迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

Shin's Bar へようこそ 水無月の一杯

シン(以下シ):そうですか…もう17年も経過してたんですね、あの破竹の勢いは。
潤平(以下潤):え、またイミフな話からっすか?
シ:いやなに、今年の宝塚記念で、ミッキーロケットに騎乗してた和田竜二騎手の事ですよ。GⅠタイトルを獲得したのが、2001年の春天以来の話であり、一部のファンから“オペラオーの呪縛”から、やっと解き放たれた勝利という表現が出たほどなんですよ。
潤:ああ…そういう事っすか。そういや、そのテイエムオペラオーが先月17日に…
シ:ですから、勝利騎手インタビューでも、“オペラオーが後押ししてくれた”と答えてますので、よっぽどだったと思います…愛馬の死を悼むと共に、これでやっと“成長した”という実感が湧いたのでは…

(カランコロン…)

っと、いらっしゃいませ…
潤:ようこそ、Shin's Barへ…
ハルトラ(以下ハ):ああもう、何で今年阪神がBクラスやねん。
ロクさん(以下憲):まぁ…気持ち的にはわからなくないけど、でも、大概阪神が最下位や低迷してる時って、オリックスが好調な事ってよくある話だからなぁ…w
シ:おや…この店には初めてですよね?
憲:ああ、そうだったね。なんせ、ハルトラさんがトラに関する愚痴に付き合えって誘って来たモノですから…
ハ:ええやんか…ここは競馬だけやなく、様々なスポーツに関する話題、政治や海外情勢に関する話題など、様々な話を聞いてくれるトコやねんから。
シ:基本は競馬の話…ですけどねw ただ、ゆっくりとお酒を楽しんでもらうために、他の話をされても良い様に、我々は話を聞く事に徹しますから…
憲:なるほど…だから、競馬雑誌やスポーツ紙だけじゃなく、文字情報としてモニター画面にニュースのヘッドラインを流してるのか。
潤:偏った情報のみでは、判断できないことも多いですから…
ハ:それ、言えとるわ。昨今のニュース見てても、なんか意図的に、誘導尋問してる様なん多いやんか。
憲:ま、昔から、そういうトコはあったんだけど、ここ数年は、そういう傾向が顕著になってるというか…
シ:迷馬さん流に言わせると、インターネットの普及で、情報の発信源が既存メディアから個人のSNSアカウントに移行してるからってことらしいです。
ハ:それは言えてんな…ワイの倅も、それを活用して情報発信してんねんけど、タマに、意図を解せずに批判的な言葉を吐くモンもおるからなぁ…
憲:あー…いますね、そういうの。でもそれって、インターネットができる前から、結構ありましたよね。球場内でのヤジとか、番組に送られてくる投書とか…
ハ:…そういや、そやなw
憲:だから、送られて来た“声”に対して、番組内で紹介できるかどうかを、キチンと判断する技量が必要になるしね。ここんトコができてないパーソナリティーが増えた様な気がしてるんだけど、店主はどう思われる?
シ:同業者の大先輩に対して、意見すること自体憚るモノなのですが…あえていうなら、その裏方の構成作家やプロデューサーが、余計な差金をいれてるのでは?と、懐疑的になることがありますね…
憲:え…“同業者”って?
ハ:あ、説明してへんかったなw 店主のシンちゃんは、“生前さん”がロクさんと同じ、スポーツ実況のアナウンサーやってん。隣の潤平ちゃんなんか、“生前さん”は、競馬関係者やし…
シ:競馬専門でしたけどね…ラジオで実況してましたよ。
潤:僕は騎手でした。
憲:ああ、そういうことか。ハルトラさんが、前からボクに連れてきたい店だって言ってたのは。
シ:一応、俺自身…というより“生前さん”自身も、ラジオ局の関係者でしたからね…
ハ:ところでさ、今年の春のGⅠ戦線は、シンちゃんから見てどないやと思う?
シ:そうですね…一言で総括すれば“執念”でしょうね。クラシック戦線では、アーモンドアイの牝馬二冠達成をはじめ、皐月賞ではオルフェーヴル産駒のエポカドーロが戴冠し、ダートのフェブラリーSではノンコノユメゴールドドリームの連覇を阻み、春天ではレインボーラインが自らの脚を犠牲にしながらも鞍上の岩田騎手に勝利をもたらし…
潤:日本ダービーでは、19回目にして、そして福永家にとって待望の栄冠に手が届いた瞬間でした。
ハ:あ、そやったんかいな!! アレのおやっさん知ってるさかい、まさしく“悲願達成”やったんやな。
シ:それ以上に今年は、春アニメの作品で、競馬を題材にした“ウマ娘プリティーダービー”が、下馬評を覆して大ヒットしました…題材になっているレースの時代背景が98〜99年のGⅠ戦線であることや、そこで実際の実況を再現した様な台詞回しがあったりと、競馬ファンが見れば、思わず“その夢の先”が見たいと思わせる作品でした。
潤:確かにアレ…どの話も、事実に基づいて、且つ、さまざまな“If”を詰め込んでましたから、競馬を知ってる人でも、知らない人でも、一緒になって楽しめる内容でしたね。
ハ:せやけど、オグりんが放送の度に拗ねとったんやけど…
潤:多分、キャラの設定が“大飯食らい”という勘違いに対するモノかとw
ハ:あ、そりゃそうやなw よう走る馬ほど大飯食らいやってのは、競馬やってるモンやとよう解る話やけど、競馬知らんモンが見たら、そういうキャラだと思われるわなw

