迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite Contents vol.8(原点は人に尽くす事…)

さて、年末だってのにチャリティー番組の話である…といっても、今回は、かつてKBS京都で放送していた“かたつむり大作戦”なるチャリティー番組の話。実は、この番組こそ日本のチャリティー番組の草分け的存在であった訳で、この番組がなかったら、“24時間テレビ”も“チャリティー・ミュージックソン”も誕生しなかったといって過言ではない。ま、遅ればせながら“南田洋子 追悼”という訳で…

そもそもは、京都府滋賀県交通遺児…交通事故で親を亡くした子ども達を支援しようという呼びかけの下で始めた、放送局版の“あしなが育英会基金”みたいなモンで、交通ルールの啓蒙と、基金の呼びかけをやる番組として、長年やっていた番組である。しかもKBS京都は地方独立系テレビ局であると同時に、京滋エリアをカバーするラジオ局でもある。その利便性を活かして、時間帯毎にテレビとラジオで同じ番組を流し続けたのである。そして、そのメインパーソナリティーとして、長門裕之南田洋子夫妻が務めていた…一しがない地方局の“個人的な慈善活動”に対して、映画やドラマの撮影で京都に来ることが多かった著名な俳優が、夫婦揃って一肌脱いだのが、このチャリティー番組だったのはいうまでもない。
そして、こういうのに首を突っ込みたがるのが、あの大橋巨泉であり、コレをNTV系列に持ち込んだのが“24時間テレビ”であり、ニッポン放送へブッコんだのが“チャリティー・ミュージックソン”という訳である。ただ、主旨が変わってしまっているため気付かないだけであり、本来の意義から考えると、むしろ規模がデカくなりすぎて、巨泉の目論見から外れる事となり、どちらも数回で巨泉は自ら降板する事となる。しかし皮肉な事に、番組そのものは巨泉降板後、むしろ純粋な…というと語弊があるが、チャリティー番組としては成功した部類になり、すっかり夏(or冬)の風物詩となっている。
だけど、KBS京都は自身の経営が、バブル崩壊とともに訪れた“イトマン事件”に関連する騒動に巻き込まれ、事実上の経営破綻に陥った。そしてその事が、この番組に対しての風当たりを悪くさせ、その規模を縮小せざる得なくなった。そして、2005年の放送を最後に、活動を終えた…そう、30回目の放送を節目に、京滋エリアの交通遺児を支援する役目に終止符を打ったのである。その数年後に、長門夫妻に異変が起きた…その後に関しては、別件の話になるので割愛するが、そうなる前に、“ウチくる”という番組に夫妻が出演した際、KBS京都のスタッフからメッセージが送られたのは、こういった経緯があったからこそであり、その想いは、夫婦の胸の奥に、ずっと留まっていたと思う。