迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer “NEXT”

“ヲいヲイ、My favorite announcerシリーズは月1更新って言ってなかったっけ?”とおっしゃる方もいるでしょうが、今回のは“例外”てか、オマケみたいな話です。(だからタイトルも“NEXT”なのだ。)今月の奥田アナについて調べている際に、どうしても引っかかる名前があって、“そうだ、来月はG1シーズンだし、きよぽん(勝手に杉本アナの事をこう呼んでる)のネタでやってみよう。”となったんである。で、なんでココできよぽんの話になるんかと言うと…。

奥田アナときよぽんを繋ぐキーワード、それは“関テレの競馬博士”こと、松本暢章アナの事なんですわ。てのも、調べてみるとこの方、実に面白い“過去”がありまして、それはCRK開局時の部分にも関わる話なんです。
実はCRKがまだ、“ラジオ神戸”として開局する前、松本アナはまだ大学在学中で、しかも高校時代に甲子園に導いた功績から、野球部の監督を2年間任されたという頃の話であった。大学のサークルに放送研究会があって、そこに在籍していた時に、CRKからスカウトされたという。で、そのまま“学生アナウンサー”として民放初のプロ野球中継を担当したのだ。そしてKTV開局時にCRKから出向、そのまま移籍となったのである。以後、KTVのスポーツアナの柱として退職時まで“君臨”していたのである。(こういう言い方、は本来失礼なのかもしれないが…。)
で、きよぽんとの関係なんだが、松本アナときよぽんは同じ大学の先輩後輩であり、きよぽんが就職浪人になった際にKTVに進路を導いたのである。(詳しくは来月の更新でやるが…。)
とにかく奥田アナ同様に(いや、それ以上に)野球が好きで、さっきも触れたがかつては高校球児だった事もあって、プロ野球中継はことのほか思い入れ強く実況していた様である。そんな松本アナがなぜ、“競馬博士”と呼ばれる様になったかというと、シンザンの三冠達成(菊花賞優勝)の実況をやった経験からそう呼ばれていたらしい。丁度この時期はテレビは草創期だった訳で、ある意味“何でもあり”な実況だったらしく、シンザンが勝った瞬間は興奮のあまり声が裏返ってしまい、ヨレヨレになったとか。また、現在では信じられない話だろうが、出走取消した馬とたまたま同じ勝負服の馬が出走していて、それに気付かず実況を取り違えたなんてトラブルをやらかしたとか。(ただ、これには後日談があって、その当時のJRAの不手際でもあった為、以後出走取消が発生した場合は、その旨をJRAが表示する様になったとか。)
“生涯一アナウンサー”を貫き通した生き様は、きよぽんや奥田アナだけでなく、多くのCRKおよびKTVの後輩アナ達のお手本ともなった訳だが、そんな松本アナは、きよぽんが定年退社した年に、65歳でこの世を去った。TVから姿を消す前後から、体調を崩していたらしく、時よりきよぽんが“競馬博士代理”を務めた事もあった。恐らく若かりし頃の無茶が、晩年になって一気に吹き出たのであろう。今頃は天国で、多くの名選手とともに、高校時代を思い出しながら野球を楽しんでるであろう。(あ、もしかすると競馬を楽しんでるんかも。てことは…)