迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

差別を助長してるのは、差別“批判”に尽きる…

ここんトコ、南海電鉄の車掌の“神対応”に対して、クレーム出したバカのせいで叩かれてるのだが、敢えて言おう…オマエの指摘こそが“差別”の一凶なんだよw ラピートやこうやの特急料金や、宿泊先に前もって荷物を配送しとく事をケチって、本数多い空港急行(または、極楽橋まで直で行ける大運転の急行)使ってる訪日外国人が持ってるキャリーバッグやバックパック(大型リュック)が車内を占拠して、他の乗客に迷惑をかけてる可能性があるという“配慮”から、「多数の外国人が乗車されているため(ry」という放送しただけに過ぎない。これを“差別だ”というのであれば、海外旅行する日本人とて、同じような“迷惑行為”を、知らない間にやってる事に気付かないといけない。もっと言えば、国内旅行(しかもパックツアーの類)ですら、最低限度の旅行マナーやルールを守れない人が多いってのに、オイラから言わせれば“何言ってんだか…”って話になる。悪いが、クレーム言ってる人の多くは、実情知らずに騒いでるだけの“年老いたガキ”であって、こういう人らが騒ぐほど、誤解や曲解だけが世間に蔓延するのである。実情を知るという事程、本当に難しいモノはなく、もっと言えば、現場を知ってる、あるいは常連客でないとわからん事情に対し、一見さんが見たままの話をするのは、正直“迷惑行為”他ならない話なのである。
このはでダ(以前のラブロク)でも散々指摘してきた事だが、あらゆる“差別”ってのは、いろんな意味での“区別”であって、そこに上下関係や利害ってのは存在しない。もしもそういうのもが潜在的にあるのであれば、それは“現場での判断”であり、その枠内におけるモノでしかない。言い方を変えれば、どんな組織にも、いわゆる“カースト(階級差別)”ってのはあるが、世間に対してそれに似合うだけの責任や使命があるならともかく、組織の外へ一歩でも出たら、なんの意味もない。もっと言えば“弱肉強食”ってのは、あくまで分野別階級の端的比喩であって、属してる地域の環境や状況によって得手不得手があって、どんなに“優れた存在”であったとしても、その地域、あるいは組織以外で“優秀”であるかはベツバナである。ぶっちゃけ論で言えば、どんなに学歴が優秀でも、実社会では“不適合”な人間の方が多く、逆に低学歴や非行履歴がある人でも、社会貢献度が高ければ信頼される確率は高い。
つまり、些細な事で“差別”と叫ぶ人ほど自意識過剰であり、もっと言えば他人を見下してるのである。自称“インテリ”によくある態度であり、精神状態である。皮肉な話だが、こういう人ほど頭が良いから高学歴になりやすい…が、ワークホリックになり易い人と同じで、自分自身がもってる価値観が“絶対値”であるがゆえに、自分の“知らない世界”でバカにされるのを一番嫌う訳であり、それ故に他人の趣味や様々な概念を丸ごと否定し、自分以外の“優秀な存在”を見下そうとする訳である。こういう態度を取る人を、オイラは敢えて“年老いたガキ”と切り捨てる訳である。但し、本当にガキな人程、本当は好奇心旺盛で、且つ、勉強熱心だからまだ救いようがあるが、そうじゃない人は、もう本当にどうすることもできない…てか、自己の世界観が“絶対なる存在”という確信があるからそうなっちゃうのであり、それを余所者…特に若い世代に指摘され、壊されるのが怖いからこそ意地になって排除したがる訳である。言い方変えれば、他人の人生までも“私が主人公”と言って土足で上がり込んで破壊しまくってる割に、自分自身が他人にやられると激怒するドアホなのである。忘れちゃいかんが、何人たりとも、“自分の人生”に他人が土足で入っちゃいかんし、自分もまた“他人の人生”に居座るような態度をとってはいけない…故に、“他人の人生”を狂わせた“責任”は、どこかで帳尻合わせのために請け負わなければならない“義務”であり、“自分の人生”が他人によって著しく狂わされた“代償”は、必ず受け取る“権利”が生じる。“因果応報”の法則に従えば、善処を尽くした人を罵倒したツケは、必ずそれをやった人自身に降りかかる厄災となる。どんなに些細なことでも自分が感銘を受けたのであれば、それは必ず意外なカタチで評価されることになる。一過的な罵詈雑言、誹謗中傷は気にする必要はない。報復を受ける人とは、それに似合うだけの行為をやったからこそ受けることが“できる”のであって、そうじゃない人が報復を受ける“義務”なんて存在しない…受けたくないあまりに他人にケチつけたなら、必ずその分だけ“増量”するだけの話である。そう、夏休みの宿題をとっとと片付けなかったツケが、最後の数日間の徹夜作業になるのと同じようにねw