迷馬の隠れ家 はてな本館

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堺市が維新を嫌う本意…

正確に言えば“大阪府を嫌う”本意…実は以前にもこのBlog(はてダ以前の記事)で解説をしたのだが、堺市民…というより古くからの堺の住民にとっちゃ、“北摂の猿と一緒にすな!!”という憤懣が根底にあり、しかも大阪府の行政のあり方が“北摂の発展ありき”という疑念を抱いてるトコがあって、それがおおさか維新の会が提唱する“大阪都構想”そのものにイチャモンをつける遠因にもなってるトコがある。他府県民だと“はぁ?”な話かもしれんが、オイラぐらいの45歳以上の“堺っ子”であるなら、小学校時代に社会科の副読本として配布された“むかしの堺”なる堺市の歴史一般を学ぶモノを熟読してると、ある程度理解できる話なのだ。

その際たる“原因”ってのは、廃藩置県によって誕生した“堺県”という自治区の存在である。古くから、自由交易港であったり、高度な民主主義自治を築き上げた歴史があり、それ故に戦国時代において、織田信長が攻め込むまでは、周囲の諸国とは一線を介してた地域である。だからこそ、徳川幕府以降も大坂や京と同等の扱いで天領地の威厳があった訳で、それが明治政府誕生初期まで続く訳で、廃藩置県の際、大阪府とは別の自治体として設定された訳である。(で、そのとばっちりを受けたのが、現在の奈良県だったりするw)

で、大阪を“第三の首都機構”として据えたモノの、当時の北摂地方…つまり現在でいうトコの大阪市中央区以北は、主だった産業が乏しく、常に財政が危なっかしいトコだったのに対し、堺県はそのネームバリューと、近代化した重化学工業をいち早く取り入れたこと、そして何より繊維産業が“地元産綿花”で全部作れた事が大きかった。だから、財政面的に裕福な堺県を大阪府に“巻き込め”ば、財政健全化が図れると践んだ政府は、堺県誕生から10数年後に、半ば強引に大阪府への編入をやった訳である。言い方を変えると、大阪市が抱える借金を帳消しにしたかった大阪府は、政府からの打診で堺県を編入させた訳であり、堺県民が猛反発したのは目に見えた話である。現在の大阪市南部に位置する住之江区住吉区東住吉区平野区は、大阪市編入する以前は堺県の一部であり、そういう経緯があって、以前の大阪市民の都構想住民投票の際に“反対”の票を投じたと考えても良い訳で、堺市政令指定都市に昇格したかった背景には、一刻も早く大阪府の“南部地域軽視”な行政のあり方からの脱却と独立を願ったトコがある訳である。つまり、橋下市政の際に堺市と統合して総合区にしようと提案したのに対して、竹山修身堺市長が“反旗を翻した”背景も、実はそういうことである。

学会が公明党を結党し、初めて国政に臨んだ際、その“始まりの地”となったのは参院選の大阪選挙区である訳だが、大阪での選挙で勝つために重要視したのは、実は大阪市ではなく堺市在住の学会員だった訳で、だからこそ事ある(てか、国政選挙になる)毎に、堺の学会員が会合などで持ち上げられる訳である…つーのも、堺っ子は総じて京都人以上に煽てられること、自尊心を守ってもらえることを非常に喜ぶ傾向があり、だからこそ、衆院選でも選挙区議員を配する地域扱いになってる訳であり、同じ堺市民でも堺区や北区、東区在住だと、“最重要拠点”扱いでやかましいのであるw(南区や西区、中区は泉北ニュータウンがある関係上、美原区は“平成の大合併”でできた区なので、同じ堺市であっても、住民の温度差が全然違うw)言い方を変えると、堺の住民であることを理由に煽てられると、つい調子に乗ってドッタンバッタンするのが堺っ子…特に堺区に100年以上生活の拠点を置いてる人々の気質である。(そこんトコは、平野区の“平野郷”の連中と相通じるトコがある)そんな人々を納得させられる提案を出さない限り、大阪市住民投票で都構想が成立しても、堺市以南の泉州地域や南河内地方が反発するのは目に見えた話であり、場合によっては“堺県復活”や“国を相手に独立自治権をry”という極論がいつ出てきてもおかしくない。(かくいうオイラも、実は堺県復活を願う極論派であるw)

維新が本気で大阪都構想を完全に実現させたいのであれば、暴論批判覚悟で言わせてもらえば、堺市に府庁を移設して“堺府”にするか、堺以南の“独立自治権”を約束するかである。そのどちらも“呑めない意見”として却下するなら、堺市は最後まで大阪府に対し反発し続けることになるでしょう…それによって堺市そのものが潰れたとしても、大阪府そのものを“解体”できたなら本望なトコですから。