迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

GQ(ガーディアンクィンテット)の健・康・第・イチw 2018年10月号(スマホアプリでチェックチェック)

テ:ども、マーティです。
シ:皆様こんばんは、シンです。

テ:さてさて…以前、ボクが担当してた“まじプラ”を、ちょっと形式を変更して復活させるよって、マスターに連れられたんですが…なあ、シンちゃん、このタイトル、どう思うよ?
シ:(;´審`)=3ま、いつもの迷馬さんらしい洒落というか皮肉というか…w
テ:あ、やっぱりw


気を取り直して…今回のテーマは、スマートデバイス…ま、スマートフォンタブレット端末に健康管理のアプリが、初期アプリとしてプリセットされてる事が多いかと思いますが、皆さんは活用された事がありますか?
シ:迷馬さんは現在、iPhon 8を利用してますが、この中にも、ヘルスケアというアプリが初めから用意されているのですが、これには、歩数計やランニング等で動いた距離、階段移動での昇降数を、自動的にカウントする機能の他に、Appel Watchに搭載されている心拍センサーと連動して、心拍数や転倒回数等も計測して記録することができる様になってます。また、オプションとして、血糖値や血圧、体温、血中アルコール濃度等、健康診断などで得られたデータをも記録することがカニ打になってます。
テ:つまり、継続して録っておきたい体調変化を記録できるってことだね。
シ:そうですね。迷馬さんも、今回の入院以降、血糖値のデータだけは、測定後に血糖値自己管理ノートの記載漏れを防ぐ目的で、使ってるみたいですよ…ただ、その時に使ってる“合言葉が…
テ:つまり、このタイトルにもかかってるって訳か…w

(削除注意…w)

 

シ:ま、そういうことですねw
テ:今回はiOSのアプリのみの話でしたが、Androidスマートデバイスでも、同様のアプリが存在してます。また、また、服薬の記録をつけ服用してる薬を記録する、“おくすり手帳”のアプリもありますから、これらを活用することで、嵩張る記録紙に悩まされる事は、ぐっと減るとは思います。しかし、あくまで電子媒体である以上、放電や機器のトラブルによって記録してたデータが、完全に消えてしまうこともありもあります。ですから、バックアップを常に行うことと、医療機関にかかる時は、常にそのデータの掲示ができる様、デバイスを使いこなせる様になってください。特に音声入力で記録してる場合、デバイスによっては正確に聞き取れないで誤訳することがあります。機械化で便利になるのは良いですが、それらが使えない時のためにも、アナログ的なそれらが使えない時のためにも、アナログ的な記録の付け方でデータを残すこともお忘れなく…dそれでは、また…お相手はボク、マーティと…
シ:シンでした…

血縁者であっても他人は“他人”

SNSで、真贋不明ではあるが、こんな話が流れてたw

 

学会員感覚で言えば、“折伏”を理由に他宗派…特に創価学会を排斥しようと躍起になってる宗教団体の長の子息が、“宗教的理由”から反抗して、組織から離脱してる時点で因果応報な訳であり、むしろ“正しく宗教を理解してんじゃん”と褒めてやりたい話であるw

 

宗教の本懐とは、どこまで行っても“心の拠り所”にして、正邪を見極めるリトマス試験紙的な存在である。故に、“来る者拒まず、去る者追わず”が鉄則であり、信心根本で組織に属する者であればある程、信仰心で意固地になるのはともかく、だからと言ってその“正義”を安易に振りかざすのは“邪道”なのである。言い方を変えると、他宗派・他民族の風習や慣例を頭ごなしに否定したり排斥する行為は、却って相互理解の阻害になるとされる。これは日蓮大聖人自身も、五重相対(ごじゅうのそうたい)をもって指摘してる部分であり、特に“内外相対(ないげそうたい)”は、自分の言い分が本当に“正しい”とするなら、他者の異口同音を参考資料として提示すべきであり、また相手の言い分が“正しい”と思ったら、自分の“正義”と照らし合わせ、差異がない事を認めるのが筋である…としてる。故に、“御書”の多くは、法華経のみでなく、多種多様な仏典や、儒教等の他宗派の哲学を引用し、法華経の行者としての生き様を説いている訳である。

