迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

他人の“悪口”しか言えない人の劣等感…

今週、オツム沸いてる系のフリーアナが、人工透析を受けてる腎疾患患者に対して“暴言”とも取れる発言をBlogに書いて、それが因でレギュラー番組を降板させられたという話があったり、稲田防衛大臣に対して野党の破廉恥女郎が戦没者追悼式典に出てなかったことをネチネチ言ったり…いつからだろうね、他人のことをしつこく攻めた挙句、自分が逆の立場になったら逃げる根性ナシが増えたのって。あえて言うよ…そういう悪口しか言えないバカは、自分の“努力”が誰からも評価されない“本当の理由”を悟れや。言っちゃなんだが、業務の都合で式典に参加できなかった人や、先天的疾患、あるいは薬害などが因で障がい者になってる人、さらには、発言の元となっている事案を、きちんと精査した上で公表してる人相手に罵るのって簡単だけど、その“逆の立場”になった時、同じ言葉、自分が受けた時、ちゃんと釈明できるか?そして、謂われなき批判に耐えられる根性あるか?
民族的なことにしろ、宗教哲学に関しても、自分の“主観”だけで物事を判断して、それで“万事解決”できるのであれば、とっくの昔に世界は“単一民族社会”になってて、有事の際に全滅するわw 様々な意見や習慣、概念があるからこその選択肢だし、その選択が正しいかどうかなんてのは“誰もわからない”からこそ、大概の人は怖気付く。しかし…“本物の勇者”ってのは、バカだからこそ単純な考え方しかしない反面、責任の所在だって、頭じゃなくって自分自身の命そのものでわかってる。だから、土壇場で大逆転もあり得るし、失敗を恐れないからこそ、様々な場面で戦える…たとえ腕を失おうが、仲間と思ってた人物に裏切られようが、そんなの関係ない。たった一つの“結果”のために、様々な選択肢を導き、そこから選んで突き進むだけだ。
話を元に戻せば、件の暴言ってのは、自分の立場が、どこまでも“傍観者”のままだという勘違いから来るのであって、いつでも、どこでも、自分自身が“当事者”になる可能性があるという概念は、これっぽっちもない…だから平気で他人の苦労や努力を詰ることができる。が、本当に“当事者”の側に立つハメになると、途端にそういう言葉を自分が浴びるモンだから、いかにも“世界一不幸な存在”とアピールしたくなる…あのな、それ、当然の結果だろ?“当事者”は、アンタが放った“暴言”の、さらに倍以上の侮蔑喰らってんだぜ。何度も言うけど、自分自身の“発言”に対して“責任”取れない様な人ほど、“同じ立場”であることを、非常に嫌うんだよなぁ。とにかく“特別扱い”を受けたい割に、その代償を払えないから“その他大勢”というトコに逃げる…バカか、アンタら。
特に身障者関連の話について、一言で言えば“異質な存在”として見るモンだから、本質的には“健常者と変わらん”という概念がいつしか消える訳で、人工透析を受けてる人でも、なんでそうなったのかの事情はバラバラ。ま、当事者は糖尿病からの腎機能障害を批判したつもりだろうけど、そういうのは圧倒的に高齢者であって、若年層の場合、スポーツ障害による腎機能低下(急性腎不全や外傷性破裂など)や、先天的に腎機能に異常があって、腎移植を待ってる待ってる場合がある。生体(あるいは脳死者からの提供による)腎移植で、透析から脱することは可能でも、高齢者の場合は手術に耐えられない可能性があって、泣く泣く透析で延命する手段を選ぶ人がいる。そういったことを踏まえると、一概に“透析は自己負担でw”なんて言葉は言っちゃいけないし、発言そのものは、相模原市で起きた“身障者大量殺傷事件”の容疑者と“同意見”だと疑われてもおかしくない…犯行動機そのものが“身障者は抹殺すべき”ってことだったからねw アレと“同じこと”を、仮にも報道番組をやってる者が、あるいは、メディアに影響を与えやすい立場の者が発したら、そら、叩かれて当然だし、他のメディアだって、企画上起用しようとは思わんわw 同じことは政治家にも言えて、自分のことを棚に上げた上で、相手の行動を批判するのは、一過的には有権者の関心を集めることができても、ご丁寧に過去の行動や発言を覚えてる人によってツッコまれると、途端に釈明に走ろうとするし、場合によっては提示された“証拠”を、捏造だとか事実無根だと騒ぎ出す。見苦しいたらありゃしないw そういう“劣等感”しか自分自身にないという自覚がある人は、決して悪口は言わないし、それどころか、こういうバカと付き合うヒマなど1秒たりともない…自分自身に鍛錬を課し、精進する姿勢を保つために時間を割くからだ。
だから、“本物の一流”ってのは、決して相手を叱責しないし、自分のせいでもない事案すら“自分のせい”にして後進を庇う…もっと言えば“褒め上手”である。そういう品格のある存在の人ほど早死にしやすいのは、それだけ無理してるからでもある。もし、そんな“いい人”をちょっとでも長生きして欲しいと思うなら、庇ってもらう側のままでいることより、自らの意思で矢面に立ち、傷つく事を選ばなければならない。その“覚悟”があった上で相手を批判するならともかく、そういう根性も覚悟もない様な者が、くだらん理由で相手を罵る資格はない。まったく…いつから“本物の大人”ってのがいなくなったんだ?