迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

Shin's Barへようこそ…文月の一杯

シン(以下シ):こうも暑過ぎると、ソフトドリンクばっかり出て、本職が開店休業状態ですわ…
潤平(以下潤):ショートよりもロングの低アルコールが人気っすよね。
シ:世間では高アルコール炭酸系が流行ってる様ですが、くれぐれも夏場の“水分補給”は、ノンアルコールでお願いします。
潤:高い濃度でなくてもアルコールの摂取は、その処理に大量の水を要するだけでなく、特にビールは利尿効果も高いため、どんなに飲んでも水分補給にはなりません…って、ここ酒場でしたよね?
シ:(´審`)b酒類を扱う飲食店だからこそ、お客様に対して気持ちよく利用していただくためにも、注意喚起は重要なんですよ。
潤:あ…そういうことかw

(カランコロン…)

シ:…と、いらっしゃいませ。
潤:ようこそ、Shin's Barへ…
アンジー(以下安):くぁー…暑い。兄ちゃん、キューバリブレ頼む。
アポロン(以下晃):また、そんな安直なのを…シンちゃん、テコニック、できるか?
安:他人のこと、言えた義理かw
シ:(;´審`)=3まぁまぁ…どちらもすぐに用意しますね。
晃:お、スマン…
安:しかしまぁ…こうも暑いと、野外での作業もままならんな。どんなに水を飲んでも、大量に汗が出るから間に合わん。
晃:いや…室内でも冷房ナシだとかなり酷だぞ。昨今では、高齢者の熱中症死が増えてる一因に、日中でも冷房を使わずに過ごそうとしてるからな。水分もだが、高血圧を気にし過ぎて塩分を控えるモンだから、余計に塩分不足でエラい目に遭ってるのだよ。
安:あ、それ言えてるな。昔ならそれでも良かっただろうが、今は日陰にいても気温が40℃を超えるケースも増えてる…にも関わらず、なぜ頑なに冷房を嫌うのだ?
潤:多分…戦時下の教育が原因では?
晃:はぁ?
シ:正確に言えば、物資不足を理由に、安直なまでに“忍耐”を美徳化したことが、結果として今日の教育現場での“理不尽な指導”に繋がってるって事です。小学生が熱中症で倒れようが、中学生が体調不良を訴えても信用せずに懲罰を与えたり、夏休みを“部活”で潰したり…
晃:ああ…そういうことか。しかし、それとこれは別だろうが?
安:いや…直結してるかもな。
晃:え、どういうこった?
安:我輩達の時代は、今よりも物資はないし、教育者も多くは戦争経験者であり、しかも指導要綱は技術向上や効率化よりも“歪んだ精神論”を説く方が安上がりで、手っ取り早く“自分好みの有能者”を選り分けられたってことだ。実際、プロ野球選手やオリンピック選手を夢見た子供達の多くが、その精神論に基づくスパルタ教育の影響で、身体を壊して夢を捨てざる得なかった。そこを踏まえると、そういう“鍛錬法”で生き残ったものが指導者になれば、自ずと同じことを繰り返すことになる。スポーツ科学の目から見たら、とてもじゃないが基礎がまだできてない子供にやらせてはいけないことを、平気でやらせている時点で“潰れて当然”なことなのに、それを未だにやってるからなぁ…
潤:しかも、体調不良で参加できないと訴えても、相手が“子供”であるがゆえに“虚偽報告”だとして信じてもらえず、それが因で部活中に亡くなってるケースもあります。
晃:………ワシらと違って、現代っ子の方が軟弱だろうが、それは。
安:いや…むしろ今の子達の方が、成人までの“生存率”は高いぞ。我輩達の時代は、それこそ、ちょっとした感染症による死亡率が高く、また、栄養失調による生育不良も多かったことを踏まえると、予防接種の徹底や栄養管理学の確立などが功を奏して、先天的疾患や不慮の事故などがない限り、個人差はあれど18歳までの成長期を、殆どがクリアしてるぞ。逆に我輩達はどうだ?昨日まで顔を合わせてた友達が、突然いなくなることの方が多かっただろうが。
晃:うーむ…そこまで言われると、確かにそこは認めざる得ない。しかしだ、夏でも冬でも、子供は外で走り回ってるのが相場だろうが。そもそも、部屋にこもってテレビゲームをしてるなんぞ、不健全極まりない!!
安:それはどうかな?昨今、気温が40℃を超える日も珍しくない夏場に、外で遊べというのは、危険極まりない行為だぞ。“不健全”というには、今と昔じゃ全く別物だ。まして、夏の虫であるセミや蚊ですら、猛暑日と言われる気温に達すると、活動停止するんだぞ。
シ:しかも40℃を超えたら、多くの蚊は死滅するというデータもありますからね。
潤:子供達にとって“頼みの綱”でもあるプールも、野外の場合、水温が35℃以上になっていて“遊泳禁止”になってるトコもあるのと、炎天下での日焼けは全身火傷と同意ですよ。
シ:もっと言えば、自分の享楽を優先するあまり、子供やペットをマイカーに置き去りにして死亡するケースが後を絶たない事を踏まえると、失礼ながらアポロンさんの考え方こそ、戦時下教育の影響が濃いとしか言えません。
安:そういうこった。我輩達が経験した以上に過酷な条件下で、今の子供達が強いられていることを考えると、これは我輩達の“責任”ではないか。日本人の悪い習慣の多くは、自分と“同じ”でないと気が済まないという嫉妬心が、社会全体を支配してるという事だ。そこを正そうと思えば、我輩達が受けた様々な悪習を、我々自身の手で“終わらせる”しかないのだ。だが、どうだ?我輩にしろ、お主にしろ、既に鬼籍の者…どんなに嘆こうが訴えようが、我々ではもう、どうすることもできん。悔しいが、な…
シ:だから、迷馬さんのような存在に対して“信じて委ねる”しかないんです…俺達の一番伝えたいことも、理解してほしい部分も、何もかも…
晃:…そうだな、今はそれ以外の方法はないのなら、それでいくしかないのだな。

