迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

デモこそ民主主義?ふざけるな!!

民主主義ってのは、いろんな意味で“数の暴力”です…なんせ、多数決によって物事を決める訳で、その条件として参加者の過半数で議事の可否が決まる訳である。言い方を変えれば、選挙で当選した議員の一部会派が圧倒的多数なら、他の会派がどう対案を出そうが、選挙に行かない連中が議会を囲もうが、多数会派の意見“だけ”がまかり通るのである。それを許しているのは、選挙に行かなかった有権者であり、日本国憲法であり、そして天皇である…日本はあくまで立憲(君主制)民主主義であり、日本国憲法が認める権限内であるモノは、すべてまかり通るのが常である。つまり、憲法9条がある以上は、どんな安保法案があっても、それが実行される事はない…言い方変えれば、自衛隊が防衛のために近隣諸国の侵攻を牽制する行為をやりたくても“できない”のである。これが何を意味するか…これこそ、実は憲法改正を行うべきだという一番の“理由”であり、自衛隊が即他国を侵略する軍隊になるのではなく、国民の生存権を侵害してるのは、実は憲法そのものだという理由でもある。もちろん、憲法9条を守れたのは、今まで日本がどんな国際紛争にも参加しなかった事が全てであり、それを今でも“守れ”というのは、すでに時代的におかしい状態である。なぜなら、原油や食糧などの国際取引を行っている以上、その産出国や輸送ルートとなってる国が、なんらかのトラブルに巻き込まれれば、それに頼っている以上、たちまち“物資不足”に陥る。それこそ、戦時下の金属不足から社殿仏閣から釣鐘や金属製の仏像・御神体が回収され、それでも足りないからと、民衆から鍋や農機具を没収したという状況に陥りかねない。(もちろん、ここまで大げさにはならんやろうけどw)まして42年前の、OPEC加盟国内でのトラブルで原油が高騰しまくった影響で、世界中の経済がどうなったか、忘れたとは言わさん。
閑話休題、選挙の投票に参加せず、しかも投票率の低さが、既存政党の態度の悪さに辟易してる事に気付かず、政府与党を悪者にして報じるマスメディアに振り回され、肝心の“国民としての生存権”を無視して、“安保反対・原発廃炉”とシュプレキコールを挙げて騒いでる人達は、結局、自分の“正義・持論”に酔いしれ、自分と周囲の“関係性”を見てない。そして、自分の“正義”が完璧すぎて、それを破壊される事が許せないからこそ、他人の意見を無視し、自分以外を排除しようと躍起になる…あさま山荘事件内ゲバも、実は、極左過激派集団内での意見の対立がきっかけで、しかもその“原因”が、いわゆる“リア充爆ぜろ”な訳であるw 自分の意見に賛同して集まった“仲間”なのに、自分より裕福だったり、仲間内での恋愛関係が成り立ってる事が許せなくなった挙句、そういう人達を“裏切り者”として、主犯格は暴行を振るったのである。同じ理屈は中東厨二病がやってる行為であり、あまりにも自分たちの世界観が“完璧”だからこそ、そこからはみ出た“他人の幸福”が許せなくなるのである…自分が不幸なのは、自分自身が“そうなる事”を望んで選んだ“結果”なのにねw
つまり、民主主義が嫌になってきてるからこそ、それを破壊する方向へと民衆を導こうとして、メディアで自分の意見のみを垂れ流そうとしてるのであれば、それこそ民衆を“ナメとんか”と言いたい。まっとうな国民であれば、どんな事情があっても選挙に参加するし、場合によっては自分自身で立候補する。自分の“正義”がそんなに立派なモノであれば、それは自分の住んでる地域の状況を改善する事から始めて、その実績をもって証明する事が先である。“御書”の崇峻天皇御書の最後に、“不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ”という一言がある。つまり、自分の思い通りの世界にしたいのであれば、寧ろそれに似合うだけの振る舞い…自分が掲げる改善策を自らが実践して、多くの人々を納得させるのがスジだという事である。自分の我儘を押し通すのであれば、必ず他者と衝突するのは当たり前で、それを批判するのであれば、自分がどれだけ優秀なのかを実証しなければならない。が、だからと言って、他人の才能や理念を強引に破壊する権利は、誰にもない。自分にない才能を持つ者に対して、その才能を褒める事はあっても、それをバカにする筋合いはないし、誰にでもできる事を自慢してる様では成長はない。努兄も言ってた事だが、自分にしかない才能ってのは、常にバカにされがちだが、それを守るのに他人を攻撃する術を間違えれば、結局自分自身も不幸になる…安倍政権への批判は大いに結構、しかし、今国会で安保法制が本当に正しいかどうかを判断するには、現時点で下す様なモノに非ず。先の結果が“決まってる”のであれば、それを“未来”とは言わない。わからないからこそ“未来”なのであって、そこに委ねる以上は、それを批判する筋合いは一つもない。未来を見据えて…将来、この国が地図上から消えない様にするための“防衛”であって、それを批判して全てを失えば、一番かわいそうなのは、将来を嘱望された“未来の若者”である。その“責任”は、現時点での若者である事を失念してはならない。かつて学生運動やってた連中が、今の日本の中枢にいる事自体、どれだけ無責任な事か…ホンマ、歴史ってのは自分が“当事者”だという自覚無しでは語るべきではないのでしょうなぁ。