迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

ネタバレ必至の企画モノ?!

今週末に、周辺住民や宗教に興味のある人を対象にした座談会がある。で、その“企画”に、学会員のみならず、日蓮宗諸派でも学ぶ広布史の中でも、特に一般信徒に対する“初めての弾圧”ともいえる出来事について、ちょっとした寸劇(てか、朗読劇?!)をやる予定である。その内容…いわゆる“熱原の法難”といわれる出来事に関して、なるだけ簡潔に纏めろと言われてんだが…オイラ流の解釈で言えば、今の民主党のやり方そのものが、まったくもってコレに近い状況といったトコだろう。なんせ、彼等がやらんとする“改革”の殆どは、公明党が与党時代に掲げた政策そのものの“否定”であって、尚かつ手柄を自分達のモノにしようという勝手論である。ま、結論から言うと、そういうばっか事やってるから、国民に多大なしわ寄せが来る訳で…w

閑話休題、この“熱原の法難”ってのは、歴史上に残る日蓮法華宗門における“ターニングポイント”で、しがない農民信徒が無実の罪…ただ単に法華経を信仰してただけなのに、投獄・処刑された法難である。その背景には、日蓮本人に対して不当に罪を被せる事が困難になってしまった事が、事の起こりといっても良い。なんせ、佐渡流罪後に起きた元寇(三災七難の他国侵逼難)がきっかけで、鎌倉幕府の執権、北条時宗日蓮の存在を無視できなくなった事が大きい訳で、コレのせいで、おおっぴらな迫害ができなくなった連中がいる訳である。そう、平左衛門尉と愉快な仲間達…もとい、以前から日蓮仏法に批判的な念仏&禅宗信徒が悔しい思いとする訳である。そこで、その妬みの矛先を日蓮ではなく、その弟子達…特に日興(後に富士派の祖となる、六老僧の一人)が布教しまくった農民信徒に向けて行った訳である。で、その中でも熾烈だったのが、熱原の下方の庄というトコの信徒さん達で、ここの中心人物が、後に処刑されてしまう神四郎、弥五郎、弥六郎という三兄弟で、彼等の事を後に“熱原の三烈士”と讃えられる事になるんだが、それは、純真な信心故の殉教だと言ってよい。
で、この熱原一帯を仕切ってたのは、実は平左衛門尉頼綱の甥っ子で、竜泉寺住職だった行智って坊主。コレが役人と結託して、無理難題を神四郎達に押し付けた訳である。もちろんそれは、日蓮の信徒を退転させる為の策略であり、ひいては、自分トコの所領である以上、その収益をガメようという魂胆があった。で、用意周到に仕掛けた罠に引っ掛かった神四郎達は、行智の策略…つまり、“自分トコの田畑を勝手に荒した暴徒”として全員が逮捕され、そのまま“鎌倉送り”になった訳である。当然そこには、平左衛門尉がいる訳だから、不当な裁きに遭ったのはいうまでもなく、中心人物の三人は打ち首に、残りの者達も下方の庄から“永久追放”という制裁が下った訳である。しかし、こういうコトやってる連中の末路って、毎度ながら哀れなモンで、この“事件”の14年後に、時の執権、北条貞時によって、平左衛門尉の一族郎党は壊滅する事になる。つまり、今までの不正がバレて、“超弩級のカミナリ”が落ちたって訳だ。
何度も言うが、迫害の“正体”ってのは、要するに自分自身の嫉妬に狂って、大事なモノを失った者がやらかす八つ当たりだって事。別の言い方をすれば、素直になれない自分が、他人の功績を羨むあまりに、すべてを破壊しようとする行為が“嫉妬”であり、そこから自分の地位や名声を利用して、他者を蔑んでいる姿が迫害や差別を生む結果となるのだ。そしてそれば、自分の“幸福”すら破壊する行為である事に気付かないから、災難が起こる度に“なんで自分が…”ってなる訳である。日蓮だって本当は、こういうバカを救いたかったんだけどね…。