シ:さて…今宵の一杯は、ちょっと奇を衒ったモノを一つ、ご紹介しましょう。ウオッカ30mlと、ひやしておいたビーフブイヨン(ビーフコンソメでも代用可)60ml加え、よくシェイクしたら…ブルショットです。ブラッディメアリー等の、トマトジュースを使ったカクテルがある様に、一種の“飲むお惣菜”と言える代物ですが、これからの季節、食前酒がわりに塩分補給も兼ねて、飲んでみるのはいかがでしょうか。ちなみに、コレをトマトジュース60mlで割って、レモン汁を大さじ一杯加えると、ブラッディブルというカクテルになります。
憲:ははーん、オリックスバファローズ”にあやかったねw
潤:ご名答っすw

“無責任”なのは、ひょっとして…

散々ここでも書いてはいるが、安倍政権叩きに躍起な人ほど、その“無責任さ”からくる弊害が、顕著になる度に当事者が逃げてる様は、“無責任”としか言い様がない。どんな政策でも、一長一短があるのは当たり前であり、その“責任”を取るべきは、実は発案者よりも意思決定権を持つ人…即ち“自分自身”だって事に気付かないといけない。もっと言えば、知能が優秀とされる人らが“逃げる”背景にあるのは、自分が犯した事に対する“責任”を取りたくないからこそであり、故に高学歴ほど“ヒモ生活”したいとヌカす訳である。で、問題があれば、常に“攻める側”でいたいモンだから相手を見下す訳であり、批判して相手が屈する姿を見たいだけの変態なのである。

事業主が就労者にビタ一銭も“払いたくない”というのであれば、当然消費者とて“支払い拒否”をやる訳であり、どちらも“犯罪行為”に変わりない上に、どっちも結局は“不幸”でしかない。そりゃ、手元にある財産が目減りするのが嫌なのは解るが、かと言って使わずに溜め込んでも、国が滅亡したり、自分自身の人生が突然“終了”したら、今持ってる金銭や資産なんてのは“無価値”に堕ちる。本当に価値あるモノってのは、金銭による取引も活況なら、譲渡する側も受ける側も、精神的に“気持ちいい”モノでないと意味がないのであり、そこに対して“等価交換の理”が生じる訳である。言い方を変えれば、ダフ屋や転売ヤーが蔓延る最大の“原因”は、無理して手に入れる必要のないモノに手を出してる事に自分が気付かずにやってる事であり、なぜそれが“欲しい”のか、ちょっと冷静になって考える必要がある。ま、オイラも他人に言えた義理ではないが、世間から“どうせ飽きたら捨てるのでしょ?”と言われるようなモノを、しかも何気に溜め込んでる“理由”を考えた時、その“言い訳”が通じるか否かでも“答え”が変わるのであり、中古品でも様々な付加価値が付いてるモノが“高い”のは、その分相応の“意味”がそこにある訳であって、そこを無視して、勝手に他人の趣味を批判し、廃棄させようとする行為こそ、一番誤った考えである。

“価値”を決めるのは、どこまでも“当事者”だけの権限であって、他人様が勝手な判断で批判する様な代物ではない。一種の依存症とも言えるトコではあるが、だからと言って、無関係な他人に対して迷惑をかけてるかと問えば、大概はここで考え込む上に、自分のやってる行為こそ“犯罪”だと気付いた時点で謝罪することもできる訳だが、“自己の正義”に酔っ払ってる連中には、コレが全く通じない…自分の“思惑通り”でないことを許さないほど寛容さがないからであり、更に言えば、関連性を無視して、ともかく“自分の居心地いい環境”を維持できるのであれば、相手が誰であっても“攻撃対象”となる訳である。特に“後継者不足”とか、“人口流出が止まらない”といった背景にあるのは、大概、世代ごとのギャップに寛容じゃない事が起因してるトコがあり、様々な作業効率化のアイテムがあっても、それを“ズルだ”と決めつけ、否定してるから若年層から嫌われるのであり、自分と“同じ苦労”を強いるのも、結局は世代的に自分の時よりも“ラクしてる”様に見えて卑怯な感じがするからである…でも、ちょっと考え方をひっくり返すと、今の世代は負担を軽減するために機械化が進んでるだけであり、それを使いこなすにも、分相応の訓練が必要であって、それを学ぶのが“面倒臭い”となれば、いくら便利な機材があっても“使えない”訳であり、故に“卑怯”と罵る訳である。この“面倒臭い”を解消するための機材や方法があったとしても、結局は若年層から“学ぶ”ことが屈辱的なモンだから、取り上げて潰す方に向かう訳である…そりゃ、優れた技術があっても、それを使いこなせる“職人”が、その“後継者”育成を“面倒”と言った時点で廃れるのは必然的です。