 

これは何も、宗教に限らず、あらゆる組織内で言えた話で、外部の人間から不正や違法行為を指摘されても、それがどうして“いけない事”なのかがイマイチ理解できてない人に説教したトコで、その寸志を改められるのは稀であって、大概は内輪において“不正ない”として処理されるか、外部へ告発した“戦犯”を探して“晒し上げ”するのがオチである。しかし…そういう組織というのは、遅かれ早かれ崩壊するのが“お約束”であり、栄枯盛衰の理とは、まさにそういう“組織腐敗”そのものを指す。そして、その方向性が内部分裂によるモノか、外部・第三者に手によって粉砕されるかの差であって、どっちに傾いても悲惨な最期しかない。

 

栄枯盛衰の理は、もう一つの側面から見た時、決して“絶望的な状況”を指しているのではなく、様々な“可能性”が提示さてた上での“選択”であり、永続的に存在し続ける組織とは、単に伝統を守るだけでなく、様々な“可能性”に賭けて挑み続ける姿勢を決して崩さない…だから、一時的に経営難になろうが、次期指導者不在から空中分解しかけたとしても、必ずそこから這い上がって、再び存在感を示すことができる。任天堂が海外で畏怖の念でゲーム業界に君臨し続けられるのは、人気コンテンツを有してること以上に、他の業種から見ても、企業としての歴史が連綿と続いてることが大きい訳である。地味に歴史がある企業ほど、単に古い技術を維持してるのではなく、そこから生き残りを賭けて、様々なことに挑戦している…もちろん中には、それ故に業績悪化したことがあっても、それで元の組織が潰れたとしても、必ずその関係者が威厳を復古させるために躍起になって、故に大成する…一過的な“失敗”を攻める人が多いが、それは以前にも言った様に、他人だからこその“嫉妬”でしかない。嫉妬に狂う人程、他人を貶めるために躍起になって、自分自身を向上させようとする気がない…いわゆる“現状維持”に甘えて、鍛錬や研鑽を怠った姿こそ本物の“敗北者”であって、それを認めることができないからこそ、自分より優れた才覚者を、自分より若い実力者を、過去の栄光や経験、安いプライドを振りかざして脅すのである…だが、弱肉強食の理は、自分の現在進行形での“立ち位置”が間違っている時点で逆転するのであり、仮に自分が得意とする分野で傍若無人を働いても、それが通じるのはその分野のみであって、他の分野が疎かであれば、故にボロカスに批判されるのは当たり前である。

 

だからこそ、“外に出て反抗する”ことも、“組織内で担がれる”ことも、自分自身が冷静に、自由に対して責任が持てる以上は、自分の意思で選べる訳であり、他者がそれを批判し、侮蔑して見下すのであれば、故の報いを“当事者”が受けるだけ…さて、いつになれば人は、自分自身がやってる功罪に対し、素直な気持ちで認めてやることができるのやら…

いかなる侮辱・いじめも、嫉妬が根本的要因。

角界の一連の騒動にしろ、社会に溢れる各種のハラスメント(虐待行為)にしろ、その“根幹”にあるのは、生物的本能としての“弱肉強食の理”と、他者に対する自分自身の精神的…というより、無意識のうちに芽生えた“嫉妬”が、結果として“最悪の事態”に転じてるからこそ問題なのであり、如何様に対策を講じたとしても、避けて通れないし、むしろ“自然の成り行き”である。しかし、先に申し上げた通り、それはきちんとした“理由”が明確な分だけ、変に意識することで拗れるのであって、自分が犯した行為に対して、素直に結果を受け入れ、反省できるならまだしも、そこんトコを避けて通ろうとするから、余計に問題は深刻化する訳である。特に“異国人だから”という理由だけで無差別に相手を叩く行為は、国交問題に限らず、様々な“人権侵害”を引き起こす原因になる。

 

