迷馬の隠れ家 はてな本館

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共産系野党の“勝利宣言”の裏にあるモノ…

本来であれば、チルト召喚でやるべきトコだが、カイルのトコで暴れ過ぎてロンギヌスの槍で“封印”中ってことで、今回の選挙に関して、一番言えてる話を一つ…

今回も自公政権が磐石な運営ができるだけの議席を獲得して終わった訳だが、投票率の低さや、特に公明党が6議席(選挙区1&比例5)も落とした点を踏まえると、実質的には“敗北”に近い。その反面、セコビッチ共産党と手を組んで、ギリギリまでドタバタしてた立憲民主党民進系無所属が、手堅いトコでワンサイドゲームに近い状況で当選してたら、そりゃ、次どうなることやらですわw ただ…それ故に一番野党として勢いがあったハズの維新の会が、いろんな意味でケチがつき過ぎて(特に連携相手の希望の党がクズ過ぎて)ズタボロだったのはいうまでもなく、維新や希望などに鞍替えした民進系の候補者自身があまりにもお花畑過ぎるが故に、有権者がウンザリしたと考えてもいいかと…

ただ、共産党がいろんな意味で“勝利宣言”をやってるかと言えば、それは投票率の低さ…要は、半数の国民が投票を棄権したことによって、自公政権に対して“不信任”を突きつけたと解釈してるからである。投票率が50%前後のうち、およそ75%が自公支持だとしても、投票に行かなかった人の総数と、共産系野党に投じた数を合わせれば、実質は“自分達の勝利”って訳だ。だか、ちょっと考えて欲しい…公選法において、投票総数(実数)が投票結果の全てであって、投票に行かなかった人は集計されない訳であり、また、“行かなかった”理由に関しても、全部が“自公に不信任”とは限らない。むしろ“共産系ウザい”も含まれてる訳であって、実態そのものは“誰もわからんw”ってのが現実であり、妄想で話を進めていいなら、それこそ“自己の正義”に酔っ払い過ぎて現実を見てないのと同じである。

じゃ、なんで有権者が投票に行かないのか?いろんな部分を解析すると、いかにも“日本人”らしい性格が見えてくる訳であり、それは決して韓国や中国のことを言えた義理じゃないことを意味する。つまり、総じて日本人は“無責任”な人が多すぎる反面、何かがあると群衆心理が働いて思考停止に陥りやすいトコがあるってことだ。韓国のいわゆる従軍慰安婦の存在を“利用”した国際的な嫌がらせの背景にも、元々それを誰が言い出したか明確ではないのにもかかわらず、その“事実”を鵜呑みにして今まで日本との外交をやってきたツケで、もはや誰も“真実”に目を向けようと思わない時点で“終わってる”話であり、仮に勇気を振り絞って“アレは虚偽でした”と韓国政府が日本に対して土下座したら、その時点で国民フルボッコのクーデターが起きる訳であり、故に“できない”訳である。これ、仏法の話に例えると、末法だからこそ仏教に関する様々な解釈が発生し、もはや“民衆救済”のための法が説かれたハズなのに“無視”されるという始末と同じで、“正しい情報”がいつのまにか“デマギーグ”に化けて、結果的に“誤った情報”の方を信じている方が多数だから…ってなる訳である。群集心理の恐ろしい部分とは、実はコレであり、自分自身が“責任を負わない”カタチでの意見に賛同しやすく、それが“間違ってる”と指摘されても“みんなが支持してるから”という安直な考えで無視するうちに、事態の悪化が進行する訳である。これが“ファシズムガー”とか言ってる連中の常套句であって、自分達こそそれを先導してるという自覚がないのである。

しかも、大手マスメディアを介して堂々と“選挙違反”を推奨してる訳だから、民衆の多くが選挙に関心を持たなくなる(というより、単に数字の魔法を遠くから観覧したいだけ)様に仕向けてる訳である。当然だが、教育現場でも同じで、社会科の授業…特に公民は、中学3年でサラっとやる程度の話である。オイラが社会科の科目全てにおいて、高校卒業するまで学年トップクラスを維持できた背景には、社会科に関する様々な“情報”こそが、一番の胆だと幼心ながら感じてたトコがあって、だからこそ、地理と歴史、特に地元の“現代史”を注視してやってきた訳である。だから、以前の解説で堺市の地理的な部分の解説もできる訳であり、自分が経験した“歴史”を話すこともできる訳であり、そこから堺市長選の選挙結果を分析・推測することもできる訳である。だが、高校受験や大学受験では、こういう“生活に根ざした知識”ってのは無視され、どっちかと言えば“日常で使う機会が少ない”科目のみで学力判断をやってるモンだから、必然的に、社会に疎い若年層が増えるのは不思議でもなんでもないのである。そう、“受験”というハードルそのものが間違ってるからこそ、若年層…特に大学まで進学した社会人ルーキーが選挙に関心がない状態になる訳であり、子育て世代が“子育て放棄”をする実情がある訳である。要は“無理”して大学まで進学しないと就職できない様な仕組み作っときながら、それに対する養育費の公的援助を一切整備せずにきたツケが、“高学歴でも中身ガキ”な連中が増え、“学びたいのに経済苦で”という理由で中退して、低賃金で、しかも正社員扱いされずに真っ先にリストラ対象になる契約でしか働けない“真面目人間”が、過労や精神崩壊で死滅してる訳である。メディアがあまりに特権階級過ぎるがために、本当に不平を抱える就労者が、疲労困憊の果てに掴む情報がクズすぎるから、政治そのものへの関心が薄らぎ、民主主義の根幹である“民衆による政治の監視”ができなくなる訳であり、それを望んでるのが“誤った”共産思想に走る連中の魂胆である。そう…日本はいつでも、どこからでも、第三国によって乗っ取られ、消滅してもおかしくない状態にまで、メディアや教育機関を駆使して追い込んだ訳である。だからこその“勝利宣言”って訳だ。

でも…“ジャイアントキリング”ってのは、そういう連中の思惑通りになりかけた、その瞬間から始まる逆転劇であり、事の本質を見極め、それをキチンと教える基盤さえできれば、結果を覆すことが可能なのである。そのための犠牲は、誰が払うべきか?それは、本気で“日本を変えたい”と願うものすべてが払うべきモノであり、単に群集心理に染まって安易な方へ流れて後悔するのは“自分”だと言い聞かせる下地を作ることが鍵となる。そのための宗教哲学であり、様々な有識者の言葉を引用して、本当に“正しいこと”とは何かを追求する姿勢を、自分から作って行かないといけない。その“実践例”を布教するのが宗教の役割であって、威厳で相手を脅す様になったら、その宗教は“終わってる”訳である。教育もまた然りで、大学受験で“終わる”様な学習法しか教えず、単に進学率がいいと誇る様な学校や塾は、“無能な有権者”しか作れない。本物は、“学び続ける”意義を教え、実績や結果は、“他力本願”では意味がないことを知るために“試練”を与え続けるモノである。他人の実績を奪い、責任を転嫁することを“正義”だとするなら、その“腐った正義”を訊す“悪”になることこそ、本懐じゃないっすか?