迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

メデイアは“故人からの警告”を忘れたか?

京アニ放火テロ事件に関して、在阪、および大手既存メディアが、被害者の実名報道を申し出てる件で、SNSにおいて、フリーのルポライターと称する方の経験上から推察する話として、被害者遺族の“お涙頂戴”系ほど取材しやすいからという、いろんな意味で人道外な主旨を呟いてたんだが、この件に関して、阪神、および東日本大震災、更に熊本地震でも指摘があった様に、そして、某新聞社の支局記者が銃撃で殺傷した事件も、よくよく考えたら、この“取材姿勢”自体が“言論の自由”そのものを破壊する一凶になってるといって過言ではないと思う。

 

 

 

 

 

ではなぜ、こんな“同じ過ち”が、既存メディアでは未だに繰り返されるのか?メディアにしたら、こういうのを報じた方が“商売”になるからと、若手記者に対して凄惨な現場での取材を経験させるには、一番都合がいいからです。しかし…現場取材を任された、最前線に立つ若手記者やカメラマンにとって、この方法が果たして、“良い経験”と言えるのでしょうか?コレ…相当精神が病んでしまいますよ、大ベテランであっても、その被害者・被災者が、遠縁の親族やSNS上で知り合った友人だったら。

 

具体的な話として、このはてブでも過去に何度も取り上げてる話として、CRKサンテレビのスタッフがやった行動に、神戸市内や阪神間の被災者が後日取材に応じた話…これは、“被災現場のメディア”だからこそできた話とする人は、読みが甘過ぎます。被災地域から遠く離れた在京メディアが、被災地での取材に大挙を成して乗り込んだ挙句、被災住民の救援を求める声を遮ったり、自衛隊の活動に対し、写真映えする動作を要求したりと傍若無人を働いた挙句、救援物資輸送の行く手を阻むわ、勝手に避難所の出入口塞いでマイク突きつけるわとやりたい放題やってた訳である。基本、喋り屋気質の関西人といえど、この非常事態にベラベラと話す人なんて皆無だし、まして、瓦礫の下から僅かな希望賭けて叫んでる人の前で、“いい画が撮れるから”ってカメラ回して救助もせずに見殺した…なんて話聞いたら、誰が取材に応じると?

 

現地で被災してるから、動けない地元のメディアからの“救援要請”で取材してるならいざ知らずだが、勝手に“手柄欲しさ”にアラ探しやってる輩を目の当たりにした神戸市民は、それ故にみんな口を閉ざし、更には在阪メディアに対しても“取材拒否”をしばらく続けた訳だが、神戸新聞社系メディアだけは違った…社員の多くも被災者であった上に、CRKサンテレビは、社屋にも被害が及び、特にCRKはスタジオそのものが全壊するという最悪の事態に陥った。そこで、急遽現場にいたスタッフ総出でスタジオ機能を復旧させ、送信所のアンテナの無事を確認して、放送を復旧させた訳である。その後、中継車を走らせる際に避難所へ向かう高齢者や身障者を乗せて運んだり、救援物資を取材先になる避難所と中継地点となってた各市役所を往復する等して、取材するよりも先に救援ボランティアを買って出た訳である。この事がのちに、震災の記憶を取材する際に役に立ち、より克明な震災記録を掲載するに至ってる訳である。また、毎年の慰霊行事に際しても、最前列での取材ができるのは、この時に築いた信頼関係あってこその話であって、それが他所でも通用すると思い上がって、在阪メディアが東北や熊本に取材に行こうとするから、叩かれた訳である。

 

この件で、当時“ズームイン!朝‼︎”のMCだった福留功男アナも、“本当は、マイクのスイッチ切って、瓦礫撤去の救援をやりたかった”と吐露した様に、同じ在京メディアで現場に取材に入った人でも、気持ちとしては、人道支援が先だとわかってた。けど、大本営である東京のスタジオやデスクからは“取材が先”という業務命令が下っていた。そう…被災現場から遠く離れた連中にとっちゃ、この凄惨な状況も“エンターテイメント”でしかなく、視聴率や販売部数拡大の“小道具”にしてしまってたのである。

 