そもそも、様々な“いじめ”の根本要因は、すべて個人的な“嫉妬”から来る訳であり、一部の感情に絆されて、自分自身が“標的”にされたくない人程、周囲の目を過剰に気にする訳であり、その是正を施すには、自分だけで解決できる範囲と、周囲の協力を必要とする部分の“見極め”が不可欠である。“自分でやるべき事”を全部他人に丸投げしたり、“他者との協力”が必要なのに断る様では、いつまで経っても問題が解決しないだけでなく、更に深刻な問題に発展することもある。しかし…それが“逆転”している背景にあるのは、結局のトコ、“人間不信”という根本的な迷いから来るトコが大きい。

 

つまり、“嫉妬”の多くも、所詮は相手の存在を認めることも、信じることも“できない”からこその拒絶なのであり、自分の存在が埋没することに対する恐怖と、だけどどこかで秘匿にしたい自我…つまり“恥”を世間に掻きたくないからこその臆病さが、そこに存在する訳である。故に、自分が犠牲にならない限りは、どんな虐待事案も“他人事”であり、無意識に加担してる時もある訳である。それがいざ、自分の身にも降りかかる厄災となった途端に“被害者”として振る舞うから、余計に悲惨な訳である。

 

夕方のニュースで、吉村大阪市長が、サンフランシスコ市との姉妹都市提携を解消した件で、相手側が“反論”を述べた様だが、オイラからしたら、誘拐からの強制労働での性奴隷と、職業選択の自由の下でやってる風俗嬢を一緒に語るなって言った上で、様々な意味で“事実無根”な従軍慰安婦の存在を誤認してる事で、中国や韓国による国際的な“日本叩き”の正当性を裏付けてる行為であり、ひいては女性の人権侵害を、国際的に肯定する行為だと訴えてる事に気付くべきであって、その“戦略”に、欧米的人権感覚でまんまと引っかかったから“提携解消”とした訳である…簡単に一言で片付ければ、今のままだと“話にならん”から絶交すると、大阪市民を代表して言ってるのであって、市長個人の意見で言ってる訳じゃない。そういう事を知らずに反論を述べてる時点で、国際人権擁護都市を銘打ってる長として、“人権擁護”なんて“嘘だ”と自ら宣言してる様なモノである。

 

民族間差別とて、元々は共同生活の為に割り当てた役割分担であって、そこの意味合いを履き違えたり、勝手な価値観で相手を侮辱するから拗れるのであり、本質的な才能なんてのは、本人の努力次第でどうにでもなる部分と、ある種のハンデがある加減で無理な部分がある事を、キチンと認識して選ばせるのがスジであり、教育の基本でなければいけない…のに、その肝心な部分を無視して今日まで来てるから、なかなか修正できない上に、意味合いそのものも時代と共に変化して、最早狂気の沙汰でもみんな気付かないまま、問題そのものが余計におかしな方へ向かう訳である。

 

今までも繰り返し、このBlogでも訴え続けてるが、犯罪を起こしてるのは犯罪者個人であって、国籍や民族、趣味や嗜好等が“同じ”だからといって、事件との関わりが全くない人を巻き込んで叩く行為は、如何なる場合でもやるべきではない…特に、角界での一連の暴行事件自身、組織的隠蔽体質は糾弾しても、だからと言って他の分野で活躍してる外国人を叩く筋合いはない。そして、ヲタク・腐女子(ロリータ含む)を“犯罪予備軍”と叩いた以上は、自分の趣味が他人から変態呼ばわりされて虐められても、反論すべきではない…それだけの罪悪を他人に対してやってきた“代償”であるからだ。もし、そういう“理由”で叩かれたと騒ぐなら、一呼吸置いてから騒げ…“自分”の事を信じ、支えてくれてる人々を、自らの感情のみで裏切ったら、それこそ侮辱してる相手の思うツボであり、余計に自分が、そしてその周囲が傷付くだけだ。それに侮辱する人程、自分より”弱い”と思った相手以外に手を出さない“臆病者”です。だって、自分が危険な目に遭う事が怖くて腰が引けてる根性なしですから…w

 

鉄道の今後を考える…公共交通機関の“あるべき姿”とは

先に結論ありきな話は、今回の場合はやるべきではないのだが…ただ言えることは、公共交通機関は全般的に、“民営だけ”では経営が不可能だということと、だからと言って“公営”でやるには税負担の問題で衝突する可能性もあるという事だ。前者に関して正確に言えば、交通輸送部門のみでの運営は、旅客だけでも、貨物輸送のみでも、必ず“破綻”するという事。後者に関しては、沿線住民の“相互理解”が不可欠であって、そこんトコがうまくいってない限り、どんなに話し合いの場を設けたとしても“時間の無駄”になる。

