迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

“ミミ”と長田区と“ハチエモン”?!


きみやさん“我等ラジ関ジェネレーション月間”も、今回を入れても水曜更新分はあと2回となりました。で、タイトルを見て、『なんじゃコリャ?!』と思われたかも知れないが、これもCRKの歴史に関わる重要なお話。先週更新分でも触れたが、KTV関西テレビとSUN-TVサンテレビジョン、そして“Funky802”FM802(はちまるに)の開局には、実はCRKスタッフがおもっきし関与しているんだな、コレが。てな訳で、今回はCRKの“放送局開局にまつわる奮戦記”(なんじゃそりゃ?!)をまとめてみよう。(今回のフェイスプレートは、三上公也アナです。しかし、似てねぇ〜!!オイラのイラストの才能なんて、所詮はこの程度やなぁ〜。|||||||||orz|||||||||||)

そもそもCRKは開局当初から、放送免許(民営だろうとNHKだろうと、放送局を開設するにはコレが必要。しかも、各々の電波毎に取得してないと、開局できない。)を取得する時から、時の郵政省(ココが発給する)と大喧嘩していた歴史がある。(ココら編の経緯は、リンク先のラジオ関西ファン参照)で、この当時は後々TVも開局したかった事もあって、社名も“神戸放送”(通称:ラジオ神戸)としてたんだが、そのTVの免許取得で一悶着あったのだ。実は関西でのVHF方式(分かりやすく言えば、1〜12chの部分。)の割当枠が、民営分がひとつ(現在ABCが使用している6chがそれ。)しか無かったので、既存放送局vs新規参入予定局の“免許争奪戦”となったのである。(ちなみに関東ではNTV日本テレビ放送網が、すんなりとTV免許取得となった。)そこでABCとNJBは“呉越同舟”でOTV大阪テレビ放送を設立して、CRKKBS京都放送は各々単独で、そして新たに放送事業に参入したかった大阪産經新聞社と阪急が“関西テレビ”を創設して臨んだのである。結果的にはOTVの勝利となり、それ以外の放送局の申請は却下されたのである。その後、割当が改めて行われ、この時に産経・阪急・近畿テレビ(CRKとKBSの合弁会社)が合併して“大関西テレビ放送”として申請を出した訳である。こうしてやっとの思いでTV免許が取得できた訳だが、申請の局社の都合で大阪の西天満にスタジオを構える事となった。しかし、名称をめぐって混乱が発生し、結果的に阪急サイドの意向をくむ形で“KTV関西テレビ放送”と社名変更して開局となったのである。この開局に合わせて、CRKから松本アナ(前回の“NEXT”参照)等スタッフの一部がそのままKTVへ移籍したのである。これが今から45年以上前の話である。
それからおよそ10年後、今度はUHF方式(要は13ch以降のチャンネル)でのTV放送免許の話が出て来る訳である。この時には既に“ラジオ関西”に社名も変更してた訳だが、それでもTV放送は諦めていなかった。しかし、結局これも認められず、困り果てた兵庫県と神戸市は、もう一度神戸新聞社と手を組んで、改めて長田区にTVスタジオを設けて放送局を作ったのである。これがSUN-TVである。(のちに中央区ポートアイランドに引っ越すが…)この時にも多くのCRKスタッフがSUN-TVに出向→移籍となった。
で、この間にFMラジオ局の第一次開局ラッシュがあって、FM大阪もこの時期に開局するんだが、この時は主にCRKで活躍していたラジオタレント(DJ)の流出が相次いだ。しかし、制作スタッフの流出という非常事態とはならなかったようである。(もちろん、CRKもFM放送への移行を狙ってFM免許の申請を出したが、この時も却下されてしまう。)
1980年代末期、大阪の商工会議所が中心となって、民放第二FMラジオ局の開局に向けた動きが具体化して来た。それまでは、一地域にNHKと民放1社で、各自治体単位ではNHKのみというFMラジオの割当が“常識”とされていた。それが、放送免許の規制緩和を受けて、他の放送事業者がFMラジオを開局してもOKとなったのである。そこでこの動きが起きたのである。当然この話はCRKのスタッフにも伝わり、一部のDJも開局の暁には是非という話も舞い込んだ。これにいち早く反応したのが、この当時CRKFM大阪で活躍していた、“ヒロT”ことヒロ寺平である。そして1989年6月1日、80.2MHzという周波数をそのまま放送局名にしたFMラジオ局、FM802が開局したのである。で、ヒロTにくっついってったスタッフがこのFM局にCRKの放送スタイルを“伝授”したのは言うまでもなく、実際当時からCRKFM802は音楽のセンスとDJのノリ、そして番組の制作方法がほぼ“瓜二つ”なのである。(だから、CRKリスナーと802リスナーは、一部の番組においては、違和感無く楽しめる。)この第二次FMラジオ開局ラッシュに各地方でもFMラジオ局の開局が相次ぎ、スタッフもそれに伴い随時抜けていったのである。で、このラッシュ時に兵庫県下で開局するのがKiss-FMことFM兵庫なんだが、開局当時は神戸ではなく姫路が本拠地だった。(現在は正式名称も“KIss-FM KOBE”で神戸に本局を移したが、震災以降資金繰り悪化の憂き目にあって、期待外れな放送局に成り果てた。)
それじゃ、もうCRKは次世代放送参入への情熱はなくなったのかって?イヤイヤ、ご心配なく。兵庫県下のコミュニティーFMの殆どは、CRKとある意味“業務提携”を結んでいるので、DJや音楽のクォリティーは“保証済み”です。そう、CRKは各地のコミュニティーFMを通じて、開局当時のポリシーである“兵庫県民の生活に直結した番組作り”と“ローカルに徹した明るく楽しい番組の提供”をもう一度、提唱してるんです。これこそ、“CRKクォリティー”と言っていいんじゃないでしょうか。