ここの部分で、実はもっと昔に、警告を発してた人がいた…Twitterでも呟いた際に名を伏せたのでここでも出しませんが、一人はこの震災の2年前に病魔に倒れた人が書き遺したエッセイの中に、もう一人は、件の凶行で命を落とした若手記者。双方が異口同音に示してるのは、“ペン(マイク)の暴力”は、被災者・被害者を更に傷付け、最悪は自分の言論を潰される…という“真実”である。実際、件の若手記者は、本来であれば殺害される理由など持ち合わせてなかったにも拘らず、たまたま宿直で待機してたところを強襲され、丸ごと潰された訳であり、仮に殺害理由となったであろう事案の取材をやってたとしても、記事としてまとめるかどうかは記者の文才と編集者の胸算用であり、掲載されなかったら、襲う必要もない。また、エッセイを遺したフリーアナは、かつて駆け出し局アナの頃に経験した、千日前デパート火災と、大洋デパート火災の取材時、同行してた上司のディレクターに対し、これ以上の取材はやるべきではないと進言したものの、「こういう経験を重ねてこそ一人前」と諭され、しばらく報道に現場から干されたという…しかしこの出来事が、後々、彼のドキュメント番組に対する取材姿勢となり、担当してた番組での誇張(やらせ)演出に抗議して降板する騒ぎに発展した訳である。

 

事実に対する接し方は、それこそ千差万別十人十色だから、どう取り扱っても自由だが、“自由”だからこそ、守るべき秘匿事案がある。ま、そこんトコを知りたいと思う気持ちはわからなくないし、そこの部分を知って、理解できるなら問題はないが、それを“理由”にして犯行に及ぶ不逞の輩ってのがいる訳であり、また、秘密にしてないと誤解や偏見からの余計な事案に巻き込まれて、“真実”そのものが歪むことになりかねない。だから黙秘して、墓場まで明かさずに持って逝く人がいる…本当であれば、“歴史の記録”として遺して欲しかった話はたくさんあれど、それを明かさなかった“本心”を悟らず、赤の他人が“真実話してw”って聞き出す事は、精神的苦痛が伴う話であると同時に、それによって誤解や偏見で“2次被害”を受けてしまう…被疑者が報復相手を間違えて、全くの“赤の他人”を襲撃したとなれば、真犯人の思うツボであり、被害者心理の“負の連鎖”が更に助長するだけで、なんの解決策にもならないからだ。それを逆手に取って、国際社会で傍若無人を許してきたのが韓国の政治であり、それを改められないのは、日韓双方のメデイア自体が、過熱報道で民衆の集団心理を焚きつけてるからこそである。

 

 

 

 

 

そこに“警告”を、命を賭して発し続けてる事に、日本の既存メディアは、これからも“無視”するでしょう…自分の襟を正さず、収益至上主義に走った結果、どんな事が起きて、その結末として、どんな悲劇が待ってたか。歴史とは皮肉にも、そういう“失敗談”を笑い話にして無視した顛末だけが残る。でも、そこに隠された“真実”は、決して笑えないし、笑ってはいけない。同じ“失敗談”でも笑えるのは、当事者の実害が軽微で、誰一人として命を落とさなかったからこその話だ。

宮崎アニメと女性の社会貢献…

まずは本題の前に、期間限定で公開されている、こちらのURL から見て欲しい…

https://youtu.be/xQKzzUXB3OA

 

 

これは、宮崎アニメのファンなら、一度は見ておきたい作品の一つである、“名探偵ホームズ”の中でも、人気が高い第10話の、別名“ハドソン夫人覚醒回”である。今回は、この作品に限らず、宮崎アニメではよくある“男勝りなヒロイン”にまつわる、オイラ的な妄想(?)私考を…

 

 

基本的に、ジブリ作品にしろ、その以前から存在する作品(瑞鷹やトムズ)にしろ、女性が物語の主軸を担ってる作風が目立つ訳だが、共通してるのが“可愛い顔して男勝り”という設定である。“風の谷のナウシカ”のナウシカにしろ、“もののけ姫”のサンにしろ、立場上の都合でそういう方向になってるのもいたら、先述の“ホームズ”に登場するマリー・ハドゾンや“紅の豚”に登場する飛行機工場の孫娘で設計技師のフィオ・ピッコロみたいに、見た目は華奢でも、とある分野では男性に引けを取らない才能や度胸ある姿を見せるキャラもいる。もちろん、“未来少年コナン”のラナや、“天空の城ラピュタ”のシータみたいに、序盤は逃げ回るだけの役どころでも、終盤ではきっちり主役として敵対勢力と対峙するまでに根性が据わってくるケースもある訳で、だけど一貫してるのは、男性キャラ相手に大立ち回りをこなしてる点では、どのキャラも引けを取らない。更に脇役でも、所謂“ゴッドマザー”な位置にいるキャラも多い。