潤:ちょっと白熱し過ぎた様なんで、頭を冷やす一杯を…クラッシュアイスをギチギチに詰めたコリンズグラスにジン、ウオッカテキーラ、ラム、ホワイトキュラソーをそれぞれ15ml、フレッシュレモンジュースを30ml、コーラを40ml加えて軽くステアし、レモンとチェリーを飾れば…“アイスティー”とは名ばかりな、最凶のストロングカクテル、ロングアイランドアイスティーですw 作り方こそ単純ですが、飲み方注意な一品です。
晃:まさか…コレが出るとは思わなかった。
安:紅茶の要素が一つもねぇw

全部“教育”が悪い?!

正確に言えば、


日教組が悪い”


…ってことになる。ま、名誉毀損による裁判になる覚悟で暴言を吐けば、学校でのエアコン使用を禁じたり、炎天下で長々と部活やらせたり、医師やJOC等から推奨されてるスポドリを“ジュースの類”として禁じたりといった時代錯誤な話が頻発するのは、結局は教師自身が生徒・学童を見下した挙句、学校という名の“閉鎖空間”上で絶対的な主従関係で支配してるからである。しかも、社会に出てからも“主従関係”を維持するために、本来であれば教えるべき法律規約や社会の成り立ち、更にはそれを“読み解く”ための国語力向上や歴史(史実)の研鑽を、“大学受験に不要”と言わんばかりに、授業では“教えない”ことが多い。そう、公選法民法公営競技をやる国や自治体の“言い分”など、本来であれば、社会に出た時に役立つことや、知っていないといけない“常識”的な部分が欠如した若者(若年層の有権者)が増えた背景が、ここにある訳である。もっと言えば、“教育”という言葉を隠れ蓑にした“洗脳”が、日本の教育現場ではまかり通ってしまってる訳である。

そもそも“日教組”ってのはどういう団体なのか?本筋は教育者達の“労働組合”であり、教育現場の処遇改善や“働き方改革”の実現を目指す存在である…が、これは“表向き”の話であり、現実を言えば日本共産党に、ある意味直結してる集団である。だからメーデーとかの集会で、平気で“憲法改正反対”だとか、“米軍出ていけ”といった、就労者が掲げるべきスローガン(賃金上げろとか、休みよこせといった基本的なこと)を無視して政府批判に利用してる訳である。そういう連中が、公立学校の教員を務めていて、且つ、教育委員会の幹部を務めていたら、そりゃ、“子供の人権”を無視して好き勝手な行為を、教育現場でやりまくるのは当然の話になる。もちろん、校内でのいじめ問題が全然解決しないどころか、その犠牲者が増えても、教職員や委員会幹部が“責任”の所在を被害者遺族(=保護者)に押し付けたり、体調不良を訴える学童を“サボり癖が付く”として体罰を与えるなどといった“非常識”な指導をやるのは、全てにおいて“学校上の絶対君主”であると同時に“責任者は他人”という態度で今日まで来てる訳である。

何度もここで話でいるが、共産主義とは本来、基盤となる宗教哲学…即ち“人を想う”精神に立脚し、互いに尊重し支え合うことが是であって、そこから外れた概念は、邪義でしかない。しかし、それがまかり通ってる背景には、レーニンの遺した言葉の“誤用”と、宗教以上に先陣の“指導者”を神格化して、民衆に“服従すべし”とする、カルト染みた支配体制を是とした概念が、未だに残ってるからである。前者に対しては、ある意味で後者の態度を皮肉ってる様な話であり、故に後者は自分自身がやってる行為が、過去の轍を踏んでる事に気付いていないからこそ、“同じ過ち”が繰り返される度に、周囲の“他人”に責任をなすりつけて逃げるのである。

“宗教は麻薬”という言葉の本意は、いかなる組織も幹部が堕落し、信徒(=支持者)の施しが“常態化”する事で、慈善行為に対する“感謝”の気持ちが失われ、信徒からの意見や指摘を“過去の権威”を用いて“潰す”ことをやっていると、必然的に本来であればないハズの“上下関係(身分制)”が形成され、それによる“出自に基づいた支配”がまかり通ることになる…ということを端的に指摘しただけであり、その指摘を無視して“偉大なる指導者”としてレーニンを担いで神格化した挙句に、その“正統な後継者”と自らを据え置いたのがスターリンであり、そこから“ソヴィエトによる恐怖政治”が、今のロシアを中心とした東欧で拡大した訳である。しかし、ご存知の通り、こういう民衆を圧政した政治が100年も続いた試しがなく、また、アジアでコレをやろうとして失敗したのがカンボジアポル・ポト政権である。(逆をいえば、その数少ない“成功例”になりつつあるのがキューバの行政であり、その背景にあるのが、アメリカの白人至上主義に対する反骨精神的なモノであることだけは、覚えててほしい)

学歴至上主義がまかり通るのも、結局は“支配者になりたい”という願望と、だからといって“責任者になりたくない”という、一般人が聞いたら“ふっざけんな!! ”と叫びたくなる様なことを“平然”と行うためのモノであり、そこには、相手に対する“感謝”という気持ちも概念も存在しない。だから、学業に全振りした若者が“自分の価値”を世間からバカにされる度に卑屈になり、それを“褒める”こと、“認める”ことをやったのが“宗教”の名を借りたテロリスト集団だったら、そこになびくのは、ある意味で“必然”としか言い様がない…つまり、日教組という組織そのものが、“腐った共産主義”そのものを、いまだに“正義”として疑わずに今日まで活動してるモンだから、体調不良で体育の授業が受けられないって訴えても信じてもらえずに、炎天下の校庭を走らされたり、水分補給を禁じられたり、いじめがあっても“報告すんな”で一喝される…といった、“未成年の人権侵害”が学校内で横行する訳である。そんなことをやってる連中がジェンダーフリーだ外国人を差別するなとかいってる時点で片腹痛いし、そういった“暗黒の正義”を振りかざしてること自体、哀れで仕方ない。

