迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

二月闘争って、なんだ?

学会員であると、2月は“伝統の月”と称して、3月16日まで“折伏フルスロットル”状態になるw この話自体は本来、“裏別館”でやるのがスジ…というトコなんだが、今週末の会合に、レポート纏めろと、地区幹部のおエラに依頼されたんで、一般向けに解説しておこうかと思う。ま、学会員だからこそ、ここんトコの歴史をキチンとやる事が、非常に重要な訳でして…
そもそも、学会員がいうトコの“二月闘争”とは、今から60年以上前まで遡る話で、創価学会が戦後の再興期に、二代目の会長に就任した戸田城聖が、75万世帯に折伏弘教を行う事を誓願した事に、その実現を目指して、当時24歳だった池田大作が、東京の蒲田の地で指揮を取り、たったひと月で201所帯の折伏弘教を達成させた事に由来する。当時の日蓮正宗の僧侶ですら、日本で75万所帯の折伏なんて不可能だとハナで嗤う程無謀な目標だと言われたのだが、この“二月闘争”を期に、コンスタントに弘教が実り、5年で“目標”を成し遂げた…という歴史がある。
では、なんでそんな事ができたのかと言えば、若き指導者は、組織の根幹は、最前線で奮闘する、最小単位の集団である“組”(現在でいうトコの“ブロック”)に着目し、その最小単位の人材を育成する事から始めた訳である。もっと言えば、大きな組織として一括して指導すれば、指導者としては非常にラクだし、主要人員以外にも、一応の説明義務を果たした事にはなる…が、大きいが故にサボる…もとい,末端にまで指導が行き渡ってる訳ではないし、結果を出せない会員が、そのまま信心を捨てかねない状況に陥る事になる。つまり、自身が“落ちこぼれ”であると思った時点で、民衆救済の為に活動してるハズが、その目的を見失い、引き篭もってしまう。そうなると“負の連鎖”が起きて、組織全体が瓦解する可能性が出てくる。そこを未然に防ぐ為に、まずは学会員としてのコミュニケーションを重点に置き、緻密な家庭訪問を繰り返した。最初は劣等感故の交流を拒む姿勢でも、何度もマメに連絡をくれる様になると、自然と人間の心理として、自分の“存在”を認めてくれる人がいる…という安心感が生まれ、それが連帯を生み出す事になる。そう、仲間内の事を思いやれる者が一人でもいると、そこに集い出す訳であり、これが、いくつも集まれば…諺でも“塵も積もれば山となる”って言葉がある様に、ひとつひとつは小さくても、集約していけば、その目標がむしろ“少ない”と感じる様になってくる訳である。こうして、会員一人ひとりの“やる気”を奮い立たせて、気持ちをひとつに重ね合わす為の、個別指導を行っていった訳である。
結果に結びつくとわかれば、どんな目標や計画であっても、必ず達成させる事ができる。が、最初から否定的で、且つ、行動を拒めば、いくら高い理想を掲げたとしても達成される事はない。言い方を変えれば、人材育成をしたいのであれば、失敗を貶したり、勝手に“できない”と決めつけて相手をバカにする様では、育たなくて当然。どんな失敗も、途方もない計画であっても、それに挑むと決めた者に対し、その心意気を汲んでやり、見守ってやる事で成長する…そう信じたからこそ、会合の合間にできるだけ家庭訪問や激励の手紙を送り続け、勇気付けていったからこそ、組織全体を纏め上げる事ができたと言っていい訳なのです。

オイラがイラストを描くのも、このBlogを続けているのも、全ては、自分の存在を認めてくれる人達に向けてやっているのであって、小遣い稼ぎなアフィリエイトや万人向けの商売として、それを行う気は毛頭無い。だからこそ、檜川アナに声を掛けてもらえた事は嬉しかったし、それが因で、“うまきん”クラスタにも認めてもらえた事は、金銭云々で得られるモノではない。それがわからない人程,金銭取引や関係者との裏取引だといった“あらぬ疑い”を掛けてバカにする。でも、どんなに遠回りになっても、結果がキチンと出る限り、希望を捨てない…信じてくれる人達に報いる為の行動は、これからも続く、途方もない戦(いくさ)である。強引な事をやって得られた結果なんぞ、何の意味もない。それをわからせる為にも、自ら課した苦行に挑むまで…それが、世間を変える原動力なのです。その“原点”こそが、創価学会において、“伝統の二月”と称される活動なのです。