“賃金を払わない”ということは、“仕事がない”と言ってるのと同じであり、就労者を愚弄してる態度です。同じ様に、学校が学生・学童に対してウエメセな教育を施すことは、その子供達が教育者となった時に、同じ過ちを繰り返す事になるだけで、いじめの根絶にもならなければ、様々な悩み事を、周囲の大人に、素直に告げることなんて無理です…今回の地震で、通学中の小学生が犠牲になったのも、本来であれば“安全”を確約してる小学校の“設備”が倒壊した上に、周囲の大人が、子供達のSOSに対して無視したことが、結果としてあの痛ましい惨状に結び付くのです。むしろ、行政は、“事勿れ主義”であるが故に、有事が起きない限り改善することはありません…なぜなら、税金を使うこと自体が“勿体無い”からです。“税金の無駄遣い”として、都市整備に掛かる費用や、福利厚生に関わる部分の資質を批判してる、ごく一部の“市民”の声に振り回されてる時点で矛盾であり、滑稽な話じゃないですか?その“根源”を辿れば、“自分自身”の立ち振る舞いが全てであり、批判された“相手”は、“自分”の生活に密着した部分を、陰で支えてる存在だって事に気付かないから、平気で“相手”をバカにする訳です。でも、ちょっとでも“自分”に繋がってる部分が見えると、その悪口、これからも吐き続けることできますか?そんな“無責任”なことが“できる”というなら、“全部自分でやる”という選択肢で物事を語ってみてください…できる人とは、その分相応に似合うだけの苦労をやってるのであって、一見自由奔放にやってても、実際は自分に“できないこと”にまで首を突っ込みません。それこそ、専門の技術者に任せた方が“安上がり”ですし、仮に“自分でやる”ということは、分相応に自分の“限りある人生”を、その分“だけ”無駄にすることを意味します。そういった事を踏まえると、安易に他人を叩く行為は、自分の無知さ加減を露呈する様なモノであり、単に騒ぎたいだけの迷惑な存在です。

煽るよりも沈黙を。

いやはや…まさか23年振りに大阪が大揺れするとは…しかも震源高槻市内(摂津富田付近)って、かなり宅地開発が進んだ地域じゃないっすか。SNSで散見される、大阪にある3つの断層帯(生駒・上町・有馬高槻)に囲まれたトコということだが、仮にこの後、震度7を記録する様な地震が起きたとしても、驚く必要はない…起こるべくして起きてるからだ。(詳しいことに関しては、ここでは伏せておく…)

今回のは完全に都市直下型であり、また、北摂地域で被害が出てることを踏まえると、同じ規模の地震が1週間以内に発生するとは限らない。何気に“関連付けた情報”を流してる輩が散見されるが、震災の多くは、どれが“本震”ってのはわかってないのであり、阪神淡路大震災でも、実際は東日本大震災と同じ様に、震源が“複数同時”だった可能性だってある訳であり、一概に言えないトコがある。故に、専門家でもない人間が、憶測や想像“のみ”で風聴するのはどうかと思うし、今必要な“情報”は、身の安全の確保よりも“動ける”かである…つまり、1週間以内に来るかもしれないモノに備えるにも、自宅に戻るにしても、重要なのは移動経路の確保であり、避難所生活で配給されるであろう物資の“受け皿”である。ここの部分が確保できてないと、マニュアル通りに避難活動や復旧作業を行うにも、どうにもならない訳である。23年前の阪神大震災も、実際のことを言えば、重要な交通インフラそのものがズタボロになったがために、必要な救援物資も、復旧作業もままならないまま1ヶ月以上過ぎた訳であり、その間に犠牲者が増えたのはいうまでもない。

更に今は、SNSで情報をバンバン流せる時代…中にはとんでもないデマが流れていて、現場に関係ない人が面白がって、余計な情報が拡散するザマである。故に、情報が余計に錯綜し、被災地に必要な情報そのものが流れず、避難や救助が遅れて犠牲者が増える訳である。現場で必要な情報は、現場で状況が把握できる人だけに任せたらいいのであって、余所者がスクープ求めてズカズカ荒らす様な行為は、言語道断である。

故に、被災地以外の地域が、平和そうにドンチャン騒ぎするのが、実は“正しい”のであって、その散財したモノが、被災地の産業を復興させる原動力になれば、これほど“正しい支援”はないのです。逆を言えば、一斉に“自粛”するのは、却って被災地が惨めになるだけです。人の不幸に寄り添うことも大事ですが、もっと大事なことは、自分と“関係ない”ことにまで首を突っ込まないことです…つまり、誰も自分の行動を気にしてないのに、自意識過剰で“大変だ”と騒ぐ方が、却って迷惑です。被災地住民が騒ぐのは、本当に大変なことが起きてるからこその話であっても、被災地以外の地域の者が、事に便乗して騒ぐのは、正直邪魔でしかありません。



被災して亡くなられた方に哀悼の意を、怪我をされたり、建物に被害が出た方々にはお見舞い申し上げると同時に、コレを喰い物にして関西をdisる輩や、政権批判に使おうとする市民団体に鉄槌を。

“税金”は何のためにある?