“人を想う”“人を信じる”という宗教哲学上、最も基本で、最も重要な根幹部分をブチ壊しておきながら、それでも自己の正義以外“認めない”という態度で“相手”を支配しようとすれば、必ず衝突することが目に見えている。だから、幼い頃からの“教育現場”にて“洗脳”すれば、思い通りに社会を支配できる…その上、失敗の“責任”を実行犯になすりつければ、指揮官としての自分は処罰されないし、いくらでも配下の民を無駄遣いできる…こう考えるエリートが多いのが“間違った共産主義”の社会であり、指揮官が“責任を受け持つから、お前ら自由にやれ”って言える人がいないから、幕下は臆病になる上に“逆らえない”という幻惑に振り回されて組織そのものが腐敗するのである。だけど、それを“望んだ”のは、いうまでもなく日教組に属する教職員自身であり、深く物事を考えずに、疑いの眼を持たずに今日まで来たことで、極悪クレーマーモンスターペアレンツといったクズが量産されるのである…真の意味で“頭のいい人”とは、学歴ではなく、実体験から求められる対処法を実践し、多くの人に広めることができる人を指す。そこには、徹底して“人を想う”と“人を尊ぶ”、そして“信じる”ことの重要性を、様々な事柄から“学んだ”からこそであり、自分自身の価値観に対して、他人からの批判に“怯まない”そして“なびかない”ことに尽きる。その“訓練”の場が宗教の“修行”であって、そこが抜けてる以上、道徳なんてのは身につかない。授業で“道徳”をやっても意味がない最大の“理由”が、教職員が目の前の学童の“人権”そのものをバカにしてるからこそである。学童・生徒は、教師の“奴隷”ではないし、仮に“奴隷”として扱うなら、その“管理”に対して“責任”が生じる以上、体調不良やいじめの事案に耳を傾け、対処するのがスジである。それが“できない”のであれば、その時点で“管理者失格”であり、教職員である必要もない。

公立の学校にエアコンが設置されていない“理由”

遅ればせながら、先日の西日本豪雨で被災された方にお見舞い申し上げると共に、犠牲になった方々に哀悼の意を表します…現在避難所で暑苦しい思いをされている方も多いかと思いますが、政府方針で現在、エアコンの設置が急ピッチで行われています。避難所に指定されている、多くの公立学校には、元々、空調設備等は設置してないことが多く、それゆえにエアコンが使えるクルマに籠る被災者も多いかと思います…当然ですよね、ここまで気温が乱高下する事を想定せずに作られてることが多いですからw

冗談はさておき、なんで公立の学校…しかも大概が災害時の避難所に指定されているのにも関わらず、空調や非常電源等の設備がないのか?これには、避難所の“意味”が現代と開設当時では“違う”ということと、もう一つは自治体やPTAの“財政”に問題があると推測されます。てのも、オイラの通ってた小学校は、当時の某道路公団と沿線自治体との協議の結果、騒音公害による就学の侵害が認められるとして、校内にコージェネレーションシステムを設置して、校舎内は冷暖房完備という、当時としては“贅沢”なトコでした。(但し、建て替え前の講堂上の教室は対象外だったがw)当然ながら、設置費用と運転時の光熱費は、自治体と公団で折半する協定が結ばれていて、保護者の負担は軽微でした。だから、他校へ行く機会があって訪問すると、教室には扇風機しかないことがザラで、酷いトコだと校内プールすらなかったという状態でした。もちろん、今から40年以上前の話ですけどねw

同じような事例は、恐らくですが北摂の公立学校…特に伊丹空港近隣都市(伊丹や豊中など)の場合、当該するエリア内の小中学校や公共施設、さらには住宅地の住民に対して、現在の関西エアポート会社との協議で、ジェット旅客機運用による騒音対策として、防音窓の設置やエアコン設置工事が行われ、その際の費用は、自治体に申請すれば税の控除や改修費の補填などが受けられたと聞いてます。この背景には、当然ですが所謂“モリカケ問題”と直結してる事案であって、空港周辺の国有地の多くは、実は過去の“騒音問題”によって生じた裁判の結果、空港利用の“時間制限”等では“空港の安全”を保てないという“理由”で国として取得した部分であり、また、これ以上莫大な費用を延々と負担するのが厄介(=税の無駄)って判断から、関空の開設を急いだのです…で、その“旨味”が関空移転→廃止で、激減する事を恐れたのが伊丹市豊中市であり、ゆえに行政側と多くの住民が空港存続に回ったために、抗議活動しまくった連中が叩かれてる訳ですw(その旨味を“利用”しようとして、ああいう茶番劇が国会で生じた訳で、よくよく考えると、あそこに支持基盤がある連中の“自作自演”な話という体裁で片付くんですよね…実はw)

話が変な方に逸れたんで元に戻すと、公立の学校に冷暖房設備や非常時の電源システムが組み込まれているトコというのは、過去を調べた時にそういう“背景”があることが多く、オイラの出身小学校でも、騒音と大気汚染の両面から、教室への冷暖房設置が公的に認められた上で、その費用は自治体の税金から賄われている訳です。つまり、今までにそういった公害や、今後考えられる災害時の備えが“必要”と認められない限り、国や自治体が公費を使ってまでも学校の設備を更新したり、インフラ整備の準備も“できない”って訳である。逆をいえば、私学の学費が高いのは、そういった整備費や使用料込みの話であり、だからこそ常に最新鋭の設備が整い、最寄駅から自前のスクールバスが発着したり、成績優秀なのに貧困生活せざる得ない学童に対して学費免除を施すなどといった、フレキスブルな対応ができるのである。