 

では、日本の鉄道網…一般的にJRグループの路線は、如何にして全国に路線網を持つことができたかという根幹的な事を言えば、普通の人であれば、教科書通りの答えしか理解できないかと思うが、鉄道の歴史に造詣が深いヲタクであれば、結構鋭い視点で理解可能かと思う…というのも、国鉄時代からある“赤字ローカル線”と称して廃止対象になってる多くの地方路線は、その実は元々、資源鉱山や山林、工業生産の拠点と主要都市を結ぶ民営の物流用軽便鉄道が国に買い上げられた路線であり、また、周辺住民も通勤や買出しなどで利用することも多かったから、旅客も取り扱うようになっただけの話であり、元来の目的は貨客兼営こそが望ましい運用形態なのであり、むしろ“本業”は貨物輸送全般の定期運行であった訳である。

 

だから、昔…そう今から45年ほど前までは、殆どの貨物輸送は、国鉄による貨物列車による陸送が一般的であり、故に北海道や四国、沖縄への輸送は、本州よりも時間がかかった訳である。これをどうにかするために考えられたのが、本四連絡橋と青函トンネルの建設であり、そのきっかけこそが、洞爺丸台風という“自然災害”による交通障害である…洞爺丸台風の件は以前解説したんで割愛するが、瀬戸内の場合、別の理由があって瀬戸大橋や明石海峡大橋などが造られた訳である。それは、狭い内海での船舶の往来が頻繁で、連絡船の本数を増やせない事情があったのと、地盤的にトンネルを掘削するには軟弱なトコがあって難航が予想されたからである。

 

それはさておき、大都市圏を走る民間鉄道の多くはどうだったかと言えば、実は法律の“抜け道”を逆手に取って敷設されたモノが殆どで、関西の大手私鉄のうち、“鉄道法”に基づいて敷設されたのは、現在でいうトコの南海と近鉄南大阪線系統(吉野線とか道明寺線、長野線など)であって、それ以外は元々、“軌道法”という別の法律によって“路面電車”として開業してる訳である。つまり、阪急や阪神、京阪、近鉄の基幹路線(大阪線奈良線など)は、元々は阪堺同様にチンチン電車として運用してた訳であり、のちに沿線開発などが進んで、利用客が増えた事を受けて高規格鉄道に“格上げ”して運用してる訳である。(今年民営化した大阪メトロも、御堂筋線以外はほぼ、大阪市営時代に開業した路面電車路線が地下鉄に移行しただけの話で、その理由は、戦後のモータリゼーション化における交通麻痺を解消する狙いがあった。)

 

ただ…路線網が大きくなればなるほど、その沿線の開発は、利用客増加に不可欠であったからこそ、いわゆる“阪急モデル”と言われる都市開発事業が、民営鉄道の肝となり、故に各鉄道会社による沿線地域の宅地開発が盛んに行われた訳である。それができなかったのが国鉄…つまりJR各社の“弱点”だった訳である。そもそもは、“官営事業”として物流を国で一括管理しようという名目で、多くの民間運営の貨物路線を税収で買い上げ、ついでで旅客も扱ってた訳だから、本筋であれば沿線開発のメインは官営工場や官営鉱山の物資輸送のための周辺整備に集約されてた訳であり、だから、路線によっては一駅あたりの区間距離が、都市部でも徒歩では30分以上かかるトコがある訳である。

 

