迷馬の隠れ家 はてな本館

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あどランアーカイブ その11(“あどラン”放送日の一日)

今までは、“あどラン”の放送が始まるまでの歴史とかの話をやってきたが、今回は当時の放送日(毎週水曜日の深夜)の様子を、“あどラン本”一冊目を参考に書きおこしておこうと思う。当時のMBS在籍アナにとって、最も過酷な“水曜日”ってどんな様子だったのか、ファンなら知っておきたい部分。ちょっとオイラなりの“推測”も交えながら、解説していこう。

仕事開始は午前11時。この時間から制作スタッフ(カメラ等の技術スタッフとディレクター陣)の放送中の作業に関する打ち合わせと、アナ達の“作戦会議”(企画提出と協議)が、それぞれ別室で行われる。アナ達は三つの班に分けられ、その週毎に企画提出とそれに対する意見等を協議し、次のスタッフとの合同打ち合わせの場に提出する訳である。初期の頃はみんなヤル気満々で会議をしてたが、200回を超えたぐらいになるとアイデアが尽きて、毎週“お葬式”状態だったとか…。
午後1時、ココで制作スタッフとアナ達による、合同の打ち合わせと企画会議が行われる。今週放送分の番組進行の説明と、翌週以降放送予定の企画に関する会議が行われ、この場でさっきの“作戦会議”の意見をスタッフに告げる訳です。(原則として、一回やった企画は、よっぽどの事がない限り“続編”を行わないという決まりがあったが、スポーツ系の“チャレンジもの”は、ファンからの人気が高いため“継続審議”になりやすかったらしい。)
午後3時30分頃、当日のコーナー担当のアナとディレクターによる、個別の打ち合わせが行われ、この時点で当日の番組の善し悪しが決まるとのこと。番組内では最低でも、オープニングMC、“よってたかってインタビュー”担当、特集コーナー(最大で2回分)、エンディングMCの4部門の担当があり、それぞれに担当ディレクターが付く訳だから、班毎の打ち合わせは場合によっては“喧嘩上等”なんてことも…。
で、この間に美術スタッフ(大道具の職人さん達)が収録に使うスタジオ(千里丘時代はテレビ用Aスタ、茶屋町時代はギャラクシーホール)に“あどラン”用のセットを組み立て始め、当日の担当と“作戦会議”出席者以外のアナ達が、控え室でもある部署内(アナウンサー室)での“待機”を始める訳である。この時点で集合しているアナは、ひな壇(番組名物の“あの”セット)の中央付近に座り、当日の担当アナは左右の端に席がある。原則として、番組には“全員出演”が義務づけられてたが、例外として、スポーツアナの場合はプロ野球シーズン中は実況優先で、競馬実況アナの場合、栗東トレセンでの早朝からの取材(追い切り)を理由にサボる担当じゃない時は、欠席するケースが多かった。(特に酷かったのが、競馬実況アナ全員が“小倉出張”で欠席するパターン。まるまる2ヶ月は出てこなかったw)
午後5時、番組内で使う映像の編集や、コーナー担当スタッフによる最終リハーサルが行われ、当日の進行状況をビデオオペレーターやタイムキーパー等の指示に従い、細かい確認作業が行われます。本番1時間前の午後6時からは担当アナ達と合流し、最終のカメラリハーサル(カメラスタッフや照明の最終的な確認)が行われ、おおよその場合午後7時頃、当日放送分の番組収録が開始されます。収録時間は、番組の長さと同じ1時間ぐらい。実は番組そのものは、殆ど“ノーカット”で放送されるので、出演するアナ達やゲスト(名物コーナー“よってたかったインタビュー”での出演が殆ど)は、“生放送”さながらの緊張感で収録されます。従って、収録が終わるのは午後8時ぐらい。但し、時と場合によっては“二週撮り”なんてものあって、最大でも午後10時を過ぎるかどうか。収録が終わると、アナ達はそこで解散、それぞれの“業務”(若手の場合は宿直勤務、競馬実況アナの場合は栗東トレセンまでダッシュ…etc)に戻ります。
収録終了後は、制作スタッフによる収録内容のチェックと画像処理、そしてCMの差し込みを行って、午後11時35分(千里丘初期の時、茶屋町末期は午後11時55分)、いよいよ番組の“放映開始”という訳です。
ま、こんな騒がしい“水曜日”を14年2ヶ月もやってた訳ですから、スタッフもアナ達も大変だったのは確かです。しかも“優先業務および産休を含む病欠を除き欠席厳禁”だったわけで、年次休暇もカンタンには取得できなかったとか。