もう一つ、“避難所”という定義が、昔と現代では全然“違っている”という件について一言でいえば、多くの避難所として指定された公的施設は、あくまでも短期間、または一時的なモノとして想定されている訳であって、ゆえに被災状況がどんな場合でも、長くても2、3日程度しか想定されていないことが多く、半年以上待機すること自体想定されていないのである。言い方を変えると、状況が落ち着くまでは留まっていいが、とっとと“出てけ”な訳である。しかし…阪神大震災以降、その考え方ではどうにもならない状況になってきてる訳である…そう、少子高齢化による家族構成の変化で、今住んでるトコが罹災すると、“生活する場所”すら失う訳である。特に賃貸で一人暮らしは、現在借りてるトコが全壊して、なんとか避難できたとしても、仮設住宅の期限までに引っ越そうにも、不動産屋が“高齢”を理由に物件を紹介してくれなかったり、借りれたとしても家賃の問題で生活苦になるリスクがある。その結果、避難所から“出たくない”という状況になる。まして、こういう“高齢者の一人暮らし”の背景にあるのが、家族間の軋轢や、高齢者介護に関する環境が劣悪だという現実がある。(特に老人ホームへの入所は、いろんな意味で“一人暮らし”だとハードル高いのよ…身元保証とか介護の有無とかが。)

こういったことから、今回の政府対応は、初動こそ問題点があったとしても、現時点での批判は的外れもいいトコであると同時に、今までの国や自治体の対応が、いかに“批判”を恐れて臆病にあるあまりに、全部後手に回り過ぎてるかってことである。23年前の“サリンテロ”に対して、聖路加病院が多くの被害者を受け入れ治療に当たれたかといえば、今は亡き日野原院長の“戦争体験”からの教訓として、万全な体制を医療機関が取ることが“当たり前”という前提で、全館に酸素吸入バルブを設置し、これが功を奏した訳である。一見すると“無駄”にみえるモノであっても、“有事の備え”として考えた時、その“無駄”が一瞬にして役に立つ…“無用の用”とはまさにコレで、その手間や不便さを強いたとしても、結果的には“命を守る”術として有効なモノは、一番弄ってはいけない部分であり、それを“教訓”にして防災・減災を考えた時、自ずと整備すべき“問題点”が見えてくるモノなんです。今回の場合は、公立学校の校舎への耐震補強に目が行き過ぎて、“避難所”としての欠点である空調設備の新設や増備が、全然できてなかったことが表面化したまでであり、今後考えるべきは停電時の電源確保や防災用水池として校内プールをどう活用するかといった部分だと思う。もちろん、どこまでの“備え”をすればいいかは未曾有なだけに難しいが、“できること”の範囲ででも、地道にやっていくしかない。そのための予算をケチったり、警告を無視して杜撰な扱いをすれば、必ず今回と同じ様な事が起きる。

三類の強敵とデマの話。

SNS界隈では、今回の西日本豪雨に対する、的外れな政府批判が飛び交ってるが、そこまで政府の対応を侮蔑した以上は、自衛隊のみならず、警察や消防隊の救援は、一切“邪魔”だからいらないって事で良いよね?自分達“だけ”でできると言った以上は、こっちは“手出し無用”って事で、金銭も含めた援助は一切やらないよ…という、被災現場に“いない”者が勝手に吠えてる訳だが、こういう人に限って、土壇場ではデカい声で図々しくも“先に俺様を救助しろ”とか言い出すのよねぇw 何度も言ってるけど、現場では政府官僚が親族縁者にコネがあって、そこを最優先に救援をやったとしても、利用する現場の被災者にとっちゃ、そういった“裏事情”なんてどうでもいい事であり、いち早くライフラインが復旧したら、再建への道筋が付く訳であって、結果オーライなのです。しかしまぁ…よくもこういう“非常事態”に乗じて、現場に的確な指示を出す指揮官相手に、罵詈雑言ができる事でw

日蓮仏法でよく出てくる言葉に、“三類の強敵”ってのがある。これ、文上だけの意で解説すると、法華経の行者であるからこそ現れる難敵を指していて、現状に則して訳すと、現場で粛々と業務(救援活動)を行ってる役人や団体職員に対して、ここぞとばかりにクレームを吐きまくる、自称“情報通”な人々を指してる。つまり、SNS上で安倍政権を叩いてる人の多くが、大体ここに当て嵌まる訳で、その正体は、混乱に乗じてデマを流す輩と一緒である。“三類の強敵”に関しては以前にも解説したが、改めてざっくりといえば…

  • 俗衆増上慢:一般的に、巷の噂話やメディアの情報に惑わされて暴言を吐く人。
  • 道門増上慢:宗教団体関係者あるいは聖職者として、自己の哲学に則して批判する人。
  • 僭聖増上慢:過去の功績や学術的権威等で著名な立場を利用して、相手を見下す人。

に分類できる訳で、SNS上でも一番厄介なのは、最後に紹介した僭聖増上慢である。彼らは一般的に、学歴や社会的地位で著名であり、それ故に発言そのものの影響力がハンパ無い。が、それ故に“相手”を侮辱することに躍起になっていて、そこにあるのは、単なる自己顕示欲と、誤った正義感に基づく精神的な満足感である。故に、現在有する肩書きの“本分”を弁えずに、自分自身がいかにも“世間から支持された存在”という勘違いから暴言を発してる事に気付かないのである。こういう“勘違い著名人”が発した言葉を鵜呑みにするのが俗衆増上慢であり、救済したくても、相手を異教徒(=余所者)だからと言って追い払う行為に至るのが道門増上慢である。

