迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

やたらアクセスが増えたなぁ…と思ったらw

どうやら、2月度の座談会御書、および御書講義の拝読範囲が、コレだからであるw ま、オイラはあくまで、大雑把な解説しか書いていないのだが…

ま、この御書が拝読されるのは、学会員なら“決戦間近”を意味する訳であり、今年の場合は4月の統一地方選がある為である。(ま、もっぱらは“衆院選も今年中にあるんじゃねぇか”という予測もあってなんだがw)つまり、選挙体制に入る直前の時期だからこそ、学会員の弘教の原点に立ち返る必要性があるから、重要な御書を拝読・研鑽する訳であり、それを学ぶという事は、それだけ世界が混迷している証拠でもある。つまり、人間が本来の“人間らしさ”を失った状況だからこそ、哲学をもって“叱る”事ができる大人になるべきという訳である。逆に、重要な御書が出てこない時期というのは、そういった世間の混乱がない状態であり、平穏な時期だからこそ他の御言を学ぶ事も出来るだけの余裕があるって事…そう、創価学会をバカにしてるモンは見落としがちな話だが、学会員がヤケに活動を活発にしてる時は、何らかの“異変”を察知してる時であり、敏感なヤツはそれに呼応して一緒に行動できる。が、相手を見下しているバカは、それ故に重大なミスを犯す。些細な変化でも、あとから振り返って大惨事の“前触れ”だった事に気付かぬ様では、同じ過ちを繰り返す。そう、何度も言う様だが、戦争の発端なんて、結局は“人間不信”の行き着く先であり、その混迷の中で“確かなるモノ”を自分自身の意思で決めていかなければいけない。その責任の重さを知っているからこそ、対話をもって世間の“一般論”と戦わなければいけない訳で…。