だからJR東日本は、分割民営化後に真っ先に取り組んだのが、新幹線沿線地域の都市開発であり、それが功を奏したから、さらなる開発が進んでる訳であり、東日本大震災からの復旧が、福島県内以外早かったのは、潤沢な資金が賄えるだけの収益があったからこそである。(福島の常磐線が遅れているのは、原発事故の影響…)更にJR九州が“三島(僻地)3社”の中で東証上場を果たせたのは、観光列車に特化したことよりも、福岡県内を中心とした沿線開発に着手したことが大きく、九州新幹線(熊本ルート)開業によって、今まで以上に熊本市が福岡市への“通勤圏内”に入ったことも大きい。しかし、JR北海道や四国には、そういった開発ができる主要都市や産業が乏しく、かつ、鉄道よりも高速道路によるトラック輸送の方が早いこともあって、鉄道網そのものがボロボロで、いつ“全線廃止”してもおかしくない状態である。(北海道は辛うじて、新幹線の札幌延伸という希望が残っているが、四国への新幹線乗り入れ計画自体、今の段階では立ち消え状態…)

 

 以上のことを踏まえると、今後、鉄道事業者の多くは、本業であるハズの鉄道事業よりも、不動産や飲食店などの多角経営で本業を支えるスタイル…先程も出てきた“阪急モデル”を踏襲した経営ができるかどうかが、生き残りをかけた経営方針になっていくと思う。その一環として、子育て支援も含めた福祉関連事業と、団塊世代が高齢化した事による“多死時代”となるからこその冠婚葬祭…特に葬儀関連事業に重点を置けるかどうかで今後の見通しが立つと思われる。だが、それはあくまで“企業経営”としての部分であって、本業を疎かにしてる様な鉄道会社は、いずれ“公共交通機関”としての体裁が保てなくなって廃業するでしょう…そうならない様に運営をしていくには、沿線自治体や国の助成は不可欠になるでしょう。それを“財政危機”とか“税収不足”を理由に行えないなら、交通インフラ崩壊による共倒れは、待った無しです。

はてダから引っ越しました。こちらは、メイン…本館になりますw

ども、まもまもっす…ようこそ、新装開店した“迷馬の隠れ家”本館へw

 

まさか“裏別館”と同じトコに開設するとは…っと思われたそこのあーた、簡単に説明すると、サービス統合による“弊害”ですw とはいえ、元々のBlog自体、これが2度目の引っ越しであり、そもそもはプロバイダが用意した用意したプラットフォームが廃止になったから、はてダに引っ越した訳であり、今回はサービスの統合によるモノであるからして、サービス自体は変更ないということなんで、面倒な手続きをやるのに時間を割きたくなかったのと、健康不安(というより、右目の視野がおかしくなって、現在も不安定)を抱えてるため、こっちでの“サービス間での引っ越し”ってことで…w

 

更新ペースこそ、体調面との相談な状態にはなるが、それでも継続していくんで、今後とも、ブロマガ同様にお付き合いくださいませませ。

菜食主義者の勘違いを、農家目線から糾す話…

今日から、条件付きといえど、ネットの更新作業ができる様になったんで、ボチボチとリハビリがてらにネタをやってこうと思う。ただ…以前にも言った通り、毎年恒例の“命日企画”は、使える機材の都合で今年は中止です…ご了承ください。

さて、今回は、ちょっと海外でいわゆる“菜食主義”を標榜してるテロ組織が、食肉文化撲滅を目指して精肉店やファーストフード店等を襲撃してるというニュースが目に着いたんで、そこに対する軟弱野菜栽培農家から、皮肉を込めて一言…

その野菜、獣の血がなきゃ育たない!

誤解がない様に言えば、如何なる植物も、動物の死骸や糞尿を由来とする有機物無しでは育たないし、そうしないと、いつまで経っても死骸や糞尿が“その場”に留まったまま、不衛生な環境になるという事…つまり、如何なる生物も食物連鎖というサイクルに基づいた処理を経る事で、一定の生命維持が保持されるのであって、その理を否定する事は、生命尊厳をも脅かしかねない愚行なのです。言葉が汚いですが、弱肉強食は必然の“悪”であると同時に、その“犠牲”の上に生命尊厳は尊重されるモノであり、故に仏教の“不殺生”という戒律が存在する訳です。

