迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

正しい“学会員”とは…

ちょいと深夜に、学会員の強烈な折伏(しゃくぶく:要するに勧誘w)に遭ったと被害報告(苦笑)を受けた。一応オイラも学会員だが、話の内容を聞いてて、完璧に教義から外れた“おバカ”としか思えん態度に、同じ学会員として恥ずかしいやら悔しいやらで…w ホンマ、デリカシーのない布教活動は、他の学会員に迷惑をかけるだけだし、強引なやり口で勧誘する行為は、まったくもって三流マスコミの“思うツボ”ですがな。

御書講義をするつもりはないが、もっぺん“佐渡御書”とか“撰時抄”を読めと言いたいっすね。特に“佐渡御書”の最初らへんに出てくる言葉、

“仏法は摂受・折伏時によるべし”
というのは、“現在は末法だから…”といって強引に相手の言い分も聞かずに、相手の信仰の自由を否定する様な発言をやってはいけないし、自分の信念を曲げてまで学会の悪口を喋っていいモンではない。つまり、礼節も弁えず教義や内輪での地位を振りかざすのは、まったくもって山友と同じ。まして、公布基金の為といって、阿漕なネズミ講等に手を出すおバカは、真っ当な活動をやってる学会員の“敵”である。
“真っ当な学会員”とは、まず、学会上の地位や権限を一般人には振りかざさないし、ましてそれを理由に仕事をサボったりしない。むしろ、他人が嫌がる仕事すら引き受けてしまう程の“お人好し”でなければ、相手に通じない事を熟知してるモンである。当然だが、年上でも相手に非かあると感じたときは、電光石火の如く間違いを指摘する強さも秘めたモンであり、その裏付けとして誠実さを日頃から見せておく必要がある事を心得ている。だから、本物の学会員は、いきなり折伏はしないし、まして相手の弱みを突く様なマネはしない。(むしろ、オイラがヘンな事でヘコみ過ぎて、真光が布教に来た事あるけどねw)
まして、学会員は本来、“弱者の味方”であらねばならないからこそ、社会奉仕に尽力する宗教団体でなければならないし、その“拠り所”として日蓮仏法の神髄である“御書”を学ぶのである。つまり、宗教の本来あるべき姿である“民衆救済”の理念に基づいた活動をやってこそ意味が通じるのであって、ただ単純に“著名な方が評価してる”とか、“世界中に会員がいる”とかを“自慢”する様ではダメ。むしろ、さりげなく、世界の偉人か遺した哲学と、仏法…特に法華経の教えを実践してこそ“本物の学会員”なのだ。その為の戒めとして、本来だったら隠居の身であっても良いはずの池田大作名誉会長が矢面に立ってるのであり、そういった事にも気付かず顕正会バリの強引なやり口で折伏するなら、いくら熱心な学会員といえど、退転してるのと同じである。