 

 

つまり、多くの作品で(原作の設定からそういうのもあるが)、女性の“社会的地位”に対する問題定義が根底にあり、それを如何にして作品のテーマの裏に隠してるかが窺い知れる訳である。更に、女性キャラを男性が作品として描く時、大概の場合は性的願望が表現されがちなのに対し、宮崎アニメは原則“誇張した色気抜き”である。(“ルパン三世”シリーズは、原作そのものがエロありきなんで、どうしてもああなる訳だが…w)逆を言えば、性的象徴としてではなく、根本の“人間性”を描くのであれば、過度な性的描写はいらないし、どうしてもエロネタをやろうものなら、脚本自体がそれだけで構成される内容でなければ作れない…と、推測できる訳である。恐らく、宮崎アニメの同人作家であれば一度は経験しただろうとは思うが、あのキャラ画のままで性行為を描こうにも、絵的に“幼児のままごと”状態になりかねないし、作画そのものを変えないと、色気もなにもない、別の意味で“悍ましい光景”になる。(想像してください…コナンとラナがイチャイチャしてる場面を、例えば永井豪が原画を描いたらどうなるかをw)

 

 

 

 

 

宮崎アニメの真骨頂といえば、大概のアニヲタは大乱闘と無駄に細かいリテールを取り上げがちだが、オイラ的な感覚で言えば、どこまでも“女性が不快にならない作品”の描き方にあると考える。その根底には、女性の社会的地位の向上こそ、世界を下支えする屋台骨だと主張したい思惑があるようにも感じるのである。だから男性キャラは総じて、見た目や地位は良くても、どっか肝心な部分が抜けてる、ある意味で“残念な英雄”という描き方になってるし、どんなに力自慢しようが、どんなに学歴が優秀だろうが、いろんな意味で“女性には敵わない”という、男の性(さが)がどの話でも出てくる訳である。だからこそ、エロ以外での“男の強さ”を描く為には、時として“女性の強さ”をさりげなく表現し、その上でバカ騒ぎしても“女をバカにしない”態度を、どう表現するかに苦心してるから、大作映画を作る度に“もうやめる”と口にしてるのでしょう…作風の関係で、エロい作品が思い浮かんでも描けないジレンマ故に。

 

計画運休にまつわる“裏事情”

盆休み直撃な台風接近中、いかがお過ごしでしょうか?ま  さ  か  とは思いますが、“稲●ジェーン”を決め込んで、大荒れの海に向かうとか、ガチで海上保安庁が大迷惑するんで、絶対にやめろよ…いやマジで。

 

 

 

まぁ…折角の休暇予定が、台風でおジャンなのはお気の毒だが、交通機関が“計画運休”する事について、文句タラタラな人も多いかと思うが、これに関しては、昔と今では“条件が違う”事を踏まえないと話にならないのであって、そこを無視してピーキャー言うのは、愚の骨頂。気候変動もさることながら、現在の技術発展が結果として“無理できない”事情も、もたらしたと推察した方が賢明とも言える訳である。特に鉄道の運休について一言でいえば、“軽量化が仇になってる”からこその計画運休って訳。

 

かつて南海が、潮風で錆びやすい鋼鉄車体を、なぜか海側を走る本線系統で運用してたのは、錆びにくく軽量なステンレス車体よりも“安全性がある”という認識があったと推察される訳で、同じ理屈は瀬戸内に路線がある山陽や、近鉄の特急車両にも通じる話で、いずれも台風接近時でも運行に支障が無いように、車体重量が重い鋼鉄車体を配備してた…って言える訳である。阪急や阪神も、つい最近までステンレスよりも鋼鉄車を中心に配備してたのも、ほぼ、暴風の中でも運行を続けられる条件が、昔は私鉄として“常識”だった訳です…JRグループ国鉄だった頃から、関西の私鉄は、様々な部分で対抗意識もあって、且つ、常に代替輸送の観点からの協力体制を怠らずに、沿線住民の足として機能していたからこその“無茶振り”があった訳ですw

 

しかし、この考え方が一変したのが1990年代…特に阪神淡路大震災以降、車両維持の低コスト化と、省エネの為の軽量化が叫ばれる様になり、特に阪神はあの震災で多くの鋼鉄車を失う事に…これがきっかけで、大量に新造車が必要となり、そこで現在の主力でもある1000系のモデル車となる9500系を急遽導入し、そこからアルミステンレス車体への置き換えが始まった訳です。

 

