迷馬の隠れ家 はてな本館

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あどランアーカイブ その9(スポーツの秋、“走り屋蜂谷”の話)


今月末で、“薫兄”とオイラが勝手に呼んでいる蜂谷薫アナが定年になる。アナとしての紹介は今月の“My favorite announcer”で取り上げるんでココでは書かないが、それでは収まりきれない“走り屋”としての部分…要するに“マラソンバカ”になった話を、番組での取り上げ方とともに書いていこうと思う。もうお孫さんもいるのに、去年のホノルルマラソンでも“サブ4”(マラソン・ジョギング用語で、フルマラソンで4時間以内での“完走”を意味する言葉。)という体力(てか、持久力と脚力)の持ち主が、番組内でどう“発掘”されたのか、ちょっと探ってみよう。

MBS最強の“ステイヤー”(競馬用語で長距離を得意とする馬)になるきっかけは実は意外と古く、小学生の頃にメルボルンオリンピック真空管アンプのラジオで聞いてた頃から、フルマラソンに興味を持っていたとのこと。で、薫兄ぐらいの世代だと、ローマオリンンピックや東京オリンピックでのアベベの活躍を知ってる人が多く、当然ながら薫兄もその影響を受けた一人。しかし、運動神経はどちらかといえば“鈍い”方だったらしく、運動会の徒競走は大の苦手(いつでもビリ)だったとか。それ故に、“マラソンを実況するアナウンサーになりたい”と夢を抱いたんだそうな。
で、何で“走り屋”に化けたかというと、そもそもはグァムでの駅伝に参加する為の予選会で、誰も予想してなかった展開になったのがきっかけとなる。が、その前に“予兆”はあった。それが“強制参加”させた、鯖街道縦走である。福井県鯖江から京都の出町柳までのおよそ75km(!!)を、塩漬け鯖が入った篭を背負って、かつての“鯖街道”と呼ばれた山道の国道を、一日がかりで“完歩”したのだ。この時、企画を立てたアナは途中でバテるわ、健脚を自慢してたアナは靴の選択を誤って、両足の皮が剥げる大怪我をするし…そんな中で一人気を噴いたのが薫兄だったのだ。
さて、グァムのトライアルレースに話を戻そう。この時は殆どの人が“若手中心”の結果になるだろうと予想していたのだが、この時点でとんでもない“番狂わせ”が発生したのだ。そう、この競走で1着になったのが、薫兄だったのだ。しかし、困った事が発生した。実はグァムでのレース当日は、日本ダービーの実況担当だったからだ。そこで強行スケジュールを組んでの“参戦”となったのである。つまり、レース前日ギリギリまで阪神競馬場(当時は中京競馬と日程が逆だった)で仕事をして、当日は第一区を走り、そのまま東京競馬場までダッシュしたのである。この“作戦”は成功したが、満足に走れなかった事が悔いとなった。そこで、ホノルルマラソンへの出走を思い立ったのだ。
こうして、42歳での“初めてのフルマラソン”は、番組内でのドキュメント企画となって進行する事となり、ファンの注目を集める事となる。そして本番、雨が降りしきる最悪のコンディションの中、3時間48分という記録で“完走”したのだ。(あの頃からずっと“サブ4”ってことは…どんな体力しとんや、薫兄って…。)
それだけで終われば良かったのだが、これで味を占めたのが運の尽き。制作スタッフは“もっと過酷なレース”を用意して、誘ったのである。それがサロマ湖100kmマラソンである。制限時間12時間30分、しかも10kmごとに“門限”があり、完走する為には最低でも10kmを1時間30分で走りきらないとダメというこのレース。しかし、そんなのおかまいなしで、9時間58分で完走…そう、“ウルトラマラソン”でサブ10を、いきなりやってのけたのである。だが、その翌年に参戦したホノルルマラソンで、タイムが前回より5分遅かった為、みんなから“もう、歳だからやめたら…”と言われた。が、ここで持ち前の勝負根性に火がついた。そして…その翌年のホノルルで最初のタイムを1分“更新”したのだ。
これ以降、もう“あどラン”スタッフは薫兄を止める事はできなくなった。むしろ、走りたい気持ちを尊重する様になって、“マラソンの企画”が立ったら、速攻で薫兄に振る様になったのである。その活躍ぶりはむしろ、生半可な事を言った若手アナへの“懲罰”としての役割をも果たす事にもなった。というのも、実は体力に自信のある若手程、薫兄との“勝負”には、こてんぱんに負けているのだ。
また、住之江競艇の選手の間では、“薫兄と一緒にホノルルマラソンを走ると、翌年の戦績が上がる”と言われてて、最近ではその噂を聞き付けた他場の競艇選手が、本業そっちのけで“ホノルル参戦”って事も発生してるらしい。(そもそもは、ある選手が薫兄と一緒にホノルルに参戦した翌年、賞金王決定戦で勝ち残り、見事優勝した事から噂が広まった。)
去年の大会ではゴール前で、たまたま娘夫婦が孫を連れて応援に来てて、ちょっぴり“カッコイイおじいちゃん”を見せつけた薫兄。今年も“還暦でもホノルルはサブ4で”を合言葉に、競馬の取材と称して栗東トレセンに行く度に、坂路でウッドチップを巻き上げながら走ってるとか。(←トレセンのネタは冗談だが、毎年夏場の小倉競馬場ダートコースで走り回ったのは“ガチ”でございます…苦笑)