迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

宮崎アニメと女性の社会貢献…

まずは本題の前に、期間限定で公開されている、こちらのURL から見て欲しい…

https://youtu.be/xQKzzUXB3OA

 

 

これは、宮崎アニメのファンなら、一度は見ておきたい作品の一つである、“名探偵ホームズ”の中でも、人気が高い第10話の、別名“ハドソン夫人覚醒回”である。今回は、この作品に限らず、宮崎アニメではよくある“男勝りなヒロイン”にまつわる、オイラ的な妄想(?)私考を…

 

 

基本的に、ジブリ作品にしろ、その以前から存在する作品(瑞鷹やトムズ)にしろ、女性が物語の主軸を担ってる作風が目立つ訳だが、共通してるのが“可愛い顔して男勝り”という設定である。“風の谷のナウシカ”のナウシカにしろ、“もののけ姫”のサンにしろ、立場上の都合でそういう方向になってるのもいたら、先述の“ホームズ”に登場するマリー・ハドゾンや“紅の豚”に登場する飛行機工場の孫娘で設計技師のフィオ・ピッコロみたいに、見た目は華奢でも、とある分野では男性に引けを取らない才能や度胸ある姿を見せるキャラもいる。もちろん、“未来少年コナン”のラナや、“天空の城ラピュタ”のシータみたいに、序盤は逃げ回るだけの役どころでも、終盤ではきっちり主役として敵対勢力と対峙するまでに根性が据わってくるケースもある訳で、だけど一貫してるのは、男性キャラ相手に大立ち回りをこなしてる点では、どのキャラも引けを取らない。更に脇役でも、所謂“ゴッドマザー”な位置にいるキャラも多い。

 

 

つまり、多くの作品で(原作の設定からそういうのもあるが)、女性の“社会的地位”に対する問題定義が根底にあり、それを如何にして作品のテーマの裏に隠してるかが窺い知れる訳である。更に、女性キャラを男性が作品として描く時、大概の場合は性的願望が表現されがちなのに対し、宮崎アニメは原則“誇張した色気抜き”である。(“ルパン三世”シリーズは、原作そのものがエロありきなんで、どうしてもああなる訳だが…w)逆を言えば、性的象徴としてではなく、根本の“人間性”を描くのであれば、過度な性的描写はいらないし、どうしてもエロネタをやろうものなら、脚本自体がそれだけで構成される内容でなければ作れない…と、推測できる訳である。恐らく、宮崎アニメの同人作家であれば一度は経験しただろうとは思うが、あのキャラ画のままで性行為を描こうにも、絵的に“幼児のままごと”状態になりかねないし、作画そのものを変えないと、色気もなにもない、別の意味で“悍ましい光景”になる。(想像してください…コナンとラナがイチャイチャしてる場面を、例えば永井豪が原画を描いたらどうなるかをw)

 

 

 

 

 

宮崎アニメの真骨頂といえば、大概のアニヲタは大乱闘と無駄に細かいリテールを取り上げがちだが、オイラ的な感覚で言えば、どこまでも“女性が不快にならない作品”の描き方にあると考える。その根底には、女性の社会的地位の向上こそ、世界を下支えする屋台骨だと主張したい思惑があるようにも感じるのである。だから男性キャラは総じて、見た目や地位は良くても、どっか肝心な部分が抜けてる、ある意味で“残念な英雄”という描き方になってるし、どんなに力自慢しようが、どんなに学歴が優秀だろうが、いろんな意味で“女性には敵わない”という、男の性(さが)がどの話でも出てくる訳である。だからこそ、エロ以外での“男の強さ”を描く為には、時として“女性の強さ”をさりげなく表現し、その上でバカ騒ぎしても“女をバカにしない”態度を、どう表現するかに苦心してるから、大作映画を作る度に“もうやめる”と口にしてるのでしょう…作風の関係で、エロい作品が思い浮かんでも描けないジレンマ故に。