5歳児虐待死問題で、被害児童の親を叩くのはともかく、児童相談所を叩く人は、全く何も理解してないのではと、オイラは考える…だって、相談員の数や保護施設が足らないのは、完全に、そういった経費を“無駄”として批判した自分自身ですよ。更にいえば、データベース構築を阻害してるのも、警察や裁判所などの公的機関で情報交換の場を奪ってるのも、税金の“正しい使い方”を知らずに叩いた世論であり、その結果、凶悪な“育児放棄”を見逃してるのがわからないのですか?

何度も言ってるが、そもそも“税金”ってのは国や自治体を運営する上で必要な経費であり、それに似合った税収があってこそ、インフラも社会保障も確約できる訳であり、それを出し渋ってる様では、誰一人として救われなくなる。ここんトコを理解できてない人が多い事…これも、義務教育下で税金の使われ方と徴収する意義を、キチンと教えていない弊害であり、富裕層だけに負担を強いれば、何の見返りもない時点で逃げられるのは当然です。貧困層でもそうですが、何の見返りもない様な事業に、率先して手を出します?これと同じです。つまり、本来であれば、等価交換の理に則り、対等な価値あるモノに変換される事がスジであって、そこに見合わない事をすれば、誰でも“無駄”ってわかるんです…が、ここの部分で個人差があって、自分の中では過不足ない条件を提示しても、相手側が納得しないと話にならない訳であり、逆に相手の条件が、自分からしたらどうだろうと思うと、そこで交渉が決裂する事もあるのです。

では、何で“税金”に対して、こうも日本人は途方も無い“勘違い”をしてるのか?その一凶は、行政に依存してる割に、実感が“無い”からです…要は、医療費の幇助や公立学校の授業料など、それが“あって当たり前”になってしまってるからこそ、その“有難味”が麻痺しているのです。前回の話でも書きましたが、北欧やスイスが庶民に重税を課しても、それに見合うだけの行政サービスを充実させているのは、就学児童に対して税金のあり方と運用の是非を徹底して教えているからであり、それが理解できているからこそ耐えられるのであって、日本みたいに社会科の授業をエエ加減に手抜きしてないからこそです、もっといえば、社会の成り立ちや構図を、幼い時から学ぶ機会があるトコでは、低所得者生活保護に関しても、共栄共存のための支援であって、僻み根性で叩いてはいけないことを、現場で教えるからです。学び舎での序列があっても、校舎を出たら実社会の荒波に揉まれながら、地域の人々の手によって大事な部分を学ぶ訳です。だから、自分のことは“自分でやる”という意識と、自分“だけ”ではどうにもならない時は周囲に、場合によっては国や自治体に、簡単に依頼できるコミュニケーションが構築できる訳です。だから、スイスは財政が逼迫しても徴兵制を存続させてる訳であり、スウェーデンでは高度先進医療でも、国民であれば、ほぼ無償で受ける事ができるのです。それに似合うだけの“財政負荷”を、国民に強いてる訳ですから。

物事が東京に“一極集中”する原因も、結局は教育現場での指導のあり方だけでなく、それが地域全体で協議すべき話を、単に“現状維持”に拘るドアホのせいで廃れていく訳です。もっといえば、カウチポテトで物事を傍観し、様々な出来事を“他人事”として無視した結果、若年層の流出と、それ故の税収が減少して財政破綻をきたす訳です。“核のゴミ”に関してもそうですが、大体、大声で騒いでる人は、処分場の候補地に選ばれたくないだけであって、自分トコじゃなかったら、大概は賛成なんです…特に福島県をdisってる人ほど、あの原発事故以来“最終処分場になればいい”と、心のどこかで思ってる人が多い様な気がしてならないのは、そういうことなんです。でも、そこをひっくり返して考えると、日本中の原発を全て廃炉にできても、その核廃棄物はどこに捨てるのがいいか?仮に福島県全域を“最終処分場”としたら、そこから立ち退きで移住することとなった福島県民を、罵倒することなく受け入れられますか?まして、国や県から助成を受けてると言っても、それに似合うだけのモノを貰ってると思います?ここんトコを深く考えた上で、もう一度訊ねますが、“犠牲”に対してキチンと“代償”を払うと国や自治体が申し出ても、それに応じない“理由”は何ですか?

