迷馬の隠れ家 はてな本館

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“戦争放棄”と、国を守る事は、二律背反な事…

いわゆる“戦争反対”を理由に自衛隊在日米軍を叩く人が後を絶たないんだが、これに関して簡潔に言えば、戦争体験者の“戦争反対”と、未経験者が唱える“戦争反対”の意味は、完全に“別物”だと考えた方が、話の辻褄を合わせ易い。ポイントは、体験者はリアルな痛みが伴ってるからこそ言える話であり、未経験者ほど実体験がない分、想像でしか“悲惨さ”がわからないから歪むのであり、そこはある意味“仕方ない”部分といえる。が、だからと言って、軍隊や公務員組織を叩く“理由”にする事自体おかしいのであり、そもそも、そういった“専門分野”を有する組織抜きで物事がうまくいくケースなんて存在しないし、仮にあったとしたら、その“自己完結”のために、どれだけの“自己犠牲”を払ったかを考慮しないと、意味がない…つまり、自分が行うべき“仕事”や“役目”を“放棄”した上で、抗議デモや阻害活動をやってる訳であり、そうでないのなら、他の何気ない生活を維持しようと奮闘してる、多くの就労者や公務員、ひいては子供達の“邪魔”でしかない。

米軍や陸自のヘリ墜落事故が頻発してる背景には、使用してる機材が老朽化してても、“軍縮”という名の下で設備管理にかかる費用が削減されていれば、いくら完璧に整備したつもりでも、経年劣化による事故そのものを避ける事はできない。それは33年前の日航ジャンボ機墜落事故で、運航に使用したボーイング747型機が、以前に羽田空港で“尻もち事故”をやらかしてて、その時の修理箇所の金属疲労(振動による劣化)が事故原因だとする報告があるぐらいだから、軍用機もまた然り。いくら毎日整備してるといっても、その部品そのものが劣化してたままなら、いつ運用中に事故ってもおかしくない訳だ。

今、時期的にさっぽろ雪まつり開催中な訳だが、あそこの大型雪像は、陸自の訓練の一環としてやってる訳であり、それは現時点では、福井県での豪雪地域の救援活動にも活かされる“経験”でもある。そもそも、雪像を作る技術ってのは、土木工事における簡易的な整地作業や建設工事の技術を応用してやってるのであり、これを自然災害でエラい目に遭った地域での道路の仮復旧や、災害住宅の設置にかかる整備等にフィードバックしてる訳である。単に除雪作業をしてるだけでなく、雪像を作る過程の中には、通行の安全を確保するための除雪方法や、緊急を要するビバークのための設備を作る事も含まれている訳である。これらが“軍事転用”となると、雪山での陣地整備や局地での待避所確保という作業になる訳であり、平時だと“芸術的パフォーマンス”となる訳だ。

ここで気付いて欲しいのだが、仮に軍隊という“公的組織”を国や自治体が有さないとして、万一の備えをやるとしたら、何が必要となるか?それは、有事に対する概念を、広義の意味で全て“戦争”として考えた場合、それを“放棄”すると日本国憲法第9条第2項で明記してる時点で、国であろうが自治体だろうが関係なく、“できない”ということになる。つまり、“全部自分でやれ”って話。だから、自衛隊という組織を“違憲組織”だと言い放ってる時点で、いかなる有事に対しても“自助”以外での救助は“できない”ってことになる。それでいいのであれば、何も警察や消防もいらない訳であり、自衛のために銃火器を個人所有しても咎められないように、法整備するのがスジである…アメリカは州毎による警察と軍備があり、それでカバーしきれない部分で連邦警察や軍の海兵隊(=国直轄の公的組織)を送って支援する訳であり、また、傷病人の救急搬送は、病院や生保会社指定の救急車による“有償”での搬送である。だから、医療費も社会保障が充実した北欧や日本と比べるとボッタクリ的な金額が請求されるし、現場検証で地元警察と連邦で意見が食い違うのは日常茶飯事な訳である。

話が脱線したので元に戻すと、公的機関を排除して、自分達だけでどうにかしようとなった場合、それに似合うだけの訓練や学習を行う時間と資金が必要となる訳であり、その“負担”は、全員が請け負う事となる。当然だが、身障者だからとか、子供だから、老人だからという“言い訳”は通用しない。以前にも書いたが、金銭的負担が無理だから“人的補償”としての労働奉仕が存在する訳であり、それができないなら、別のカタチでの負担を請求されるのは当たり前な話である。それを“拒否”する態度として共産主義を唱えるなら、それこそ本末転倒な話である。資金援助を受けてるなら、それに似合うだけの奉公をやるのがスジであり、サービスを受ける以上は、それに似合うだけの対価を支払ってこそ意味がある。その法則を嫌った時点で、社会が成り立つ訳がない。ブラック企業が横行する背景にも、そこんトコを無視した行為を、結局は自分自身で“容認”してるからこそである。だから、自分が他人からの支援や救助を“拒んだ”以上は、どんな状況下でも“自己による解決”で賄える(=自己完結な)態勢でなければいけない…恩は他人に送れるけど、受取拒否する相手に送りつける必要はない。