迷馬の隠れ家 はてな本館

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民主主義を“否定”する人、共産主義を“否定”する人…

昨日の米大統領戦は、結局前評判通りというか、大方の予想通りドナルド=トランプ候補の、ある意味圧勝劇で幕を閉じた。多くのリベラル層が“民主主義の終焉”とか言ってるが、“民主主義”ってのの行き着く先は、貴賎上下関係なく社会を支え合い、個々の尊厳を守り合う、真の意味での“共産主義”である。勘違いしては困るが、既存の“共産主義”とは、守銭奴な富裕層が国外逃亡した状態で、国家基盤を再構築させなければならない状況下においては有益でも、一定期間が過ぎると、本来では“ありえない”カースト(階級構造)が構築されてしまいがちである…つまり、一部の人間を中心に、まるで宗教じみた集団へと変貌するのが殆どで、中心人物の思惑通り、しかも、寸分違わずに実行されなければ、さらにそれが全て“成功”でなければいけないという風に、価値観や思想がちょいでも外れる事を極端に嫌う状況に陥りやすい。言い方を変えれば、まさしくファシズム劣化コピーである。
民主主義だからこそ、何もかも“自由”とは限らないし、共産主義だからといって、全部抑圧政治をやってるとは限らない。そういう社会構造が“上手くいく”地盤には、分相応の民族気質や宗教概念、生活環境の違いから条件が変わってくる訳であり、立憲君主制議会政治を行なってる国が“民主主義”から程遠いというなら、そんな王侯貴族や領主を介さずに建国してる国や地域が、なんで選挙の度に情勢不安定になるかを察してほしい。“共和制政治”を掲げる国や地域でも、選挙の度にgdgdになるのは毎度の事であり、そういう状況を他人が見たら、一党独裁絶対王政の方がラクそうに見える。しかし、一党独裁絶対王政による統治は、民衆と為政者の信頼関係が崩れると、一気に情勢不安になり、紛争が絶えなくなる…明確な指導者が不在となり、その後釜を誰が継ぐかで揉めるからである。これは、指導者に絶対な権限に依存した民衆の堕落であり、また、今まで通りに責任を指導者に丸投げしたいあまりに、仮に、自分がその立場になった際に、いつでも“逃げられる”ように裏工作をやるケースが多い。だが…王政にしろ民衆主導にしろ、互いの立場や役割を超えて築き上げた信頼関係を、ちょっとした不信感からくる疑心暗鬼が因で脆くも崩れ去ったら、結果は同じである。
多くの共産主義国家が“失敗国家”に成り下がった原因は、実はこの部分であり、民主主義、あるいは王政復古を選んだ国家でも、政治的失敗で情勢不安が続いてるトコは、そういうことである。つまり、何を信じ、どうすれば“幸福”になれるかという、根幹的な問題ってのは個人差が非常に大きく、且つ、単一化した答えが存在してる訳ではない。だから、BLGTというセクシャルマイノリティーに対する理解にしても、知的財産権に関する取り扱いに対しても、“自分のこと”として考えるか、“他人事”として受け流すかで“答え”は違って当然であり、それを“単一化”しようとすること自体が間違いである。いわゆる“リベラル”を称する人々の一番の“間違い”こそ、相手の意見や意思を尊重するという概念がなく、ただ単純に“自己の正義”に酔っ払った挙句、自分の思い通りにならないことを“不当な判断”として、意見が違う相手を排斥し、それを“悪”と称して叩く訳である。当然だが、そういう概念で政治を行えば、必然的に民衆を恐怖に貶めして支配しようという方向へ行ってしまう訳であり、その結論が、ナチスの独裁だったり、ポル・ポト派による弾圧だったりする訳である。今でも中国政府が内モンゴルチベット自治区少数民族から仕事や土地を取り上げて、強引な開発を進めていたり、そういう行為に対する反発に対して軍部を差し向けて惨殺する行為が頻発してるのはそういうことであり、信頼回復のための対話を行いたくても無理な状況に陥ってるのは、そういうことである。
当然だが、民主主義国家であるハズのアメリカとて、大統領選に投票に“行かない”という選択肢で両陣営をバカにしてる人もいるし、選挙結果に対して不平不満を漏らす“お花畑”な連中が、主に都市部でデモを繰り広げている訳である。しかし、多くの人がトランプ候補を選んだ最大の“理由”は、“自分自身が主役”ということを明言したのが当人であり、民主主義の根幹は、どこまで行っても“そこ”に尽きるのである…つまり、国民“全員”が主権者である以上、その責任も、負担も、そして得られる成果も、利権も、全てが“自分自身”のモノだってことに気付いた人ほど、草の根の部分で支持が拡大したのである。逆を言えば、ヒラリー=クリントン女史が負けた最大の“理由”も、綺麗事ばかりを並べて根幹的な問題から目を逸らそうとするから嫌われるのであり、責任の所在に関しても、明確に示してたのはトランプ候補だったからこそ、この“結果”になるのである。(とは言え、アメリカ国民に対して言い放った“公約”が、どこまで実行されるかは、ここから先の話になるんだが…)