話があらぬ方へ行ったので戻すと、必要最低限度の職種と、子育てに不可欠な設備、健康管理のための医療機関、気晴らしできる娯楽施設…これらが全て“揃ってる”と思われるトコでも、若年層が流出する、移住者が定住できない最大の“理由”は、その地域に“発展性”が見出せないことに尽きます。歴史的建造物を保全するのもいいですが、その開発制限が本当に“正しい”のかを検証せずにズルズルと放置してるのであれば、当然ながら地域が衰亡するのは予想できます。また、再開発をやるにしても、単なる区画整備だけでは、地域が活性化することはありません。当然ながら、“子育てがしやすい”地域とは、単に教育施設が充実してるだけではありません。地域コミュニティが活況なトコとは、“地域で子育て”という意識が高いので、他所からの移住者であっても、生まれつきの定住者であっても関係なく、互いの信頼関係を構築させる事ができます…が、日本人の一番の“欠点”は、実はここの部分とも言われます。故に、虐待児童を見かけても、どうすればいいか“わからない”というのが実情であり、そこを逆手にとって虐待がバレる前に引っ越して、更に事態を悪化させることになるのです。堺の虐待死男児然り、三木の身障者監禁然り、行政“だけ”に問題を押し付け、他人事として聞き流してる時点で、人権擁護を訴えるのは、片腹痛い話です。

“働き方改革”を本気で取り組みたいなら…

先に結論を言えば、いつまで事業主(雇用主)に尻尾振った…というか依存した社会構造のまま堕落する気だって、就労者自信が気付き、行動を起こすことが肝じゃないかとオイラは考える。てのも、日本の就労体制は“終身雇用”が前提にあって、故に離職はそのまま“独立”を意味してるトコがあり、故に再就職となると、途端に“狭き門”となる。特に女性の場合、法律で産休&育休が取得できると言っても、現実的に言えば、なんらかの“理由”を付けて離職してくれる方が有り難がる傾向があり、故に“ワンオペ育児”が当たり前な風潮になる訳である。その背景にあるのが、企業の多くが高学歴を求めるわりに、それに似合う“職務”を用意してないどころか、人材育成にかかる費用を“無駄な経費”として計上してるからであり、また、学生の多くも有名大学のネームバリューのみ求めて、その先の計画自体が支離滅裂なモノだから、こういう“努力が報われない社会”に変質する訳である。つまり、労基法改正による高度プロフェッショナル職の“残業撤廃”ってのは、本来、専門技術を要する人材に対して、企業がタダ働きさせるのが目的ではなく、就労時間を固定化しない代わりに、早く仕事が片付いた時点で報酬(賃金)を払うのが目玉であり、一種のワークシェアを推進させるのが目的である…つまり、長時間ダラダラと拘束して働かすのではなく、短時間で効率よく人員を回し、賃金を時給制から報酬制へと移行させるのが目的だと考えると、話が早い訳である。

なのに、そういう話を聞かずに反発するのはなぜか?その背景を考えると、結局日本人…というより、アジア諸国の人々にとって、従来からある“カースト制就労形態”の方がしっくりくる訳である。つまり、自分の“役割”が固定され、生涯現役のままでいられるのであれば、就労者にとっても、雇用主にとってもラクな“人員管理システム”はない訳であり、しかもコレが、血統的背景に裏付けられたモノであれば、そこをはみ出さない限りは“安泰”なのである…つまり、いつでも必要な人員を確保し、人材育成も家族・親族間で“完了”するから、雇用主としては手間がかからないし、就労者も雇用主が無茶振りしない限りは子孫末代まで社会保障を約束してるモンだから、そこに安住する訳である。逆に、欧米諸国でそれがいち早く崩壊し、共和民主主義や社会共産主義などが定着したかと言えば、才能を売り込む場が設けられていた事に起因するトコがある…もっと言えば、それこそ宗教哲学に基づいた社会構造のあり方を学ぶ機会があり、それに対して批判的な一部の富裕層および為政者が、事ある毎に民衆にフルボッコされた歴史が繰り返された事による“反省”から、自分の事はできるだけ自分で決め、挑み続ける社会に変革した訳である。その結果、資源や食料に乏しい北欧や軍事的永世中立を謳うスイスでは、社会保障を充実させるために、国防軍備の増強・維持を図るために、国民に対してバカみたいな重税をかけてる。逆にアメリカの医療費がボッタ状態なのは、その分の社会保障を民間の保険会社に委託してるトコがあって、故に全体的な税負担が“少ない”って訳である。

