迷馬の隠れ家 はてな本館

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あどランアーカイブ その19(賞レースと“あどラン”)

“あどラン本”をよく読むと、何らかの賞をもらってる事に気が付く。特にアノンシスト(“アナウンサー”の仏語訳)賞というヤツは、2冊目までに2回受賞している。この“アノンシスト賞”とは、TBS東京放送系のテレビ・ラジオ局を対象に、アナウンス技術に関するすべてで評価される賞で、各局の活動において特に優秀とみなされたモノがエントリーされ、全国規模で評価されたものが受賞する。ちなみに、テレビはJNN加盟が条件だが、ラジオは大概はJRN(ジャパンラジオネットワーク、TBSラジオ制作の番組を流すネット機関)に加入してる為、実はABCもラジオ部門で“参加”できるという“アナウンサーの賞レース”である。

以前、番外編で出てきた“邦楽とセッション”もこの賞(最優秀賞)をもらった訳だが、一番スゴかったのが1984年10月17日に放送した“新札vs旧札”という、ちょっとコント仕立ての特集だった。てのは、コレの内容がユニークだったという事と、アナウンサーだけで番組が成立するというかっきてきなアイディアがウケたからである。そのため、この特集コーナーは、アノンシスト賞で最高の栄誉である“グランダ プレミオ”(グランプリ)を獲得したのである。
この他にも、MBS社内でも優秀番組としての評価があって、何度かギャラクシー賞(系列に関係なく、すべてのテレビ・ラジオで優秀な番組に与えられる、日本の放送業界での賞)の候補として名を連ねた事がある。(そういえば、CRKの“王様ラジオキッズ”は、ラジオ部門でこの賞を受賞してたなぁ…。)
実のトコをいうと、こういった“賞レース”で、あどランが覇を競ったのは80年代前半から90年代初頭までの話で、いわゆる“千里丘時代”に集中する。そう、茶屋町にスタジオが移ってからは、勢いが失せて、とても賞レースに出せる程の特集をやる事ができなかったのである。それと同時に、他局もあどランを真似た番組を作る様になり、あどランが持つ独特の“面白味”が薄らいでしまったから、番組そのものが衰退し、終了してしまったのである。
また、80年代当時の社長だった方は“あどランファン”だったのに対し、その跡を継いだ方が“アンチあどラン”だったので、番組そのものを編成等に“圧力”をかけて潰したともいわれている。ココにも、ある種の“権力闘争”が見え隠れしているといえよう。
もしも、現在のメンバーであどランを“復活”させようとしたら、おそらく“番組の柱”となってくれるアナが“不在”なんで、2クール(約半年)も保たないと思う。やはり、みんなを“時代の波”に乗せてくれる、努兄みたいな“ちょいワルオヤジ”系のアナがいないと…。