迷馬の隠れ家 はてな本館

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あどランアーカイブ その20(セットにまつわるetc…)

せっかく“あどラン”関連でのオフ会をやろうという訳ですから、ここんとこご無沙汰していたネタでも。
“あどラン”のセットは、いくつかの時期によって区分できる。千里丘TV用Aスタに組んだ分では、オイラが見始める以前(放送開始からおよそ1年)は、ひな壇のセットの勾配も緩やかで広々とした間取りの割に、簡易テーブル付きの折畳みイスに縦置きネームプレート(つうか、黒板素材の三角柱にチョークで手書きした様な代物?)と、いかにも“急場で拵えた”って感が否めなかった。しかし2年目以降は、ひな壇の勾配がキツくなった分、いろんなシチュエーションに合わせたセットも組める様になったのはいうまでのなく、茶屋町に移転してからも、スタジオを効率よく使える様に工夫されていた。

ひな壇の勾配が急なタイプに変更になってからは、同じ折畳みイスでも“ディレクターチェアー”形式のタイプに変更され、しかも男女で色分けされていた。ただこのスタイルだと、初期のネームプレートが置けないし、コーナーでの使用時は画面での写り映えが激しく貧弱になるんで、専用スタンド付きの横向けタイプ(あどラン本2冊目の背表紙写真にも出ているヤツ)を作り、茶屋町移転までこのネームプレートが使われた。また、ひな壇中央をゲートにした為、必然的に登場したアナの役割が明確になった。しかしディレクターチェアーだと、中には肘掛けにもたれる太々しい態度を取るアナ(特に中堅)が目についた事もあって、放送開始4年目でひな壇に直に座る“ベンチタイプ”に変更し、このスタイルで茶屋町完全移転まで使い続けたのである。
さて、千里丘からの完全移転後はギャラクシーホールがその舞台となり、最初のセットは3〜4人がグループを作り、そこにテーブルを置いた形態でやってたが、やはり一部のアナがテーブルにもたれ掛る様な姿勢をしたんで、1クール(3ヶ月)後に撤去した。そうして“OVER&OVER”のジャケット裏の写真の様なスタイルで最後まで放送した訳である。
千里丘時代には一時期、視聴者もアナウンサー室に問い合わせたら“観覧可能”だった為、セットの一部が“視聴者観覧用”として組まれていたが、セットがベンチ型になって以降は収録中の“事故防止”とGAORAでの再放送(原則として、本放送を行った翌週の月曜日に“再放送”をやってた)を考え、視聴者のスタジオ見学を見合わせた。茶屋町に移転してからはこれらに加え、視聴率そのものが下落した事もあって、完全に見学を“中止”した。本当だったら茶屋町の方が交通の便が良い訳だから、スタジオ見学をガンガンやるべきだったのかも知れないが、千里丘時代に比べ世間が物騒になった為、結局“ひつじ長屋”収録以外で視聴者を茶屋町のギャラクシーホールに招待することは、最後までなかった。