中国が未だに社会共産主義で押し通せるのも、結局は民族的な背景として“性に合ってる”からでもあり、人口的に圧倒的多数派である漢民族が、他の小民族(特にチベット系民族)に対して人権無視な政策をやってしまうのも、そういうことである。つまり、“絶対なるカースト”であれば“絶対幸福”だという概念でゴリゴリやってるから対立するのであり、多様性を否定し、単一化による“管理のし易さ”を求めるからこそ、現在進行形で成立する訳であり、それを更に拗らせたのが、件の北朝鮮の“態度”という訳である。つまり、金日成一族の指導者がいる限りは、その幕下はただ付き従えばなんらかの“仕事”にあり着け、生活がある程度補償されるという“構図”がある以上、どんなに息苦しい生活を強いられても“耐えられる”という“実例”を作りたい訳です。しかし…こういう社会が民衆に受け入れられ、支持されるかどうかは、実際問題として“信頼関係”が構築されない限りは、どこかで必ず“崩壊”します。これは何も共産系国家のみに限らず、どこの国でも同じです。中東でも、サウジアラビアと他のアラブ諸国は、ムスリル(スンニ派)の戒律に基づいた主従関係があるトコと、そのアンチ的存在のシーア派による社会主義を確立しようと躍起なトコ(イランとかはそれ)があって、さらに話をややこしくさせてるのがユダヤ教徒達による自治国家であるイスラエルの存在って訳である。ぶっちゃけ、ユダヤ人はいろんな意味でアラブや欧米諸国から“嫌われた存在”であり、特にナチスドイツの“ユダヤ人差別”にあった背景には、金融やメディア、教育分野に与する人材の多くがユダヤ人であった(更に、一部のユダヤ人がその権限を鼻に掛けて、他人をバカにしまくった)がために、多くの民衆から恨みを買った訳である。ここら辺の背景を在日外国人(特に朝鮮・韓国系や中華系)に置き換えると、ほぼ“同じ事”が繰り返されている訳であって、そこんトコを教育現場では一切触れずに道徳や社会科をやってるから、余計にこじれる訳である。

話が飛び過ぎたんで元に戻すと、いろんな意味で日本が国として成熟するには、まだまだ過渡期な状態であり、もっと深い部分での社会の有り様に対して、民衆が鋭敏にならないといけない時なのに、未だに“ぼんやり”してるのは、本当に“有能な人材”を排斥して、社会構造としての単一化・均等化を求めたからです。だから日本語でも“標準語以外禁止”とか、数学や理科のテストで教師が教えた方法以外での回答を禁止したり…といった、“金太郎飴”教育がまかり通り、有名私学や国立大以外では就職先がないからといって“無駄な受験”を推奨したり、その先の人材育成を“外部発注でエエやん”ってことになる訳です。そこんトコを“変える”となれば、反発が出るのは当然の流れです…だってそこまで知恵が回らない様、教育現場がクズ過ぎる事をやってるのですからw

Shin's Bar へようこそ 皐月の一杯

シン(以下シ):今年も、日本ダービーが終わって、また新たな優駿への挑戦が始まるんですね…。
潤平(以下潤):あ、そっか…今週から2歳戦が始まるんだ。ところで…今年は誰が“ダービージョッキー”になったんっすか?
シ:迷馬さんの情報網によると、今年は金子オーナーのワグネリアンが優勝し、福永祐一騎手が19度目の挑戦にして、ついに栄冠を手にしたようですね…父親である洋一氏が、“天才”の名を欲しいままにしていながら、現役時には叶わなかった宿願が、ついに果たされたって事ですね。
潤:毎日杯での落馬事故で、首より下の神経が切れてしまい、再起することすら叶わなかった“夢”を、その息子が叶えた…血統の面でも、父ディープインパクトBMSキングカメハメハ、母方の祖母もブロードアピールと、ある意味純血過ぎるほど所有馬血統だけでダービー制覇って、凄まじっすね。
シ:それだけ、オーナーが名伯楽だってことの証左だよ。そして、その信念で天皇賞制覇にこだわったメジロ軍団と同じだよ…オーナーの宿願は、多分多くの日本の競馬サークル内での宿願でもある、この血統での凱旋門賞制覇だと思うね。
潤:凄い…本当に叶うと良い、壮大な夢ですよね。
シ:それは言えてるね…

(カランコロン…)