つまり、“三類の強敵”という存在は、被災者でもないのにその“代弁”を買って出たり、“現場”に居ない事を幸いに好き勝手に持論を述べたり、人々が苦悩してる様を嘲笑いたいだけで騒いでるのであり、ある意味では、平時の際に会社や近所で謂れ無き事を言われ続けてる憂さを、ここぞとばかりに晴らそうとしてる、一番“可哀想”な存在とも言える訳であり、相手にするだけ現場は余計にパニくるだけである。むしろ、本当に必要な情報しか流さない事は、一種の“言論統制”ではあるが、現場の混乱を回避するには、こういった災害時には必要な措置である…“言論の自由”という“本質”は、“摂受折伏時による”と同じで、余計な情報を流さないように制限をかける時と、真実を公表せざる得ない時は、常に“別バナ”として扱うべきであり、そこんトコを既存メディアが“憲法上の保証”を盾にして、ごっちゃにしてるから混乱するのである。それは、安倍総理の被災地慰問に、在京メディアが帯同して訪問した避難所に詰めかけた事でも言える事で、共同取材で“情報共有”していればいいモノを、視聴率や購買部数欲しさに殺到するからおかしいのであり、こういうスタイルの取材方式を許したのは、民主党政権下での話だ。もっと言えば、23年前の阪神大震災の時から…否、33年前の日航ジャンボ機墜落事故の時から、災害時における報道倫理を守れた試しが一つもない。だから、被災地から在京メディアの取材姿勢に対する批判が相次ぐ訳であり、そこに世話になってる自惚れ野郎が、身の安全が確保されたスタジオで傍若無人な与太話をやる度に、好感度が落ちるのである。当然だが、SNSでの発言も、批判の対象になってるのはいうまでもない。

現場の声を聞きたいのであれば、そこへ向かうのがスジであり、それができないのであれば、政府(被災地域の行政)の発表を信じてやるしかない。公式見解が“疑わしい”というのであれば、自分が被災した時、行政やNPO法人などの支援を一切絶った上で、全て“自助”で解決させろって話であり、それこそ“できるモノならやってみろ”な話である。富裕層でも、被災した家屋や所有物の損失は痛いし、再建となれば、それこそ手持ちの財産を手放す度胸が必要となる。一人暮らしの高齢者や、DV等を理由に生活保護を受けざる得ない人は、さらにハンデがデカい…犠牲者の中には、難病を抱えて在宅介護だった人も含まれている訳で、そういった事情を考えずに被災者を叩いたり、被災行政、さらには政府を批判してはいけない。事前に防災・減災のための公共事業を“税の無駄”と言って叩いた以上、こういった犠牲が出るのは“当然の結果”であり、そのツケを払うために増税したとしても、それは文句を言ってはいけない。どうしても文句を言いたければ、その前に“自分にできる事”をすべて、自分自身“だけ”で整えるべきである。

メディアが作り上げた“宗教テロ”という犯罪の正体…

いわゆる“オウムテロ”から23年過ぎて、主犯格が法に基づいて処刑された訳だが、はっきり言ってしまえば、この事件、主犯格連中の“大勝利”であって、どの結末であっても、当事者にしたら“信念に殉じた”だけで、そういうことを逐一報じてるメディアこそ、実はこの事件の“真犯人”でしかない。なぜなら、連中の“本懐”は、永久的に自分の名を、組織の存在を“世間に遺す”ことであって、無視していればどうってことない話なのに、そういう訳にいかない様な“事件”をやったことで、すでに本懐は遂げてる訳であると同時に、“人間”としての役割を捨て、神仏にでもなったと思った上で“下賤なる人間”に殺されることで“殉教した”と、支援者に対して示した訳である。確かに、“宗教”の原理上から見ればそういうことで通用するかもしれんが、それこそ“宗教”そのものを“愚弄”した態度であり、“相手を敬う事”を学ぶ場でなければいけない宗教哲学を、それこそ“自己の理想”のためだけに“悪用”した“腐れ外道”な態度でしかない。

かつてメディアは、事ある毎に創価学会を叩いた訳だが、その所作で一番“望んだ結果”とは、実はこのテロリスト連中と同じことが起きる事であって、その度に公選法破防法を“理由”に、学会員相手に、いろんな意味で喧嘩をふっかけてきた…が、多くの学会員がその挑発に対して、殆ど相手にしなかった。その背景にあるのは、日蓮仏法における“御書”の教えに、どんな侮辱を受けたとしても、それは前世の罪が残ってるからこそのモノであって、仮にそうでなくても、法華経を受持してるからこそ、本物の行者であるかを試すための試練だと、様々なトコで指導してる。故に、その“試練”は、正しく法華経の行をやってる証左として現れるモノと認識し、挑み続けることを止めない…という心意気を示し続けた訳である。創価学会が説くトコの“成仏”とは、どこまでも“人間”であることへの自覚と、それ故に、いかなる相手であっても“敬う”という姿勢を示し続ける事に他ならない。そのための“対話”であり、そのきっかけは、いかなるモノであっても、自分自身が“相手”が本当に欲してるタイミングを逃さない限りは“成立”するとしてる訳である。だから、会合に誘ったり、聖教新聞の購読推進をやったり、SNSなどで人生相談を受けたり…といった活動があるのである。その地道で、一個人としての成果としては地味過ぎることでも、組織全体で見た時のインパクトは、畏怖の念を抱かれてもおかしくない程のモノとなる。故に、世界中の…それこそ果てまで行っても、必ず学会員(=SGIメンバー)がいるという現状がある。