ところが、アルミステンレスの車体には、故の弱点があって、それが強風に煽られやすい…軽量化が却って乗客の安全を損ねかねないというジレンマが出てきた訳です。それを一番如実に語ってる事故として、1986年に発生した、余部鉄橋列車転落事故がよく語れれる訳だが、なぜかと言えば、回送客車が突風に煽られて脱線し、そのまま鉄橋の下にあった海産物加工場を直撃し、作業中のおばちゃん達が犠牲になったから、その原因を突き詰めると、鉄橋の安全を確保する為の風速計が故障してたことと、牽引してる機関車はエンジンなどを積んでる分重量がある為徐行で走れば通過できても、客扱い(営業)してない客車は、正味台車以外の“重石”を積んでいないから、簡単に強風でバランスを崩して落下した…って訳である。(福知山(宝塚)線脱線事故も、実は当初は車両の軽量化が甚大な事故につながったという指摘があった訳だが…)

 

つまり、今までの台風の威力であれば、鋼鉄車体で運行してる限りは、運行区間内での設備破損(法面崩壊や橋梁の損壊等)が無い限りは運行できたが、車体の軽量化が仇となり、また、気候変動で台風の威力そのものが甚大化してる事、更には、施設の多くが補修や更新を要する程の老朽化が進んでるにも拘らず、多くの鉄道会社が経営難からなかなか着手できないままでいるから、利用客の安全確保の上での“計画運休”って事になる訳です。

 

 

 

 

 

 

 

本四連絡橋とて、そもそも、荒天時の海上輸送が危険だからというのと、鉄道(最終的には新幹線)を天候に左右されずに運行できる術として計画されてた訳だが、青函トンネル関門トンネルより需要予測が見込めないという事なのか、台風等の荒天時は、速攻で速度規制や通行止になる訳で、これでは何のための“陸路輸送への変換”だったのかって話な訳である。しかし、走行中に事故でも起きれは使い物にならなくなるのは、去年の関空連絡橋衝突事故(安全対策を怠ったタンカーが波に煽れれて漂流し、橋脚にぶつかって、道路部分が損壊した)の事で明白な訳で、それを避ける為にも、これは仕方ないと思わざる得ない。それでも交通機関事業者に対して無理難題を吹っ掛けるドアホがいるなら、事業者自身も就労者の安全を守る義務を理由で、訴えるのがスジでしょう…危険な行為は法令違反で叩かれますから、と。

単純な思考はなぜ迷走しやすいか?

参院選で、何かと話題になった泡沫政党…ここでは具体的な名前は伏せときますが、比例区での議席確保は話題性と、プラスして“明確な公約”が有権者の関心を寄せる起動力となったのはいうまでもなく、しかし、その後の動向で既存野党と大差がないことにガッカリした人も多いのではと思う。

 

 

 

 

 

 

簡単に言えば、“公約”がシンプルだからこそウケが良くても、その“公約”を果たすまでのプロセスに至るまでに、確固たる目標そのものが間違っていると、発展性が乏しいあまりに支離滅裂な政策しかできなくなる訳であり、それがひいては、国会運営の障害になりかねない訳である。もっとぶっちゃけ論で言えば、民主党政権がなぜ“空中分解”状態になったかといえば、自公連立からの政権奪取を“最終目標”に据えたが為の話であり、本来であれば、事業仕分け名目で中止や凍結した国土整備事業や、人材育成のプロセスを、いかに維持しながら財政改善をやるかを議論すべきだったのに、それを一切やらずに“自民単独政権下のせい”にして逃げた訳である。当然だが、納税改革にしても、大企業に重税を課せば、その煽りを喰らうのは、下請け・孫請けになってる零細企業であって、そこが体力尽きて潰れていけば、自ずと大企業も経営破綻しかねない。また、内部保留資産は、収益悪化による賃金未払い等、就労者の生活を守る為の兵糧であって、単に“余ってる資産”という訳ではない。ここを勘違いしてる経営者や事業者が増えたのも、結局は“経済の仕組み”の基礎や、納税の意義等を教育現場で取り扱わずに放置したツケである。

 

“単純な意見”は、言葉遣い一つでインパクトのある声に思われるが、それが“目標”になってはいけないのは、先に述べた通りだが、重要なのは、目標が“目的”にすり替わってないかって事である。要は“民のため”というざっくりとした目的の為に掲げた公約であるなら、そのための目標として、財政体質の改善策や交通インフラの維持管理等の細かい部分の話をするのは良いんだが、その真逆…つまり、政権奪取しないとできないとか言い出したら話にならないのである。同時に、仮に政権奪取に成功し、国家運営の方針転換を行うにしても、自分の意見以外認めないという態度を取れば、どんなに発想や着眼点が素晴らしくても、“敵だから”の一点のみで拒否せざる得なくなる。(だから他人のアイディアを丸ごとパクって“自分の手柄”にしようと躍起になって失敗する訳だが…w)