この“不殺生”という戒律を誤解してる人が非常に多いのが先鋭化した菜食主義者で、動物愛護を訴える市民団体とほぼ同じで、自己の正義の前において、それを受け入れられない者は潰しても構わないという矛盾を標榜する訳です…言っときますが、“不殺生”の本懐は、“自らの手を血で汚さない”って事であり、暴力や破壊活動の正当化する言い訳ではありません…言い方を変えると、供養として受け取る品々の中に、加工肉や皮革製品、絹や羊毛などで作られた装束があったとしても、信徒の“真心”からのモノである以上、受取拒否をしてはいけないのであり、逆に、どうしても鮮度の良い魚を食べたいからとか、厨房内に発生した害虫駆除を、自分でやる事を“禁じ”てる訳です。

NHKEテレで、毎月最終日曜に放送してる、『やまと尼寺精進日記』という番組…桜井市にある音羽山の尼寺に住む、3人の尼僧(一人は正確には尼僧じゃないが…)が、創意工夫で四季折々の精進料理を、参拝者や信徒に振舞ってるんだが、時折、“生臭料理”に手を染める事がある。しかし、それらも信徒や参詣者からの頂き物であり、それを大事そうに食す場面も紹介している。精進料理といっても、完全なる菜食料理ではなく、市販の合わせ出汁を使う事もあるし、自家製ヨーグルトやクリームチーズが振舞われる事もある。つまり、野菜や米、豆類だけじゃなく、麓で生活支援を行なってくれてる信徒から“供物”として受け取った物であれば、それが川魚であろうが乳製品であろうが関係なく、彼女達が調理した時点で“精進料理”として供されるのである。もちろん、“不殺生”の戒を破る行為である以上、それに似合うだけの“供養”をやっての話だ。

食肉文化を野蛮行為と罵るのであれば、農業は非常に業が深い職業であり、故に“底辺産業”と蔑むのも無理ない話だ…だが、全ての“食”は元々、安定供給が確約されたモノではなく、“いつ食べる事ができるか”が見通せない狩猟生活からの教訓として生まれた“産業”でもある。山野草やキノコ類、果実は、その多くは収穫の時期を誤れば、そのシーズンは“食べられない”代物となり、だからと言って備蓄用として乱獲すれば、後世に対して枯渇する事になる。アイヌの食文化でも、必ず後世…来期以降の収穫を確保する為に、例えばオオバユリの根を収穫する際は、種苗用と食用に分けた上で、採取地点に種苗用を残す。子熊を捕獲したら、最低1年以上飼育した後に、“イヨマンテ”という儀式を行って屠殺する…熊の御霊を“神の世”に送り出し、残った肉や毛皮を加工するのである。如何なるモノにも“神が宿る”という概念が、アイヌも含めた日本の文化の根幹にあるからこそ、農林水産業を営む家には、それこそ神仏信仰が普及する以前から、森羅万象を対象とした畏敬の念があった。当然、如何なる宗教哲学においても、その恩恵は全て、平等にして貴賎上下を有する事に非ずとしてる訳であり、故に、菜食主義者が自己の正義以外を断罪する事自体、その理を破る不届者となる。何度も言うが、畜産も含めた農業は、自然界の理を破壊した宿業であり、本来ならば、養殖以外の漁業よりも、まして林業従事者よりも“下賤なる者”とされてもおかしくない…だが、それ故に今日の食文化が維持され、多様性を示せるのであり、菜食主義もまた、その“多様性の恩恵”の中にある存在でしかない。それが理解できないのであれば、どうか、農家が作った野菜や果物を食べないでくれ…否、如何なる食事も口にしないでくれ。他者の食事を邪魔する以上、分相応に宿業を背負えない人に施せる程の“食糧”は、この世にはないから。

未曾有の災害に対する政府批判は、被災者をバカにするのと同じ行為…

放牧中ながら、今回はどうしても腹立たしい話が、ネット上で跋扈してるので、iPad Air2 から更新…西日本豪雨や、室戸台風以上の勢力で暴れた台風21号、そして…馬産地でもある北海道胆振大震災。こうも立て続けに自然災害が発生すれば、ライフライン関係や自衛隊、更に政府も疲弊するのは当たり前…なのに、対応が遅いと批判してる人達は、何様でしょうか?又、これ見よがしに東京五輪大阪万博誘致反対を声高に叫ぶ人って、どこを見て侮蔑してるんですか?それ、阪神大震災の時から、全然成長してないのと同じですよw