メディアが一番欲した映像…というより“情報”は、創価学会が“テロリスト”となる様であり、イスラム教の一部過激派やキリスト教を模したカルト組織同様の、武装化した“危険分子”としての姿であって、現在の様な対話や慈善活動に奔走する姿なんて、一番報じたくない“真実”である。だから事ある毎に“テロ組織”という捏造を繰り返してきた訳である…が、阪神大震災以降、その見識が誤りであることが明確になり、日顕宗との確執から起きた、俗に“C作戦”と言われる騒動以降は、メディアが大ぴろにデマを流すことが減った。(もちろん、背景には、そのデマ情報を流す主犯が病死したこともあるんだが…)むしろ、学会以上にカルト過ぎる存在が現れ、自分達が思い描く“宗教テロ組織”という、これほど“美味しい存在”が出た事によって、日本が宗教テロで潰される様を報じたい輩で、メディアが占拠された訳である。それが今の日本のメディアの“病巣”と言える部分であり、その更に裏の部分を考察すれば、半世紀以上前の“学生運動”を支持した者達の影が見える訳である…彼らの最終目的こそ、民衆を愚弄化し、特権階級以外が生き残れない世界であり、その“理想郷”こそが、北朝鮮の姿であるとすれば、これほど宗教の本質をバカにした割に、一部の指導者を神格化してるあたりがカルト過ぎて、愚かに思えて仕方ない。

共産主義と宗教は、実は密接な関係があって、そもそも、宗教哲学を基に互いの存在を認め合い、協力しあって社会を維持することが前提にある。故に、欧州系の共産主義キリスト教の聖書を基軸にやってる訳であり、中東圏の共産主義は、イスラム教の教えが根本となる…独裁型共産主義でも民衆の自由が保障されているトコほど安定した政権運営になりやすく、逆に杓子定規な運営は、大概崩壊している。むしろ、中東やアジアの共産主義が上手く機能してるトコが多いのは、そもそも、そういう意識の下でやってるのではなく、絶対王政…即ち、宗教上の戒律に即した生活を基本としてるからこそ、その戒律上の“指導者”に対する服従と、“指導者”もまた、配下の民から寄せられた期待や要望を裏切ってはいけないという戒律上の制約において政治を行う義務がある。だから、宗教哲学に則した共産主義に対する抵抗もなければ、それが“普通”のあり方として、今日まで続いてる訳である。対して、欧州の共産主義は、その肝心の宗教哲学を排したトコにあり、その一番の原因は、キリスト教そのものの堕落と腐敗からの不信感から来る訳である。レーニンが説く“宗教は麻薬”の本意も、実は宗教哲学そのものを無視して、私利私欲に走る聖職者を皮肉る意味があった訳で、故に東欧諸国の多くが、いかなる宗教に対しても批判的だった訳である…で、その結果、指導者を“偉大なる神”として崇める様な思想が跋扈する事になり、民衆の安寧なる生活よりも、私利私欲のために傍若無人を働く独裁者が次々と現れた訳である。どんなに崇高な理念であっても、それを用いる者自身が己儀を構えて圧制に走れば、必ず国家体制が崩壊するのはいうまでもなく、一見“成功”してる様な国家であっても、実際問題は為政者のしつこいぐらいのプロパガンダを民衆が聞き流すことで成り立ってるだけに過ぎない。

話を元に戻せば、メディアとしては“宗教テロ”こそ、この国を自分達の“理想郷”へと変革させるきっかけだとしてる訳だが、そんなことをしなくても、未曾有の自然災害や隣国間での紛争等といった要因があれば、その場面に遭遇した人々自身が次世代のために奮闘することができる訳であって、情報操作によるおせっかいは、正直“邪道”でしかない。まして宗教に関することは、日本国憲法が保障する“信仰の自由”に対して批判してるのと同意であって、戦時下の様な“国家神道以外排せよ”という意見は、宗教のみならず国民そのものを愚弄してるのと同じである。当然だが、宗教そのものを全廃できたとして、次世代を担う者に対して、相手を“信じる”ことをどうやって教えられるか?そこんトコの概念が抜けてる以上、結果として体制が崩壊するのは目に見えている…疑心暗鬼で他人を見下すことを是とする教育現場で育った人は、用心深い人格の割に、宗教が説く“信心”の話に弱い。だからあの時の若者…特に、自分の才能などを学歴のために全振りした人ほど、どこかで“褒めて欲しい”一心でカルトな方へと向かったのです…一番“信じられる存在”を求めるあまりに、冷静さを失って、世間を恨み続けた“指導者”に利用される事も構わずに。

税負担軽減を望むから…

経営コンサルタントで人材派遣会社の社長でもある竹中平蔵がメッチャ叩かれてる訳だが、そもそも論から言って、当の本人が提示してる事の本質は、ほぼ国民が一番切に願ってる“税負担の減免”に対する“代償”なのであって、そこんトコを履き違えて叩くのは、完全に本末転倒であると同時に、政治家共々“勉強不足”でしかない。

残業代…というより、そもそも賃金を就労者に払いたくない企業にとって、一見すると“高プロ”って都合のいい話に見えるが、本筋であるなら、それは一般職…即ち専門性が低い職種の就労者が残業しなくても済む様シフトを組んで回せばいいモノを、“全員”にやらせるから負担が一部に集中するだけであり、適材適所に配置しておけば、何の問題もない話である。これが“できてない”からこそ、ワークシェアもフレックスも、日本では“無意味”になるのであって、そもそも“専門職”の人にまで雑用をやらせるからこそ過労になるのである。分業の至極は、役割を明確にした上で時間配分を割り当てることであり、“同一時間に一斉就労”という形態に拘るから、一部の就労者に負担がかかり過ぎて、結果として技術の低下や納期の遅れに直結する訳である。故に、企業(雇用主)は就労者に対して、賃金にプラスして“生活の質”を維持する義務が生じる訳であり、そのための労基法やそれに付随する法律や条例を遵守するのが当然なのに、そこんトコを無視してるから、精神疾患からの奇行や自死が増えるのである。当然ながら、そういう就労形態に就きたくないって若者が逃げるのも無理ない話だし、特に介護や育児も含めたサービス業の離職率が高いのは、分相応の賃金をケチった結果であり、国や自治体の支援を事業者が就労者に分配してない時点でお察しである。

