迷馬の隠れ家 はてな本館

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日本の“首都”は東京?京都?

先に結論から言えば、国際法上…というより、天皇が現時点で生活拠点として構えている場所が“首都”という概念で言えば、東京23区内が“首都”という事になるんだが、その場合、東京都への“遷都”を、天皇の意思によって執り行われた…という既成事実がないと、日本の古来からの“都市計画”上では認められない事になる。てのも、“遷都”とはそもそも、天皇が日本の“国主”として政治的実権を掌握した上で、自らの意思で“引っ越すでw”と号令しない限り実行されないモノであり、長い歴史上、天皇の号令のもとで行われた“遷都”は、奈良から京都・平安京への“遷都”以来、実は一度も行われていない。(厳密に言えば、現在の神戸市内とか、御所市周辺でごにょごにょってのはあったけど…w)じゃ、なんで現在の日本の“首都”が“東京都”なのか?ここに、実は歴史(史実)という面白いカラクリがある訳で、全ての謎を解くには、幕末期の大政奉還…つまり、徳川幕府が事実上、国家統治に関わる一切の権限を、天皇に返還した“事件”が、事を非常にややっこしい、厄介な方向にポイしちゃった訳であるw ここが重要…つまり、幕府が江戸城天皇に対して開城し、迎え入れた事によって、平安京から江戸城下が“東京(あずまみやこ)”に化けた訳である。言い方を変えれば、江戸幕府期まで“京都”とは正しくは“首都”として…というより、天皇を祀り続ける“聖地”としての意味があり、それが山城国(現在の京都府南部一帯)の“洛中(現在の京都市内のごく一部)”にある御所を中心とした地域を“平安宮”という名の下で、その総称として“きょうと(平安京の都)”という言葉ができたとすれば、“東京”という言葉自体、解釈上では“東に移った京都”という事になる。
但し、そうなった場合、当時の天皇…この場合はおそらく明治天皇という事になるのだろうが、それが“遷都”を宣言したかって事になる。何度も言うが、日本史の勉強をやってると、鎌倉以降から天皇の存在を無視して授業を進めることが多く、特に安土桃山時代以降、幕末になるまで、高校の教科書の片隅にすら出てこなくなるw (南北朝以降、完全に存在が没落するからなぁ…)しかし、大政奉還まで歴代の将軍(征夷大将軍)・関白は、新たにその職に着任する際は、必ず天皇に対して目通りする事が義務付けられていた。つまり、勝手に将軍職や関白を名乗ること自体、どんな武将も、公家も、形式上では天皇の前ではできなかった訳であり、天皇からその成果(天下泰平、国家安寧など)を認められて、初めて名乗ることができる…故に、年貢の管理や治安維持がキチンとできてるか、それを天皇を中心とする朝廷が判断を下して体勢が維持できた訳である。と言っても、南北朝以降、将軍・関白を名乗る為政者の“都合のいい”朝廷が判断してる訳だから、いろんな意味で今の憲法下の天皇陛下同様、“国家運営の象徴”でしかなかったと考えた方がスマートかとw だが、徳川家は歴代将軍就任の度に、居城である江戸から京都へ“逆参覲交代”した訳であり、天皇が自らの意思で江戸へ赴くなどありえなかった訳である。それが一変したのが幕末の大政奉還であり、江戸城無血開城という“事件”である。つまり、朝廷側に付いた尊皇派諸藩(長州・薩摩・土佐など)が、その権限を徳川幕府から奪還した勢いで天皇を京都から江戸へ連れ出した(ま、京都が戦場になったってのも大きいんだが…)からこそ、話がこじれるのである…そう、この時に天皇が“江戸に引っ越すか”とでも言ってたなら、その時点で今の東京は名実ともに“東京都”として“遷都”したということになる。
では、“東京都”って言葉自体はいつから使われてるかって話になると、実はこれも廃藩置県が絡む話であり、しかも、明治政府へ政権移行した時点では東京“府”という名称だったのである。この時代の“府”とは、実は首都機能を携えた行政区を意味する言葉であり、一発目の廃藩置県実施時に、東京以外に大阪と京都も“府”が付いてた…つまり、最初っから“東京”で政府機関の不具合があった際、いつでも京都と大阪で代行、あるいは移行することを前提に設定されていたのである。言い方変えれば、天皇がお気に召さないのであれば、いつでも“帰還”できる場所として残す意思があって、第二、第三の“首都”としての意味合いも込めたモノなのだ。しかし、時代が進むに連れ、そして4回目か5回目ぐらいで現在の都道府県が確定したことを受け、“東京府”は“東京都”に格上げになった訳である。だからそれまでは、大阪市京都市同様に“東京市”という名称の行政区が存在し、それが現在の23区なのである。あ、ちなみに大阪府は当初、現在の大阪市中央区や北区付近“だけ”であり、のちに堺県の一部(堺市以南の泉州&河内地域一帯)や周辺の町村合併を経て現在に姿になる訳であり、この“堺県吸収合併”を嫌って、生駒・金剛山地を境に“独立”したのが現在の奈良県であるw(40代以上の堺っ子なら、誰もが一度は手にしたことがある“むかしの堺かるた”ってのにも、“和泉河内、大和合わせて堺県”というネタが存在してるから、いっぺんググってみるといいよw)
ここまでの解説をしっかり読んだ上で、もう一度タイトルの意味を考えた場合、事実上は東京が“首都”であっても、形式上では現在でも京都が“首都”となる。但し、法的根拠等を踏まえた場合、今上天皇が皇居(=江戸城)にいらっしゃる以上は、そして、政府機能が集約されてる時点で、現在において日本の首都は“東京都”ということになる…但し、“東京都”はその中心街(特別行政23区)を指すものであって、そこに付随する地方都市(八王子とか府中とか…)は、他道府県と同様の“地方自治体”としての“東京都”によって管轄されている…という、まぁ色々とややっこしい構造になってる訳である。だから、特別23区での税収が潤沢でも、東京都という“地方自治体”としてカウントした場合、なぜか赤字になりやすいってのは、それ以外の市町村…特に島嶼部(伊豆諸島や小笠原諸島)や奥多摩地域(檜原村とか、奥多摩町とか…)のインフラ整備や維持にも使われてるからである。