迷馬の隠れ家 はてな本館

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あどランアーカイブ その24(遥かなる“北”の地にて…)

今朝のニュースで、北朝鮮が核実験を開始するという事を宣言したと報じられたが、こういった“北”の行動に関する報道は、“あどラン”が放送されていた時期には、そんなに報じられる事は無かった。言ってみれば、“あどラン”での単独取材以降、あらゆるメディアを通じて“北朝鮮”という国に対する現状を見る機会が増えた様に思える。しかし、この取材以降、某掲示板でまことしやかに語られる“法則”ではないが、番組そのものの勢いが衰えた様に思える。そしてこの取材は、努兄にとって制作局へ正式に移籍する事を告げる“惜別”を意味していた。

この取材に際し、企画通過からおよそ2年以上の準備期間が必要だった。てのも、北朝鮮への入国ビザを取得するのに、最低でも申請から1年以上待たなければならず、また、報道以外での“取材”という事を証明し、向こうの都合に合わせたスケジュールを呑まない限り、許可が下りなかった。しかも、日本政府も渡航に際しては、あまり生命の保証ができないモンだから、なるだけ出国の許可も出しにくい状況であった。そういった困難をクリアした上で、しかも許可されたとはいえ自由な取材なんてできないという状況下での行動だった。
実際に取材担当として登場したのは加藤アナだった訳だが、それはマイクの前の話であって、実際は努兄が裏で取材をしてたんだと思う。その裏話は“らじゼミ”で時折話していたが、映像の向こうにある“真実”は、結局番組を通じて伝わる事が無かった事を悔いていた。だからこそ、“もう一度訪れて、今度こそ真実を伝えたい”と何度も言っていた。それくらい、ホントは自分の言葉で“北の真実”を伝えたかったんだと、今のオイラには感じた。でも、取材に関して、以前(“My favorite announcer” vol.1参照)国交がなかった頃の韓国への取材を、TBSに無理言って行なった際と同じ様に、自己責任として“あどラン”からの“降板”を受け入れた。(実はこの数年前から、アナウンサーとプロデューサーを兼任していた。)
たまたま、この日の放送の進行役(オープニングとエンディング)が薫兄で、エンディング部分で、努兄の事をあまりにもサラっと言うモンだから、その時はどういう意味なのかわからなかった。しかし、番組を見終わって冷静に考えたら、涙が出てきて眠れなかった。彼等らしいと言えばそれまでだが、あまりにも唐突で、切なかった。それ以降、実はオイラ自身“あどラン”に対する熱が冷めていった訳である。その影響か、今手元に残ってるビデオテープの殆どが、薫兄中心(しかもマラソンネタw)になってしまったのはいうまでもない。