また、水道技業の“民営化”が問題になってるようだが、そもそも、そこを“税の無駄”と称して訴えたのは、社会の成り立ちにおいて“税の使われ方”をキチンと学ばずに政府や自治体を批判したメディアと、その言葉に踊らされた有権者自身であり、それに胡座かいた“専門家”を称する輩全員である。小学校の社会科の授業でも、社会の成り立ちとして税金がどのように使われ、自分たちの生活を支える基盤になってるってことぐらいは、通常なら教科書にでも載ってるレベルだから学んでないとおかしい訳であり、そこんトコを理解せずに“税金が高い”とか文句言ってる人は、諸外国の“税金事情”を見て、どれが“正しい”のか、自分で想像した試しが無さ過ぎるように思えて仕方ない。以前からここでも散々言ってるんだが、アメリカの医療費がボッターなのは、そもそもの税金が安い上に、医療福祉のセイフティーネットなどに“使われていない”という現状があるからで、日本や北欧みたいな“国民皆保険制”ではないから、インフルエンザで受診しただけで10万円近い請求が来るのもザラであり、そこをどうにかするために国や自治体の代わりに民間の保険会社が、貧困層に対してまでも自分トコの保険への加入を呼びかけてる訳である…が、これが“使わないなら無駄”って考える輩が多くて、その結果、“無保険で医療費破産”という本末転倒な人が増えてる訳である。また、医療機関と保険会社が談合してるため、指定された医療機関以外の受診では、今まで掛けてた保険金が一切“使えない”という弊害もあって、生活が詰んでしまうケースもある訳である。フランスが水道事業の“再国営化”を選んだのも、結局は民営だと採算性だけで物事を見てしまって、国民の生活に必要なライフラインを守ることができないと判断されたことによる話であり、そのための税負担は仕方ないことだという事を、今後仏政府は国民に対して説明する“義務”が生じる訳である。

以前Twitterで消費税に関する二者択一のアンケートをやって、反応が薄かったんで参考にはならんが結論から先に言えば、消費税を今後10%以上にあげるのであれば、その前に“二重徴取”になってる他の間接税を撤廃した上で消費税“だけ”にするなら話が早いという反応があった。つまり、そもそ論からして、税の二重徴取してる事が“消費税反対”の一番の理由なのであって、車両重量税やガソリン税等、そもそもの役割(特定財源としての徴取)が終わった間接税をそのままにせずに“廃止”して、その代わりに消費税を導入してたのであれば、ほぼ文句は出ないハズであった…にもかかわらず、ここの部分の論議もせずに、与野党が勝手に不祥事だ癒着だと足の引っ張り合いをやってるから、財務省が納税者を見下してハナで嗤う税制度が、まかり通る訳である。キチンとした議論をやりたいなら、それこそ先週の“新幹線変形ロボシンカリオン”のネタじゃないが、“目先に捉われるのではなく、常に事柄の大局を見よ”なのである。これはいかなる場面でも同じであり、それをやるのが上官…即ち為政者や組織幹部の仕事であり、現場は現場で、状況に合わせた行動を取ることが重要になる。故に、細かいトコは現場に任せ、全体の状況を俯瞰し、大雑把な指示を与えた上で執行に対する責任を負うのが指導者…リーダーの役目である。この“責任”を取りたくない割に頂点に立って無茶振りを現場にやろうとするから、配下の民から余計な批判を喰らい、逃げるハメになるのである。

話を最初の部分に戻せば、税の使われ方から嫌われた部門をカットした結果が、地方での公共交通機関の衰廃であり、インフラ整備の遅延であり、災害対策の大幅な遅れが生じてる訳であり、そして教育費や介護福祉に掛かる負担増である。当然ながら、医療制度の崩壊も、生活保護や年金受給者の“生活苦”も、ここに直結してる話であり、根本的な事を言えば、教育現場で“何を教えた?”って話になる。自分達の“理想郷”へ日本を作り替えたい一心でやったツケが、結果として自分自身を“苦しめてる”ってことに気付かないような輩が、これからも国政でバカをやってる以上、有権者が選挙に行かない(=既存政党に対する不信任の意思表示)行為が増えるのはいうまでもないし、しかも公選法有権者の意思が反映されない仕組み(不信任の意思での白票が“無効”になってる)時点で、与党だろうが野党だろうが関係なく、“民衆の怨敵”に成り下がってる事に為政者は気付くべきです…既存メディアが“民衆の敵”になってる以上、彼らが望むパフォーマンスは、もうやめるべきだと。

臨時営業、深夜食堂“FLAT RIVER”

マーグ(以下グ):ういーっす、普段なら冬場の営業なんだが、ちょいと訳アリな連中が、場所を借りてぇって事になって、グランシャリオや天松楼じゃアレだからってんで、オレの店でってことになっちまった訳よ…ま、察するに、旨いメシと酒で、思い出話をしたいってことらしいんだが…と、その前に、半夏生であり、京都じゃ祇園祭の季節。これからの季節は魚介類メインがいいんじゃね?ってことで、“ヅケパッチョ”でも作ろうか。ん…なんで“ヅケパッチョ”かって?いや何、マスターオリジナルの刺身の喰い方の提案で、イタリアンの“カルパッチョ”を和風に仕立ててみたって話さ。材料としてはいたって簡単…好みの刺身用の魚の切り身(できればサクの状態で)と、好みのポン酢醤油とオリーブオイル(コレはEXバージンを用意しろよ)、ワサビの擦り下ろし(チューブのでいいぜ)を用意して…保存容器(ジップロック系の袋でもいいぜ)に、ポン酢醤油とオリーブオイルを2;1の割合で合わせ、ワサビもちょいと入れ、ここにサク状の魚の切り身を入れ、最低1時間程度冷蔵庫で冷やす。食べる前に魚を適当にスライスして、市販の大根サラダなどの上に乗せれば完成だ。好みで“掛けだれ”として、柚子胡椒と白だし、オリーブオイルを合わせたのを用意すると、野菜までさっぱりいただける一品になるぜ。さらに好みで、表面を軽く炙ってからスライスすると、鰹のタタキのような食感も楽しめるぜ。