 

わかりやすい公約や目標は、だからこそ“次の一手”で窮する事になり易く、大雑把で曖昧な公約や目標は、一見すると無責任な態度に思えるが、実は受け手の胸算用次第で変更が利くのである。もっと言えば、目的が明確であれば、そこに至るまでのアプローチの数が増える訳であり、“全ては民のため”という明確な目標に対して、それぞれの役割分担や助成のあり方を模索できるのである。その逆を言えば、国政議員になればどうにかなるという安易な考えから、その目的を間違えてたら、却って邪魔になる。ココがわかってる人は、安易に政治家になろうとも思わないし、他の手立てで世間に対して影響を与える事でも“世界を変革する”目的は果たされるのである。

 

 

 

 

 

 

 

大衆メディアとは悲しい事に、話題の鮮度が命な為、世間の関心がない話題ほど切り捨てやすい。更に、自分達に不都合な話題が出てきた途端、少しでも民衆の目を逸らそうと躍起になる。YouTuberでも広告収入目的の輩は、法令違反を平気でやるのは“自分の生活の為”という言い訳で、他の利用者に迷惑をかけている自覚がない。だから、“何の目的”で動画配信してるかを“間違えてる”事に気付かないから叩かれるのであり、ルール改訂で“使い辛い動画サイト”へと変貌しかねない訳である。言論の自由もまた然りで、勝手な解釈の下で暴言を吐き続ければ、必ずそれ故に他者の発言機会が阻害され、第三者による言論統制を強いる羽目になる…それを避ける為にも、言い過ぎた言論に対しては素直に頭を下げる事も必要であり、場合によっては途方もない対価を支払わなければいけない。そこを履き違えて、さらなる暴言を吐くのであれば、それこそ、永遠に罵倒されながら反論の余地も与えられない状況になる事を覚悟せねばならない…“民のため”という大義名分は、すごく単純てわかりやすい目標でも、“目的”にしてはいけないのは、そういう事なのです。

社会科は生涯にわたって重要な教科です!

昨今の嘆かわしい話の多くは、義務教育の段階で“生活自立のイロハ”を、何一つ教えてない事に尽きる様な気がする…但し、ここの部分は本来、教育現場で取扱うのが(時間的に)難しいから、親族付き合いや町内会でのコミュニティでやってく範疇であり、宗教団体でも、ここの部分の情報共有は、普通にやってないとマズい話である。が、この“人付き合い”そのものが鬱陶しい訳で、それがひいては“コミュ障”の一因にもなってるトコがある。今週末から夏コミが開催される訳だが、コミケも含めたファンミーティング系イベントこそ、実は対人コミュニケーションを学ぶ場であり、ここでのマナーレスの多くは、単純に騒ぎたいだけの輩が勘違いして騒いでるのであり、また、情報発信者の断片的な報告のみで判断するから誤解を受けてしまう訳である。

 

 

 

 

 

 

常々オイラは“社会科は大事”と訴えてる訳だが、最低でも、社会人になるまでに、労基法と商取引に関わる法令(クーリングオフや中古品売買の条件等)ぐらいは最低でも知っとくべきだし、身近な差別(いわゆる部落や民族間憎悪、宗教関連の批判)に関わる歴史的経緯は、習っておいて損はないと思う。これを理解してるだけでも、後々役に立つ話であり、政治に関心がなく、経済感覚が疎くても、自分自身を守る“切り札”になる。ここの部分があやふやな政治家や官僚が、いかに多いか…当然、メディアの人間も、他人の事が言えた義理じゃない人が多過ぎて、しかも“情報錬金術”に特化して、本来守られるべき言論の自由そのものを破壊してる自覚が全くないから、正直、オイラはウンザリしてる訳である。

 

