迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

自惚れを諭す術は、時として才能を潰す。

何やら、ジャズ奏者の日野皓正が、ドラムで共演してた中学生を往復ビンタしたことについて、メディアとSNSが騒がしいことになっているが、断片的な情報のみで判断するのはともかくとして、オイラ的に非があるとするなら、調子に乗りすぎた中学生自身であることを前提に、そういう性格を見抜けなかった日野氏自身にも咎があると言わざる得ない…但し、あくまで上部の情報での判断であり、現場にいた者全員の“証言”が、嘘偽りなく語られた上で判断した場合、最悪は件の中学生自身の“音楽人生”を潰さざる得なくなるかもしれない…理由はただ一つ、その日のステージでの“主役”は“誰”であり、“自分”はどの“立ち位置”にいなければいけなかったかを把握できない様では、今後、他のバンドや奏者とのセッションはできないし、誰も呼ばなくなる(=共演を拒否される)からだ。

若気の至りで、持てる才能が“大暴走”することは、厨二病世代なら誰しもがやらかすことであり、そこでの“失敗”から“他人との調和”ってのを学んでいく訳だが、どんな失敗・恥晒しも、それが故に失うモノも多い。特に趣味や好奇心から始めたことに関しての才能ってのは、“間違った批判”が原因で、変な逆恨みを持たれたり、精神的に落ち込んだ挙句、トラウマになって遠ざかることになる場合があるからだ。単に他の事をやってて興味が薄れたのであれば、時とともに懐かしさから復活する事もあるが、精神的に傷ついたことに関しては、それゆえの恐怖心から、背を向けたまま無関係を装い続けることになる。これだけでも相当精神的に病んでる状態ではあるが、思春期の頃ってのは、周囲の大人はなかなか気付き難いモノであり、それだけ繊細で厄介な時期でもある訳だ。

SNS上での情報を精査すると、どうも演奏を終えようとしてやってたのに、そこんトコを無視してドラムを叩き続け、他の演奏者も最初は乗ってあげてたんだが、それで更に調子付いて止められなかったことから、ステージ上にいる事も(当然、観衆の目の前であるにも)憚らずにビンタした…ってのが真相のようである。だとすれば、いわゆる“空気嫁”ってことである。件の中学生が演奏中にトランス状態に陥ってたのであれば、それを止めるために“やむを得ずに”って事もある。単に大人の、しかもプロ相手に演奏してる事が気持ちいいからとか、自分の才能を“認めてもらえた”と自惚れて暴走してるのであれば、それを戒めるためにやったのであれば、日野氏の判断は“正しい”となる。が、日野氏の“気紛れで演奏を止めた”事への抗議で中学生が指示を無視して叩き続けていたなら、話は変わってくる…もっと言えば、このセッションは“誰が主役”だったのか、それを問い質す意図があったのであれば、中学生の行為は“正しい”となる。どっちにしても、その意味を理解できているのは当事者のみであって、聴衆や取材で来てたメディアは蚊帳の外な話となる。

タイトルの“才能を潰す”行為とは、即ち、“自惚れを糺す”のか“余計なモノを削ぐ”かで結果が変わるモノであり、前者なら自律を促し、後者なら犠牲を厭わぬ勇気を身につける…当然、そのリスクとして、前者は“不当な評価”と恨まれ、後者は“可能性”を潰す事を意味する。自惚れを糺され、自戒の念が持てる人は、そこから更に幅広い分野での活躍が期待できるし、才能に限界があると悟れる者は、とっとと別の分野への鞍替えをやる。他の才覚を犠牲にしてまで、追い求める道がそこにある人は、故に簡単に他の能力、才覚を捨てる…自己の許容量オーバーだからこそ、能力や才覚を限らないと、どんな技能も身に付かないし成長しないからだ。才能を見出すには、それ故にバカでないとできないトコがある。だから、分野違いな世界で挑み続ける者が、本来あるべき場所へ戻してやるきっかけを作るために諭すのは、一見すると簡単そうだが、実は一番難しい事である…今までの評価全部を覆さないといけないからであり、故にそれまでの経験や実績も無視しなければいけない。それを“もったいない”と思うか、“無駄なモノ”と思うかは当事者次第であり、他人がどうこう言う必要はない。そこが理解できてないと、双方にとって“悲しい結果”しか残されていない。