迷馬の隠れ家 はてな本館

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あどランアーカイブ その18(視聴率について)

手元の資料よると、“あどラン”の平均視聴率はおよそ10%程度。コレは、深夜番組としては高い方で、あの時代(1980年後半)の事情を考えると、かなりの水準ではある。しかし、現在の様に深夜でも数字が取れる番組が増えた状況下では、おそらくこの数字は、ここまで高水準で推移する事はなかっただろう。コレもひとえに、この時代の深夜番組がエロ・サブカル系から一般のプライムタイム(19時〜22時)で放送しても遜色ない内容の番組への移行が進んだ影響であろう。現に、かつての”11PM”の様なアダルトコンテンツは影を潜め、バラエティー系のコンテンツが隆盛を極めている。その先駆けとなった番組のひとつとして、ちょっと“再検証”してみようと思う。

この番組が放送開始された頃のMBSにおける深夜番組の視聴率は、1ヶ月平均で6%未満は“放送打ち切り”という基準でした。当然、“あどラン”は放送開始時には、制作サイドでも数字は取れないと践んで、既に次の番組を準備していたそうです。しかし、放送開始時からの1ヶ月平均が、当初考えてた数値よりかなり高めだった事を受け、本格的に水曜日の“定番”として機能する様、制作部とアナウンサー室、そして編成部がチームを組み、いろんな工夫を凝らして、“センバツ”明け以降の存続が決定した。
ちなみに“あどラン”における最高視聴率をマークしたのは、1985年11月6日放送分。実は、この時の“よってたかってインダビュー”のゲストが、当時のダメ猫…もとい、阪神の選手だった掛布雅之。つまり、“阪神優勝”の余波を受けてのモノで、この時に14.1%を記録した。しかし、この記録を超える様な視聴率は、後にも先にも存在しなかった。
この事について、努兄は“あどラン本”2冊目でちょっとコメントしています。それは、放送時間が開始時から大幅にズレた(TBSから放送される、全国ネットのニュース番組の終了時間が年々遅くなった)ことと、他局の番組改編状況が激しくなった事を受け、“あどラン”を取り巻く環境が厳しくなってきたからです。しかし、最後の一文で、現在の放送業界がすっかり忘れてしまった“心意気”を、見事に表しています。そう、“視聴質”の高い番組作りを目指したいと…。昨今の“視聴率競争”にウンサリしてる方、もう一度、そんな視聴率に拘らない番組を見たいと思いませんか?