社会的自立を促すには、その根本的な理屈が理解できないと話にならない訳で、特に納税の意義や公的支援の“からくり”がわかってないと、余計に生活困窮者が増えるだけで、却って社会全体が悪化するだけである。当然、人口減少に歯止めがかからなくなった自治体は、財政難からインフラ整備ができなくなるし、就職先がなければその分の賃金も手に入らないから納税の意思があっても払えなくなる。故に身障者であっても職業訓練は生活自立のためにも不可欠な事であり、高齢者であっても公的支援を受けなくてもいい人程“生涯現役”でありたいと願い行動してる訳である。けど、年齢的に考えても、若年層の就労世代を“人件費がかかるから”って事で正規雇用しなかったり、訓練中に無理難題を押し付けた挙句に精神疾患で離職せざる得なかった人を見下す経営者が、口を揃えて“深刻な人材不足”って言ってる時点で、オイラからしたら片腹痛い訳で、人材育成には時間も資金も掛かるのは当然だし、自分の“思い通りの結果”しか求めないなら、発展も進化もあり得ないし、可能性を自ら否定して何やってるんだって話ですわ。

 

単に“安価な労働力”が欲しいのであれば、機械化すれば良いだけで、初期投資が巨額でも、コスパ考えれば減価償却で多額の退職金払うよりも安上がりだし、修理や保守を自分でできれば、その分の技術料も発生しません。でも、コレが“面倒臭さい”って言ってる時点で話にならん訳で、それがわかってる以上は、他人の人生を蝕んでまでも事業をやる以上、分相応の対価として、賃金や福利厚生を充実させるのが、事業者の義務です。これは何も商売や経営だけじゃなく、家族間のやりとりも同じで、家事を伴侶に押し付けるのならば、それに似合うだけの対価が払える様に仕事してこいって話だし、それができないなら、伴侶の人生を勝手に奪って潰す行為は言語道断です。子供の言い分を“我侭”って事で斬り捨てたなら、そのツケは必ず老後において苦しむだけです…どこかで必ず、その“我侭”に付き合ってやる“約束”を交わした上で、厳守してこそ“親の役目”なのです。

 

つまり、如何なる社会的混乱も、原因を突き詰めれば、家族間でも“他者と自分”の関係においてトラブルが絶えない以上、それは“家族”という最小単位の組織を管理できてないのに、企業や自治体、ひいては国といった“大所帯組織”を纏めあげるのは不可能だし、キチンとした役割分担を決める上で、その価値観に不平不満を持つ様な事があってはいけない…だからこその“説明責任”が生じるのであり、そこを他人に押し付けて逃げてるから、話は拗れるのです。人権問題と経済制裁は別バナだし、疚しい事をやってないなら、批判されても気にする必要はありません。その“批判”自体的外れで、単なる嫉妬ですw

 

 

 

 

 

 

金持ちには金持ち故の悩みや不安があるし、それこそ貧困層には理解し難い事情があるモノです。それに、貧困層の悩みの多くは、多くの場合は金銭的な部分で解決できるものではありません。つまり、悩みそのものは上下貴賎の差なんて微々たるモノで、ほぼ共通の話です。そして、法治国家である以上、法律や条例の適用範囲は、余程の“例外事案”じゃない以上、全員に適用されます。当然ながら、軍人だろうが政治家だろうが、スリや痴漢をやった時点で“容疑者”です。そこんトコを踏まえた上で、物事を弁えて行動する術を学ぶのが、社会科の基本なのです。

日韓関係が拗れる理屈

いやはや…参院選真っ只中に、熱中症緑内障悪化で緊急入院するハメになって、実は右眼…殆ど見えてません。でも、ペースは落ちてもblogの更新は今後も続けるつもりです…体調面と相談しながらですが。

 

 

 

 

 

 

さて、徴用工や慰安婦問題から端を発してる日韓の啀み合い…来るとこまできたというより、双方の民衆がヘイトクライムを望む様な状態になっている件について、ザックリと問題点を指摘すれは、“どこ向いて喋ってるんや?”ってオイラは思う訳である。そもそも、拗れる一番の要因は、日本政府は“解決済み”としてる話を、韓国の市民団体が蒸し返すたびに韓国政府が方向音痴な政策で、政権批判を逸らしたツケが、余計な問題を誘発させてるという事と、中途半端に日本も“事勿れ主義”をやってたからこその憤懣が、余計な人種差別(在日アジア系民族への憎悪)を招いているという事実がある事が、問題そのものをややこしくさせている様に思えて仕方ないのである。第一、国家運営を“どうしたい”のか、双方が方向音痴過ぎて、言い分を聞く度にウンザリである。

 

