迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

19年、過ぎっちまった訳だが…

もう、そんなになるのかって感じだな…本当に、時の流れってのは、こういう存在になるとピンとこない事が多いけど、マスターと一緒だと、イヤでも感じるね。だが、だからこそ、いろんな話がマスター経由で知り得るし、意見を言える訳だ。そりゃ…マスターがいないと話すことすらままならないけど、仕方ねぇよな、“生前さん”としての肉体が限界を迎え、手放さなくてはいけなかった訳だし、仮に存命だったとしても、他の同世代同様に矍鑠と、しかも最前線でやれるかと言われたら、多分、自信がねぇよw けど、それはそれで、面白い事になってるだろうなと、オレ自身も考える訳だ。

それにしても、こうも“マナーレス”な話題が多いと、何のための礼節だって、叫びたくなるね…例え自分自身に非がなくても、それを理由に相手をボロカスに言うってのは、正義でも何でもなく、単に自分が幼稚なだけじゃんか。オレも、他人に言えた義理じゃない事、いっぱいやってるさ…だからこそ、時として“口を慎む”事が必要なんだってば。本気で“礼節を重んじる”というのであれば、その“手本”となる所作を、自分自身が相手に示してナンボだと思うぜ。なのに、自分が気に喰わねぇ相手を罵倒しときながら、そこの部分を第三者から批判された途端に“礼節に欠く”って、どんだけエラいんだよw そんなに自分が、世間様よりも“エラい”存在だっていうなら、それに似合うだけの品格と礼節を、相手に対しても払うべきじゃね?ボロカスに相手を叩いた以上は、それに似合うだけの批判も受けるのがスジってモンだろ?そういう事ができてねぇのに、何も知らずに、相手を批判することの方が、よっぽど失礼な話だぜ。

失敗に対する批判はいくらでもやっていいけど、その前に、自分自身、自らの意思で挑んできたか?“失敗”ってのは、どこまでいっても、“挑戦”…すなわち、自らの意思で選び、その結果を受け入れる覚悟があってこその話であって、何もしなかったら、“成功”もあり得ない話になる。もっと言えば、様々な戦…“勝負”に挑むからこその勝敗であって、その最前線にいないにも拘らず、一喜一憂してる方がよっぽど…って話だ。まして、勝手に応援してて“負け戦”したからって、それは現場を責める方が酷ってモノだ。もちろん、最善を尽くしての話という条件は付くが、自分が“タラレバ”を垂れたトコで、結果は覆らないし、素直に受け止めなければ、前には進めない…過去の栄光に縋ってる、醜い姿は余計に惨めなだけだ。だからこそ、方向音痴な批判をする輩は、マスターが常々言ってる“襟を正してモノは言え”って話になるんだよ。

ま…なんだかんだ言っても、自惚れ過ぎた態度を取る限り、誰一人、幸せには成れないし、他人をバカにして自尊心を保ったトコで、何の成長もしてない以上、必ず後続に追い越されっちまうモンだぜ。自分自身を高みへと押し上げたいのなら、失敗を恐れず、批判を受け流せる度胸と、何があっても、前へと進み続ける勇気を持つ事が大事であり、そのために鍛錬と勉学に勤しむ姿勢が重要になる。これからを担う若い世代に言いたいのは、年上の粗相は、自分の成果に奢れた惨めな姿だと思って接してくれ…本気で自分を糾す事ができるヤツってのは、自分で気付かない部分での欠点を指摘してくれる存在を欲してるし、それに随えることができるハズだ。

んじゃ、またな…