迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

子育てって“男の恥”か?

ここんとこ、子育てに苦労されてるフォロワーの意見に対し、子育て経験なんてないクセに生意気な意見を返している訳だが、一言言い訳するのであれば、コレはオイラ自身の“人生経験”というより、感覚的なモノで言ってるだけであって、なんの参考にもならない話だって事である。ただ…オイラは年の差11離れた妹者二号がいて、これの幼少期の面倒を見た経験があるのと、オイラのオトンの態度を見ていて、更には、物語上の男性の特徴を、想像力をフルに使って分析した結果導き出された“オイラ流の心理学”による意見だからこそ、一見的外れでも強ち“間違い”でもなかったりする。

 

 

ここで重要なのは、なんで夫(旦那)が“子育て”に参加しないのかという愚痴が増えたのかといえば、すごく簡単に一言でいえば、核家族化が進んだ“結果”です…もっといえば、良くも悪くも、気軽に相談できる“親族・縁者”の存在を、付き合いが煩わしいと片付けたために起きた弊害です。但し、さっきも書いた様に、“人付き合いが煩わしい”要因は、親族・縁者であるが故に、変に顔を合わせる機会を増やした事であり、特に都会に出たがる若年層の多くは、この縁を“断ち切りたい”からこそ、都会で見栄を張り続けないと生きてけない訳です。で、“夢破れし者”のごく一部は、なおも抗うために彷徨う訳で、自分の生まれ故郷に帰りたがらない“真の理由”も、実はそういう粋がった生き様を示したいあまりに愚行に走るのです。

 

では、何故夫婦円満な家族とそうじゃない家族では、何が違うのか?コレも簡単に言えば、夫婦とは互いが“新たな血脈を営む”という覚悟があるかどうかで決まります。このBlogで努兄の言葉を紹介したかと思うんだが、“恋愛感情”ってのは5段階あって、相手を“恋しい”と思う気持ちが双方で寄り添えば“恋愛”となり、互いを“愛しい”存在として敬い合えば“愛情”となり、その信頼関係で何も言わなくても“情”で支え合えるのが“夫婦”である…って宣ってた訳だが、今のオイラには言い得て妙な話である。つまり、単に惚れた腫れたであろうが、親族間の約束事であろうが関係なく、“相手を想う”一念に基づき、“自分にできる事”を全部やるという信念で挑む覚悟がないと成り立たないのが“家族”であり、その一環に育児がある事を、誰も教えてこなかった…てか、今までの“日本的家族構成”では必要なかった部分だったからこその弊害が、今日のモラハラに繋がってると考えると推察できるのです。

 

とはいえ、核家族化&一人っ子政策の行き着く先は、コミュ障モラハラな人格が増えるのも致し方ない部分でもあり、深刻な話でもある。加えて、親族縁者を嫌った結果、“幼児化”した人格の成人しかいない社会に急変した訳であって、それに対応しきれないまま、少子化問題だけで騒ぐ訳です。

 

 

 

 

つまり、今の男性の多くは、親の顔(特に父親)を見ずに、単に物語の“理想の漢”を求めるあまりに、目の前にある“絶対的幸福”を自分から拒否して、それを“カッコイイw”と勘違いして駄々こねる、単なる“お子ちゃま”なのです…本当に“格好良い”のは、様々な人に迷惑を掛けても、キチンと結果を示し続ける態度であり、本気で親族縁者(だけでなく多くの人々)に感謝する気持ちを持って行動を起こす姿なんだけど…ホント、弱虫なクセによくもまぁ、自分に惚れ込んだ女や、自分の血を分けた子供を自分の手で殺める気になれるの、訳わからんわ。