そもそも、朝鮮半島問題自体、明治時代から懸念があった話であり、日韓併合に関しても、そもそも論として日本の“侵略行為”によるモノではなく、李氏朝鮮王朝が隣国のロシアや中国(現在の共産国家ではなく、清朝中華民国の軍部)の侵攻から民衆を守る為の依頼に基づく話であって、その“裏”で、色々と“ヤバい策略”が予測された為に、明治政府も慎重論があった…んだが、なにせ欧米列国が植民地支配に躍起になってた時代。故に無茶してるのが結果として、今日までの因縁話に繋がってる訳である。

 

では、なんでここまで拗れて一触触発な状況になってるのか?簡単に言えば、根底にある“民族憎悪”のさらに奥にあるのは、現状に対する嫌悪であり、その問題を正面から立ち向かわずに、とにかく“他人のせい”にして逃げるからである。これは何も日韓だけに限らず、世界中のヘイトクライムそのものを引き起こしてる、全ての“根元悪”そのものであり、どうしても他者より自分が“優れてる”という価値観を、絶対的なモノとして確立したいが故の“勘違い”からの“正義論”が、表面化するか否かでその後の結果が変わる訳である。つまり、戦争までのチキンレースとは、それを“自分”が求めるかどうかであって、その“意志”が他人と共有できればできるほど、最悪の事態に突き進み、歯止めが効かなくなって勃発するのである。もっと言えば、SNSの賛同が世界規模で広がる事とは、“一人じゃない”という錯覚と、シンプルな意見や概念程拡散されやすい為、収拾がつかなくなって迷うのである…どうこの問題に対し、明確な答えを求めるからこその“方向音痴”である

 

 

 

 

 

つまり、日韓両政府共、“国民の意見”に惑わされ過ぎて、国民に対する“説明責任”を避けてるからこそ、余計に拗れるのである。それに、どう考えても、双方に“非がない”というのであれば、なんでここまで喧嘩するのか、少し冷静に考えた方がいい…結局は“相手”がいるから対立する訳であり、しかも第三者にも絡んでもらってまでも“優位性”を誇示したくて必死になるのである。だから、アメリカが仲裁に入りたくても、根幹の問題が、実はアメリカ軍自体の“不甲斐なさ”も関わってるトコもあって、“無理w”って訳である。そこをロシアや中国に、在らぬツッコミ喰らうのが怖いからこその“及び腰”になる訳である。もっと言えば、国民の意志で運営される民主国家である以上、国民自身も、それぞれの立場で政府や代議士相手に議論するのがスジであるのに、そこを避けてきたツケが、結果として“同じ過ちを繰り返す”事態となる訳である。だからこそ、社会科を蔑ろにしてきた教育環境ではいけないのです…自分の国を真面目に未来永劫残す為には、それ故の犠牲や理不尽な出来事に対して避けるのではなく、立ち向かう度胸が、民主主義国家である以上、常に試されるのです。

 

 

アニメスタジオ襲撃事件は、サブカル文化への冒涜…

本題に入る前に、参院選投票4日前なのでこちらのテンプレから…

 

全国どこでも\山本かなえor公明党

大阪だったら\杉ひさたけ/

兵庫だったら\高橋みつお/

福岡だったら\しもの六太/

愛知だったら\安江のぶお/

神奈川県なら\佐々木さやか

東京都民は\山口なつお/

埼玉だったら\矢倉かつお

大事な一票、小さな声も逃さず国政に反映させる行動力、信頼と実績の公明党に託してください‼︎

 

 

(;・∀・)=3 参院選終わるまでは、本題の前にこのテンプレが付きますので、ご了承くだされ…

 

 

 

 

 

今回はガチで怒りしか湧かない、そして何より、日本のサブカル文化に対するテロ行為に関する話…ただ、この怒りに関しては、容疑者のみならず、制作現場の“安全対策”を怠ったことによる二次災害にも言及せざる得ない話として、オイラの意見をまとめさせてもらう。今回の件は、他のアニメスタジオでも起こりかねないモノであると同時に、“モノづくりの現場”を襲撃して破壊する行為は、いかなる理由があってもやってはいけない蛮行であり、文化そのものの否定である…

 

現時点で把握できてる状況を纏めると、午前10:30頃、京都市伏見区六地蔵駅周辺に立地してる、京都アニメーション第一スタジオに不審者が“作品パクった、死ね”と怒鳴りながらガソリンをぶち撒いて火を放ち、建物が爆発炎上。容疑者は足や胸などに火傷を負った状態で逃走したが、警察に身柄を確保され、消防が消火とスタジオ内の取り残されたスタッフの救助に当たってるが、13人の死亡と、30人近くが行方不明、なんとかスタジオの外へ逃げ出せたスタッフも30人以上が重軽傷という惨事となっている…遺体の多くは火元の1階と2階階段付近に集中してて、3階以上のフロアに、逃げ遅れたスタッフがいるという事で、夜通しでの捜査活動を行うという…火の方は鎮火した様だが、恐らく、更に犠牲者が出ると思われると、あまりにも痛まし過ぎる事件である。

