適材適所による“価値観の共有”が広がってきてるのであって、旧態以前の概念で物事を喋ってる人の方が、よっぽど“時代遅れ”としか言いようがない。まして、自分の職業が他人様より“優れてる”という勘違いで、相手を見下して騒ぐ人ほど、結局は本来保護されるべき人達の存在意義や価値を下げる事になる。東大卒でもそれを“権威の権化”にしか使えないなら、他の東大卒や東大在学生の価値がダダ下がりするのは当たり前w インテリを標榜しながら、窮地を救ってくれた恩人をバカにするのであれば、バカにされた人以上に自分自身の価値だって、第三者からバカにされてもおかしくない。だからこそ、礼節を弁えるための道徳は必要なのであり、その根幹として哲学や宗教理念を学ぶ必要がある。宗教の修行の一環にある“勤行”とは、表向きこそ神仏礼拝の儀式だが、本懐を質せば、相手を敬うための作法と手順を実践するための業である。そこを無視して宗教を愚弄するのであれば、それこそ本当に“貧困であるが故の僻み”でしかない。ぶっちゃけ、一番国民に対して無礼千万をやってるのは政府与党ではなく、自分自身ではないか?そこんトコが認知できない以上、野党が政権奪取のために姑息な手段を使っても、却って多くの国民を敵に回しかねない…本物の“愛国心”ってのは、右も左も関係なく、ただ単に“国を思い、民を思う”精神から発する正義感の別称です。