っと、いらっしゃい。
潤:ようこそ、Shin's Bar へ…
マーグ(以下グ):ういーっす…悪いが、今日はオールドファッション…いや、ワイルドターキーをショットで。
シ:え…どうかしましたか?
ジャスディ(以下ジ):いや…競馬とは関係ないんだけど、ちょっとマーグさん、よっぽどショックだったんで、お連れしたんです…僕も他人のこと、言えた義理ではないんですが。
潤:ジャスディさんの口振りだと、マーグさんにとって大切な人が、“こっち”も来られたって事っすか?
グ:大切というか、仕事上での付き合い多かったヤツだよ…まさか、こんな早くに“こっち”来るなんて…
シ:詳しいことは詮索しませんが、あまりにアルコース度数が強いお酒を、しかもストレートで飲もうとされてるトコを見ると、相当気が落ち込んでる様ですね。
グ:オレも大概無茶したクチだから、他人のことは笑えないさ…しかも、結構面倒を見てたヤツだけに、オレとしては、もっと生きてて欲しかったよ。だが、マスター経由での情報見てると、バカヤローって叫びたくなったよ。
ジ:で、あんまりにも気が滅入ってる様なんで、気晴らしになるかなぁ…って思ったのですが…
潤:“気が滅入る”って話だと、僕らの場合は落馬事故…それも自分が怪我するだけならともかく、騎乗馬が予後ったり、他を巻き込んだりした日は、加害者として、滅入ることもありましたよ…
ジ:あ、騎手でもそういう事、あるんだ。
潤:無い訳ないっしょw でも…僕の場合はガチな話、周囲に迷惑をかけましたから…
シ:その話をすると、余計に湿っぽくなるからやめなさいって。
潤:でも…
グ:すまん、オレのせいだな…いつもなら笑い飛ばして終わりだが、今回ばかりは、ちょっと…なぁ。
シ:ま、それだけ落ち込むほど、気にかけていたって事ですよね…
グ:………一番、悟られたかねぇヤツに、こうも見透かされると腹立たしいというか、情けねぇというか…シン、何か面白い話題、ねぇか?
シ:面白いかどうかは個人差がありますからなんとも言えませんが…今開催の東京、および、阪神でのイベントから、注目すべきイベントをピックアップしましょう。まず、東京競馬場では今週末、安田記念が開催されますが、レース当日の3日、これに合わせて、ゴール前特設ステージで11:45からと、スタンド内のセンターコートで13:55から、フジテレビのレジェンド、盛山毅アナと大川和彦アナによるトークショーが行われます。以前、迷馬さんが紹介したグリーンチャンネルの番組、“競馬書記 語り部たちの記録”でも登場した盛山アナと、そこには登場しなかったものの、今でも根強い人気がある大川アナの、現役時の裏話や競馬に関する私的な考察などが語られるかと思われます。また、同日には、現在放映中の深夜アニメ“ウマ娘プリティーダービー”の特設ブースが設けられ、ターフィーショップでは、関連グッズの先行発売も行われるとのことです。また、アニメ関連のイベントとしては17日に、この冬の深夜アニメ枠では話題騒然となった“ポプテピピック”のコラボスペシャルイベント“ポプテピ記念@東京競馬場”が開催されることになっていて、ポプ子とピピ美がターフィーに代わって、11時と13時に場内をグリーディングするとのことです。
潤:僕の方からは、阪神競馬場での注目イベントを紹介します。中央競馬の開催競馬場では初となる“サンクスホースデイズin阪神競馬場”というイベントは、10日に開催されます。これは、競走馬の多くが引退後、記録上では“乗馬”として各地に送られていますが、現実を言えば殆どが、動物園の肉食獣の飼料として、あるいは加熱用の食肉として加工されてます。こういった現状から、一頭でも多くの競走馬が、“第二の馬生”を全うできる環境を…という主旨の下、馬に携わる全ての人が、愛馬に感謝するイベントとして、現在全国で巡回開催されています。で、今回は阪神競馬場で、引退馬の現在の様子をパネル展示し、関連のトークショーとチャリティオークションが、全レース終了後の16:20から、パドックで行われる予定となってます。また、前日の9日と、サンクスホースデイ当日の10日には、ピクニックガーデンフェスタが同時開催されます。こちらは、阪急ハイキングイベントとの連動企画で、9日は、会場をゴール地点と定めた小浜宿からのウォークイベントが、10日は毎年、阪急正雀工場で行われる“春のレールウェイフェスティバル”の“出張版”として、イベント広場で開催されます…あんまし、競馬と関係ないイベントが主体って、どうかとは思うんですがw
シ:阪神の場合は、メインはあくまで宝塚記念だし、東京開催と違って、コラボ企画を行うには場所が狭いからねぇ…その代わり、競馬色が薄いイベントがやりやすい場所ですから、どっちかといえば牧歌的ですよ。
ジ:へぇ…競馬場って、競馬以外のイベントもやってることがあるんだ。
シ:古い実例で言えば、園田競馬場でバスまつりを開催したこともありますからね。時期的なモノを考慮したら、競馬場で競馬以外のイベントをやることも、実はできなくはないんですよ…ただ、場所柄、どうしても、そういうイベントの開催が“難しい”と難色を示す主催者が多いので、なかなか浸透しませんが。
グ:だろうな…けど、両方共、競馬抜きで競馬場へ来ても“楽しめる”って意味では、面白い企画だよな。
潤:最近では、開催時に合わせたグルメイベントも拡充してますし、単純に“鉄火場”としての競馬場からの脱却を図ってるトコが見受けられますよ。
グ:おう、確かにそれは言えるなw 昼間から飲むビールは背徳感があるが、休日の昼間、しかも競馬場なら、場所が場所だけに許されるよな。
ジ:野外イベント…というか、スポーツ関連だと、ついついねw

シ:では、そろそろ今月の一杯を…ダービーウィークも過ぎましたし、夏向きなモノでも作りましょう。ココナッツリキュールのマリブを30ml、ブルーキュラソーを10mlを氷を入れたコリンズグラスに注ぎ、トニックウォーターで割れば…マリブサーフです。チャイナブルーのココナッツ版ですが、ライチと違ってココナッツ特有の甘い香りは、まさに南国リゾートの雰囲気な一杯です。
潤:ブルーキュラソーを使うカクテルって、その色合いが好まれるトコがありますね。
シ:だから、トロピカル系カクテルでは、ブルーキュラソーは汎用性があるんだよ。元々は柑橘系フレーバーのリキュールなんだけどね。
グ:どっちかといえば、この色合いは、オレよりカイル向きじゃね?でも、まぁ…トニックウォーターの苦味が味を引き締めてるな。