 

直接の原因は、容疑者のイチャモンからの犯行であり、これ自体は追い追い、捜査が進展すれば解明されるんで暫くは静観した方が良いだろう…しかし、ここまでの大惨事に発展してしまったのは、アニメ業界特有の習慣や、作業場の安全対策が欠如していた事が要因として推察できる。特に、スタジオの構造上、非常階段や脱出経路が外部にない事や、消防法で定められた消火設備などがなかった可能性がある。ここについては推察の域でしかないので、誤解や偏見が含まれる事は理解して欲しいんだが、アニメの制作現場は、実は昔から時間感覚が狂う様なカンヅメ状態になる事が多く、特に、毎週放送される30分モノのアニメの場合、それこそコミケで出す新作原稿に追われて修羅場状態の同人作家生活を、ほぼ毎週…否、毎日やってる様な職場である。もちろん、アメリカのカートゥーンアニメの制作現場では、QOL向上の為に、アニメーターの職場環境は結構手厚い福利厚生が約束された上で制作されてるんだが、日本の場合、それこそ“マンガの神様”と称された手塚治虫の理念…“子供達の笑顔の為にも、制作コストは抑えるべき”という言葉の意味を履き違えたスポンサーや放送局、出版会社が版権を盾にアニメーターをこき使ってるフシがある。(どこぞかの芸能事務所より劣悪なのよ、アニメーターの仕事は)

 

話はさておき、そんな“毎日修羅場”な制作現場では、出来るだけ時間を気にせず制作に没頭させる為に、ワザと外部との接点を閉ざしてる事が多く、特にスタジオでは撮影時に外部の光が邪魔になる事を理由に、窓が全くない状態の建物になりやすい。コレはアニメの現場に限らず、映像や写真を取り扱うスタジオでも一緒で、機材搬入路以外の扉を設けていない事が往々にして存在する。(もちろん、音楽収録のスタジオでも、放送局のアナウンスブースも、一部では建物の外が見えない様、壁で囲われた作りになっている)つまり、そういう外界から隔離された空間で火が放たれれば、逃げ場がない構造にせざる得ない業界なのが、“スタジオ”と名がつく施設の欠点とも言える訳である。

 

更に、昔ながらの技法…薄いセルロイド板に絵を描きながら制作するアニメスタジオの場合、セル画に使う塗料が油性顔料である事が多く、制作現場そのものが“火気厳禁”である…かつて、アニメスタジオでの火事といえば、撮影時に長時間セル画を白熱灯に晒し続けた事による自然発火や、アニメーターの不注意で、作画現場で喫煙をした為に塗料に引火したという、ボヤ程度で済んだから笑い話として語られる事案があった訳で、CGで制作される様になってからは、そういう事故自体減ったといえど、基本、現場で喫煙が禁止されたのは健康被害云々ではなく、こういう事情があった訳です…だから、休憩時に喫煙所で群がるのは、事情が事情だけに、現場では常に厳守されてたルールなのです。

 

 

 

 

容疑者は相当な恨みを抱えて襲撃した様だが、もし、当人がいう“パクった作品”を制作したのが京アニじゃなかったら、京アニのスタッフは、トンだとばっちりで被害を受けた様なモノです…仮にそれが“真実”であっても、自ら手に掛ける必要のない話です。“出るトコ出よか?”と、著作権侵害を訴えて民事裁判を起こせば済む事です。それでなくても、同人作家のイラストや小説をパクって“自作品”としてグッズ販売を行ってる業者がウヨウヨいるのに、何やってんだって話です。ま…他人の褌で商売する業者ってのは、オリジナルの作家が活動を辞めた途端に窮しますから、“新作”を自らの手で作ったら“他人にパクられる”って自分を正当化してきますから、その時点で法の下の鉄槌を喰らわせれば良いのです。パクった技術料、耳揃えて払いなってw

 

教訓:いかなる理由があっても、制作現場を襲うのは、例え相手に非があっても、却って自分が不利になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

事件で亡くなられた方に哀悼の意を、被害に遭われ、怪我をされた方には1日も早い回復を、お祈り申し上げます。