迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

わかってねぇなぁw

今日、帰宅途中に某書店で本を物色中、宗教関連の解説本を見つけた。が、ぶっちゃけた話、目次だけ見て買うのをやめたw てのも、池田大作を“教祖”と表現してる時点で、創価学会はおろか、根本的に宗教を誤解してるとしか思えなくて、恥ずかしい内容だったからだ。念のために言っておくが、池田先生(学会員はこう称している)が“教祖”であるならば、初代の牧口常三郎や復興に尽力した二代目の戸田城聖は、学会にとって何者になるんでしょうかねw

これは、創価学会の規約にもある事なんで、再確認の意味も込めて解説するが、創価学会という組織そのものを作り上げたのは初代会長である牧口先生(そもそもは、実際に小学校の校長先生だったから)であり、戦後、壊滅的になっていた組織を躍起になって立て直したのが、二代会長の戸田先生(教育者であると同時に、起業家でもあった)であり、その戸田先生の下で薫陶を受けたのが池田先生である。で、この3人の歴代会長が創価学会の基盤を作った訳であり、その根底には日蓮が説いた法華経の教えがある。つまり、他の日蓮宗と同じく、本来は日蓮が“教祖”という事になる。ここを誤解してはいけない。
確かに、現在の創価学会は、一部のアンチから“池田教”と罵られている様だが、それは30年前の“遺恨”を考えれば、納得がいくハズである。そう、今から30年前の4月、突然の会長辞任劇があったのだ。理由は単純な話、あまりにも学会員が法主よりも池田先生を敬う(by:某宗門幹部w)が為に、日蓮正宗内での“上下関係”を明確にする為に下した、学会員に対しての一方的な“制裁”である。しかし、実際の話をすれば、信徒拡大に躍起になって、また、多くの寺院を寄進したのは学会員の浄財があったからであり、特に海外での布教を手助けしたのは、現地の学会員であった。それに対して宗門は、信徒を“手下”として扱うだけでなく、自分達が犯した罪ですら“信徒が身代わりになるのが当然”という態度で脅したのである。コレがさらにエスカレートしたのが、甲子園球場長居陸上競技場(現在の長居スタジアム)で開催された学会主催のマスゲーム以降の話である。つまり、“来賓として来てやってるのに、なんでワシらを存外に扱うのだ!!“という事である。当時は、会長と法主は“同列扱い”であり、基本的には僧俗の隔たりなくもてなすのが“礼儀”とされていた。が、コレが宗門にしたら気に喰わなかった訳である。つまり坊主としては他宗派と同じように、分相応の扱い…つまり、地位としては“高貴なる者”の扱いをしろという訳だ。だが、日蓮自身は、そういう“身分格差”を嫌った、かなりロッカーな僧侶だったのは、ご存知の通り。その“伝統”として、日蓮正宗の袈裟衣は、薄墨色で統一されている。(なんせ、異端児坊主扱いだったんで、他宗派の様な上質な袈裟を作れなかった経緯があり、以後、“質素倹約”は門下の弟子達の風習となった。その名残で、袈裟には薄墨色の生地が使われるようになったとかw)が、コレを勘違いしてるバカが“僧侶”を名乗っている事が判明した為、縁を切ったのが今日の学会発展の“キーワード”である。
ま、詳しい話はオイラよりも、婦人部や壮年部の幹部クラスの方が解りやすいだろうからそっちに任せるが、そういう部分の歴史背景を知らずに、他の“新興宗教”とごっちゃにされたら、それこそ他の宗派が大迷惑であるw 忘れては困るが、信仰の自由を保障されている以上、どんな宗教をやっていようとも、また、批判するのも大いに結構だが、一方的な見解だけでの侮蔑行為は許されない。批判するのなら、他宗派に対しても反骨精神を見せてナンボである。言い方を変えれば、きちんとした宗教哲学を習ってから、宗教を論じてもらいたいモノである。