“弱者”を虐める人の心理…

日大フェニックス騒動が、鎮火する気配がない状況において、件の学生が会見を開き謝罪した事について、敢えてここでいえば、メディアを使ってまで、将来有望なアメフト選手を、何の権限で組織は“潰す”方へ向いてしまったんだとしか言えない。それに、こういうのって、諸先輩が築き上げた影響や功績に対して泥を塗り、恥を掻かすようなモノであり、あまりにも惨めだ。

以前にも書いたとは思うが、いじめの構造ってのは、結局は様々な依存症と一緒で、その要因の一つに“絶対服従”という条件が加わる。つまり、指導者自身が自分自身の“思い通り”に組織が機能しないと、その“責任”を、立場的に“弱い”幕下に擦り付けた上で、たまたま事が上手くいっても、その“功績”を横取りした挙句、自分が指導してない話にまで首を突っ込んで自分のモノにしようとする訳である…子供の時なら、それはそれで、周囲の“大人”が事を俯瞰して見た上で注意・指導すればある程度まで防げるが、分別がつけられる世代になると、それを行うのは当人次第に変わる…この時に周囲の“大人”から受けた指導がモノをいう訳であり、ここの部分が欠落してると、当然、その下で指導を受ける学童は、それが“当たり前”になってしまう。

宗教団体でもそうなんだが、人材育成を行う上で、一番重要になるのは、結果論“だけ”で判断せずに、失敗は失敗として認めた上で“次に繋げる”事に重点を置く事であり、その“模範”となる姿勢を、自らの立ち振る舞いをもって示す事にある。故に、盤石な組織ほど、“異体同心”という概念から人材を育成する訳である。ただ…ここんトコを履き違える指導者が一人でもいると、そこから組織は壊滅することが多く、今回のケースだと、まさに、そういう状況に陥った典型的な話になる…指導者に対して“絶対服従”こそが組織として盤石なモノにするという概念で、学生を蔑ろにしたのであれば、もはやアメフト部だけじゃなく、日大そのものが“そういうクズの集まり”という風に見られかねない事態であるってことだ。それは引いては、多くのOB・OGに対して泥を塗る行為であり、背任でしかない。

“異体同心”の概念は、立場や民族の垣根を超えて“一つになる”事を意味し、また、多様性を認め、存在を互いに尊重し合う姿勢でもある。故に、“同じ志”の下において、上下貴賎の隔たりは一切無い事を意味し、条件や立場が違っても、だからこそ“支え合う”ことができる…相互関係が一見希薄なモノであっても、必ずどこかで関連するという意識を持つことで、“相手を敬う”ことの本意を知ることができるのが、この“異体同心”の考えの一つである。故に、自分の“思い通り”にならなくても、結果オーライなら、それが“正解”という訳である。

では、何で件の指導者(監督・コーチ陣)は、将来を嘱望された、自分の幕下に対して愚行を指示したのか?たった一言でいえば、“伝統”というモノを履き違えた上に、過去の栄光に縋って奢れてるからこそ、自分自身がやらかした事に対して逃げようとする訳であり、こういう醜態を晒す輩が“指導者”を騙ってる時点で、組織としての危機管理が全然なってないだけでなく、完全に腐敗してる事を意味する訳である。言っちゃ何だが、まだ成人なったばっかの“学生”が、自分が好きで飛び込んだアメフトから“離れる”という決断を下すことが、どんだけ勇気がいる行為なのか、そしてそれは、他の選手やアメフト関係者を“守る”ために犠牲を払おうとしてるか、そんなことすら気付かないのかって話だ。

もちろん、穿った考え方をすれば、こうでもしないとアメフトを“見てもらえない”という思いがあってやったのであれば、それこそ愚行でしかない。マイナーでもいいんですよ、本当に価値がわかる人だけで楽しんでる分に関しては。けど、もっとメジャーなモノにしたいって思惑があるのならば、それこそ地道に啓蒙活動するしかない訳であり、そこをすっ飛ばして人気者になりたい、著名になりたいと思うのであれば、それこそ重篤な犯罪をやればいい…一発で世間に名を知られ、誰からも注目される反面、その罪の重さ故に、罵られることを覚悟しなければならない。当然だが、犯した罪が消えることもなければ、それ故に世間から四六時中、批判の的になり続ける訳であり、どんなに慈善活動に汗を流そうと、しつこいぐらいに“偽善行為”と批判され、罵倒され続ける事になる。その“尻拭い”のために、関与した者全員がどれだけ苦労し、擁護する度に傷付くか…真の“指導者”であるなら、地位や名声よりも、自分を信じて付いてきた若輩者を守り、庇うために犠牲になる。後陣もまた、その恩義を忘れず、次世代に対して同じ施しをやることができて当然…そこを履き違え、自分自身を“絶対君主”として幕下に傍若無人を働いたなら、その報いは、必ず自身の身だけでなく、属する組織、更には親族縁者に対してまでも、厄災となって降りかかる。自分の振る舞いによって、一番汚されたのは、先人達がここまで連綿と築き上げた伝統と格式であり、師弟という名の“信頼関係”に他ならない。