それはともかく、今、本当に重要なのは何か?一呼吸置いて考えるべき時ではなかろうか。被災地を助けろと叫ぶ気持ちは痛いぐらいに解るが、だからと言って、政府の対応が拙いと判断するのは時期尚早…こういう批判の多くは、経過と結果を、きちんと結び付けた上で語るべきであり、表面上の“情報”だけで判断すべきではない。そして、この期に及んで“何もしない”上に、政府批判や自衛隊、あるいは各自治体の警察、消防をこき下ろし嘲笑う連中こそ、被災者を、被災地域の“不幸”を待ち望み、愚弄したいだけの天邪鬼でしかない。

ライフラインや交通インフラの老朽化は、以前から指摘されてた部分であり、その補修や更新を行うにしても、“税の無駄遣い”と言って、バンバン中止や計画を廃案に追い込んだのは、言うまでもなく有権者の責任であり、情報弱者で法律に疎かったが故の弊害である。つまり、戦時下同様に、ごく一部のメディアが大事の様に騒いだデマに、まんまと引っかかった“結果”が今日に至る訳であり、特に北海道のブラックアウトは、直接の原因こそ震災による被害でも、日頃の備えとして、別系統の電源確保が遅れた事や、大出力発電所の“一極集中”が仇となっていて、更に、非常時でも最小限の被害で済む様に設計された原発を“放射性物質が漏れる危険が…”と言ってずっと止めたが為に、北海道内の電力供給力が、一瞬にして潰れた訳である。既存の火力や水力、更に“自然再生エネルギー”で、充分電気が賄えると脱原発至上主義者は声高に叫んでくれたが、それは平時の話であって、こういう未曾有の災害時は、公害や放射線被曝をピーキャー言ってる場合じゃない。それこそ“摂受折伏時による”という格言の如し…既存“だけ”では有事は対応しきれないし、“安定供給”を是とするにであれば、その為の“対価”をどこにどれだけ担ってもらうかを考えるべきであり、その為の機材や設備の更新は不可欠であり、そこにケチをつけた以上は、それ故の不便を受け入れなければいけない。

西日本豪雨や台風21号による被害も、政府批判を目にして来たが、これも結局は、阪神大震災の際に露呈したインフラの老朽化を“放置”した事で甚大な被害が出てるのであり、現政府が今までの“愚行に対する尻拭い”をやってる最中に愚弄するのは、お門違いもいいとこである。スーパー堤防にしろ、共同溝にしろ、地下遊水池にしろ、過去の“自然災害”からの教訓で、早急に整備すべき事案だったにも拘らず、それを阻んだのは言うまでもなく、目先の利害に囚われて騒ぎまくった“住民”である…しかも、そういう人々の多くは、災害ハザードマップの意図を無視してる上に、土地の評価額や築年数“だけ”で物事を推し量ってるトコがあるからタチが悪い。去年、台風で大和川大阪府内で氾濫した際にも指摘したが、スーパー堤防の整備計画を阻害した人々によって、本来であれば防ぐことができた(あるいは最小限の被害で済んだ)ハズの被害が出た訳であり、直の原因が“自然現象”であっても、その予防策や事前整備を怠った結果によって引き起こされた“人災”でもある。

ここんトコを踏まえた上で政治批判をするなら、災害対応に追われてパニック状態の政権に対して、協力するどころか、これを機に討伐すべきと叫んでるメディアや既存野党がやってるパフォーマンスこそ批判すべきであり、トンチンカンな行為を糾弾すべきである。つまり、余計な情報を垂れ流し、救援活動を阻害してる在京オールドメディアと、日本が壊滅する事を願って躍起になってる“革命家”気取りの連中こそ、この国の“害悪”であると悟り、責任を取らせるべきである…それができない連中だから、逃げ回るんです。卑怯であると同時に、どこまで民衆を愚弄すれば気がすむんでしょう?



遅ればせながら、台風21号で被災した関西の皆様、そして、愛すべき北の大地で起きた震災で困窮してる被災者の皆様に、お見舞い申し上げると同時に、犠牲となった方々に、哀悼の意を表します…今こそ、困難に立ち向かう為にスクラムを組む時、お互いに無理せず、頑張りましょう!