(ガラガラ…)

っと、いらっしゃい…また急な話だな。
エンバ(以下圓):いやぁ…ココに来る事自体、ご無沙汰してたが、ちょっと、話したいことがあって。
ハルトラ(以下ハ):速報を聞いて、急にエンバはんからメールが来てやな、ほんで、ココでメシ喰おかってことになったんよ。
圓:ここなら、ゆっくりできるし…大将、冷奴ともろきゅう、それと今日のオススメ、頼むわ。
ハ:あ、冷酒も…そうやな、春鹿ときめき、コップで。
グ:あいよ。
ハ:夏に飲むなら普通の吟醸酒を冷やして飲むのもいいが、こういうスパークリング系だと、さらに爽快な飲み口になるからなぁ…特に、天然の微炭酸は、強制的に添加してるのとちゃうから、キメが細かぁて香りも華やかなんが多いんよ。
グ:だから、最近では訪日観光客がスパークリング冷酒を土産に持って帰ったり、飲食店で頼むケースが増えてんだよな。米から作るフルーティな白ワイン…って感じで。
圓:はーん…ワインにも炭酸系のモノがあるから、その感覚で飲んでるんだな。確かに、これは飲みやすい方だね。
ハ:それはともかく、“東の木乃伊”が“こっち”来るって、どういうこっちゃ?
圓:………大概、あなたも他人のこと、言えた義理じゃないでしょw
ハ:いや、そうなんやけどな…アレはワイより“ふっくら”してるやんけ。
圓:あ、そうだったな…悪いな、ホネホネゾンビw
グ:wwwwwwwwwww(腹筋崩壊中)
圓:大将、笑いすぎ…いや、我々の“本分”は、こうやって人に、笑いを提供すること…だったな。
ハ:せやな…通常の感覚やと、自分自身の体型や性格、性癖等を笑われることを恥じる訳やけど、それをも駆使して、いかに目の前の相手を“笑わせる”かを追求してるのが、芸人…特に、我々落語家の“話芸道”や。せやから、古典落語の中には、今の時代にはそぐわない様なエロネタもあるし、時代とともに演じ方が変化したモノもある。当然、同じ演目でも、東西での文化の差があるさかい、通じへん話もぎょうさんある。
圓:しかし、その“違い”を楽しむのも、演芸に親しむ一つの概念だと、私は思うんだけど、どうだろう?
ハ:それ、言えてまんなぁ。こうやって、関西弁と標準語で話し合える様、マスターはんが工夫してはるのも、その一つやないでっか。
(いや、大御所が普通に会話してるのを、単に文章化してるだけだよ、オイラはw)
グ:“文面化イタコ”っちゃ、そういう類のレベルなんだろうけどよ、オレ達の存在を、ちゃんと後世に伝えたいからこそのボランティアだと思うぜ…但し、その代償として、オレ達自身も、マスターの無茶振りに付き合わされる訳だけどな。
圓:“等価交換の理”ってモノか…そういう意味では、歌さんの死因が“タバコ病”ってのも、ある意味皮肉めいてるな。
グ:だが、年齢的なことを考えると、ある意味“老衰”での大往生と捉えても、なんら不思議でもない…そこんトコは、エンバ師匠も同じではないかい?
ハ:逆に言えばワイは、元々の虚弱体質からの衰弱化みたいな格好やったさかい、天寿を全うできたこと自体、羨ましいんや…ホンマやったら、倅にはもっと自由にさせたかった。けど、今はワイの名跡継いで噺家になった。これがホンマにエエんかどうかはわからんけど、ワイにしたら、心苦しい反面、ちょっと…嬉しかったりするモンなんや。
圓:私も、自分の愛弟子に名跡を継いでもらったことについて、些か遅すぎたかなと思う反面、これで良かったんだと、今は自分に言い聞かせている。芸風は違えども、それはそれであって、私は私である以上、後世に語り継がれていくことを望みたい。そういう意味では、これからも、俗世に遺る後進には、さらなる芸への精進をやってもらいたいモノだ。
ハ:それはそうと、当人が到着次第、“ホネホネーズ”で営業しよっか?
圓:その前に、談さんやマエタケさん、伸介さん、あと…他の連中にも呼びかけて、“こっち”版の“笑点”の公開収録をやりたいね…久々に大喜利の回答側に入って、バカ騒ぎがしたいよ…いや、本当に。
ハ:あ、それもいいな…ワイも参加可能か?
圓:メンバー的には、適任者が結構揃ってるから、“東西大喜利”って形式だったらできると思うよ。特に可朝さんも“こっち”に来られて、結構退屈そうにしてる様だし、枝雀さんもいらっしゃるのなら…あ、あの人だけはやめて…こっちが恐縮するから。
ハ:誰のことを指して言うてるかは察したが、あの方はあの方で、別のトコでやってはるさかい、多分ワイから声かけても、来ないと思うでw

グ:いやはや…なんか“こっち”の方が面白いことになりそうな状態なんだけど、マスター、ついてこれます?
(マーグ、オイラに“コレ”やれってか?)
読者のリクエスト次第…ってことでw


(遅ればせながら、歌丸師匠に哀悼の意を表します…南無妙法蓮華経)